第9話 燃え残り
五月一日の朝、書庫の扉が叩かれた。
ガロウだった。クロイスは机の前で振り向かず、第三指示書の封筒を、左手に持って待っていた。
扉が開く。ガロウは書庫の中央までは入らず、扉の枠の脇に立った。地上通路の空気が入り、机の上の押収帳簿の角が、わずかに浮く。
「指示書を、第一局に運ぶ」
クロイスは封筒をガロウに渡した。封筒の表には、第二局の局印。中には筆跡特徴と取扱者欄の署名の写し、住所の番地、入金月日、出金月日の控えが入っている。
ガロウは封筒を、外套の内側にしまった。外套の留め具は四つあり、内側のポケットは胸の右側にある。封筒の角は、布地に当たっても折れなかった。
「行ってきます」
ガロウは扉を閉めた。階段を上がる足音が、徐々に遠ざかっていく。
机の左端の控えは、朝の通りに並んでいる。並びの数は、三枚のままだった。控えの紙は、すべて同じ羊皮紙。書き手はクロイスとライサで、字の角度がわずかに違う。
◇
もう一枚の書付が、机の右端に置かれていた。
第一局からの留置場報告。書付の用紙は、いつも通り通常の業務報告より一回り小さい。
「ヴェロン・カスパル、核心について沈黙を継続。追加供述なし。面会者欄は空欄のまま。ただし、指の動きにわずかな変化あり。再取調は二日後を予定」
書付の隅に、留置場担当者の署名。署名の下に、追記の小さな字。追記の字は、署名と同じ筆跡で、青いインクで書かれていた。第一局の標準色だった。
「五月三日 朝の取調を申請済み」
クロイスは書付を読み終え、机の右端に置いたままにした。
書付の余白は、そこで切れていた。
書庫の燭台の火を、クロイスは灯した。地下書庫の朝は、油灯の薄明かりだけでは、押収帳簿の細字が読めない。
燭台の蝋を、新しいものに換える。古い蝋の燃え残りは、灰皿の縁に置いた。芯は短く、ロウの色は薄い黄色。書庫で長く使われた蝋の色だった。
◇
昼過ぎ、書庫の扉が再び叩かれた。
ライサが入ってきた。机の脇まで歩き、立ったまま、報告を始める。
「あんたの指示書通り、追跡しました」
ライサは手提げの書箱を、机の右端に置いた。書箱は革張りで、留め金は金属。書箱の表面に、灰色の塵が薄く付いている。
書箱から、追跡記録の控えを取り出す。控えは、ライサ自身が現場で書き取ったものだった。
「受取人候補の名前は、ファルム・トリエス。三十代の男、商業ギルド本部の経理補佐」
ライサは控えを開き、クロイスの視線の前に置いた。袖が肘までまくれた時、腕の内側の傷三本が、燭台の灯りの下で、わずかに薄く見えた。
「現住所は、王都北区の集合住宅、四階の一室。建物は古い石造りで、階段は外付け。出勤日は月の十三日と二十七日。他の日は、北区集合住宅で在宅している」
ヴェロンと同じ出勤日だった。毎月二回、中庭で顔を合わせている。
「ヴェロンとの面識は、月の十三日と二十七日の昼休みに、ギルド本部の中庭で会っている。十二年勤続の事務官と、三十代の経理補佐が、毎月二回、中庭で会っている」
クロイスはペンを取った。机の左端の控えの一枚に、ファルム・トリエスの名前を書き加える。控えの隣には、すでにクロイスが置いた第三指示書の控えがある。その控えの末尾の余白に、名前を一行で並べた。
「ファルムは、リリアを引き取って育てているという話を、北区集合住宅の家主から確認しました」
ライサの声は、平らだった。
「家主の証言は、年齢十五の少女が、半年前から四階の一室に同居している、というものでした。家主は六十代の女、北区生まれの北区育ち。署名は手控えに残してあります」
クロイスはペンを置いた。
ライサは続けた。
「もう一つ。あんたの指示書には書かれていなかったが、ヘイバー街の小屋にも、私たちは行きました」
◇
ライサは書箱から、小さな布袋を取り出した。机の右端、留置場報告の書付の隣に、布袋を置く。
「ヘイバー街二十七番地の小屋。三ヶ月前から無人と報告した、あの小屋です」
ライサは布袋の口を、片手で開いた。
「あの小屋には、誰かが昨夜まで居た跡がありました。戸口の床に、これが落ちていました」
布袋の中から、蝋燭の燃え残りが出てきた。
蝋の塊は、芯の周りだけ柔らかい。塊全体の大きさは、親指の腹に乗る程度。色は、王都の市場で買える普通の蜜蝋。表面に、燃えた時の蝋の流れた跡が、三筋だけ残っている。爪を立てなくても、指の腹でわずかに沈む。芯は黒く焦げ、消された後の白い灰が、わずかに残っている。
「誰かが入る時に、灯を消した跡です。床に蝋が垂れていなかったので、立ったままで消したと思います」
クロイスは蝋の塊を、指の腹で押した。表面はまだ柔らかい。中心はすでに固まっている。指の腹に、わずかに蜜の匂いが残る。昨晩か、今朝早くまで、誰かが使っていた蝋燭の残りだった。
クロイスは蝋の塊を、布袋の中に戻した。ライサが布袋の口を結び直す。紐の端が、机の木に軽く当たった。
机の右端に、ライサが置いた小袋。留置場報告の小さな紙が、その脇でまだ動かないまま。
中身は、誰かが昨日まで使っていた蝋燭の燃え残りだった。




