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第8話 返答

 四月二十九日の朝、クロイスは書庫の扉を開けた。


 燭台の蝋は、昨晩クロイスが消した位置のままだった。地下書庫の扉が開く。クロイスは火を灯さず、入口の天井から下がる油灯の薄明かりだけで、机に向かった。


 机の上には、押収帳簿の山が変わらない順序で並んでいる。机の左端、控えの隣に、新しい封筒が一通置かれていた。封筒の角は、控え二枚と揃っている。封筒の上に、ガロウの字の書付。


 「商業ギルド本部より、夜分到着」


 封筒の意匠は、商業ギルド本部の局印。クロイスは封蝋を割り、中身を取り出した。


 預り口座閲覧権申請の返答書だった。


 申請対象、本店規模で運用できる三か所の預り口座。


 二か所、申請拒否。理由、規定により非公開とされる。


 一か所、閲覧権付与。条件、業務時間内に、第二局地下書庫で商業ギルド事務官の立ち会いのもと閲覧するものとする。


 クロイスは返答書を机の右端に置いた。紙端には、夜気を吸った硬さが残っている。封筒は左端に残した。


 もう一枚の書付があった。第一局からの内部報告で、書付の用紙は通常の業務報告より一回り小さい。書付の隅に、留置場担当者の署名がある。


 「ヴェロン・カスパル、核心について沈黙を継続。追加供述なし。再取調は数日後を予定」


 ヴェロンは、核心について、まだ何も話していない。次の留置場報告の予定は、明後日の朝と記されていた。


 ◇


 クロイスは押収帳簿の山の中から、ヴェロン・カスパルの執務室から押収した宮内省・庶務部の私印の封筒を取り出した。


 封筒の重さを、一度だけ確かめる。指の腹で。中身は紙束二つ分の厚みがあった。表面の紙質は薄く、長く保管された羊皮紙の柔らかさを持っている。封蝋の色は深い藍色で、宮内省・庶務部の私印が中央に押されていた。


 封蝋を割る。蝋は薄く、指の腹で押すと音もなく割れた。割れた蝋の破片は、机の上に二つだけ落ちた。


 中から、書類束が出てきた。書類束は紐で綴じられていて、結び目は宮内省・庶務部の意匠が織り込まれた色糸でとめられている。表紙には宮内省・庶務部の意匠と、見出しの文字。


 〈観察記録(四ヶ月分)〉


 観察対象は、本部・経理部所属、会計事務官二等、ヴェロン・カスパルと記されている。


 観察期間、王立暦千四十一年十二月から千四十二年四月までの四ヶ月分にわたる。


 観察項目、出勤日、面会者、退勤後の経路、書類の受け渡しの五項にわたる。


 四ヶ月分の記録は、月ごとに整然と帳簿の体裁で綴られている。日付の左端、面会者の欄、退勤後の経路の欄、書類の受け渡しの欄。書き手の筆跡は一つだけで、最後まで揺れていない。


 書類束の最後の頁に、三つの名前があった。


 「ヴェロンに名前を書き写しに来た者」候補。


 三つの名前は、左から順に並んでいた。筆跡は表紙と同じ書き手のもの。三人の名前の脇には、それぞれ短い注記が添えられている。出入りの頻度、面会の時間帯、退勤後に向かった先の街区。注記の長さは、三人とも違った。


 クロイスは三つの名前を視線で追った。一度だけ。


 書類束を、押収帳簿の山の隣に並べた。観察記録の表紙が一番上に来るように、向きを揃える。押収帳簿より薄いが、頁数は多かった。


 ◇


 昼過ぎ、商業ギルドの事務官が書庫に来た。


 事務官は中年の男だった。書庫の中央までは入らず、机の脇に立った。


 「閲覧の立ち会いに参りました」


 クロイスは机の上の場所を、片手で示した。


 事務官は手提げの書箱から、口座記録の冊子を取り出した。冊子は革張りの分厚いもので、背に金箔で番号が押されている。机の上に、冊子だけを置く。頁の角には、使い込まれた指脂の艶が残っていた。冊子の頁を開く動作も、事務官自身が行った。


 クロイスは冊子に触れない。視線だけで読む。事務官は冊子の脇に立ち、クロイスが読み終えるまで、頁の角を片手で押さえていた。


 入金記録。月の十三日と二十七日に、本部経理部からの送金。金額は一定に保たれる。


 出金記録。月末ごとに、ある住所への送金。


 住所は、王都郊外ヘイバー街二十七番地と読めた。


 リリアの調査報告で第一局が訪れた小屋の番地と、一致した。


 口座の取扱者欄には、出金のたびに別の人物の署名がある。署名は四種類あり、その筆跡を一つずつ手控えに写し取る。末尾の払いが長い。二画目の入りが浅い。観察記録に記された候補三名のうち一名と、取扱者欄の筆跡が一致した。


 クロイスは手控えに書き写した。筆跡の特徴、住所の番地、入金月日、出金月日、そして取扱者欄の署名の癖。


 事務官は冊子を畳み、手提げの書箱に戻して、書庫を退出した。書庫の階段を上がる足音は、ガロウより重く、局長より軽い。


 書庫の扉が閉まる。


 ◇


 クロイスは新しい羊皮紙を取り出した。


 ペンをインク壺の縁で整える。インクの黒が、ペン先の窪みに丸く溜まる。


 羊皮紙の最初の一行に書く。


 〈第三指示書〉


 一行目の文字は、いつもより少しだけ深く紙に沈んだ。クロイスは羊皮紙の一行目を書き終えた。


 控えの紙を、机の左端に運ぶ。二枚の控えの隣、紙一枚ぶん空いていた場所に、燭台の灯りが斜めに落ちている。


 クロイスは新しい一枚を、その空いた場所の上に置く。紙の角を、二枚の控えと揃える。


 控えの隣の空いた場所に、新しい一枚が、置かれた。


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