第10話 蜜蝋
五月二日の朝、クロイスは新しい羊皮紙を引き寄せた。書庫の燭台は二本とも灯っており、机の上には押収帳簿の山と、左端の控えが三枚並んでいる。三枚目の末尾には、昨日ファルム・トリエスの名前が書き加えられた跡がある。
ペンをインク壺の縁で整える。インクの黒は、昨日より一段濃い。新しいインクをガロウが朝のうちに補充していった証だった。インク壺の口には、ガロウの指紋が一つだけ残っている。
羊皮紙の最初の一行に書く。
〈第四指示書〉
以下、項目順に書き連ねる。
観察対象、ファルム・トリエス。所在、北区集合住宅四階。観察期間は本日より十日間とする。観察項目として、出入りの時刻、面会者、買い物の経路、同居人の出入りを記録する。
付属指示として、王都内の蜜蝋取扱店全店を当たり、ヘイバー街二十七番地で発見された蝋燭と同型の出所を追跡されたい。担当として#03と#11を当てる。
扉が叩かれた。ガロウだった。
クロイスは封筒に局印を押し、ガロウに渡す。
「行ってきます」
ガロウは封筒を、外套の内側にしまった。階段を上がる足音が、徐々に遠ざかる。書庫の扉が閉まる音は、地下書庫の石の壁に短く反響した。
◇
もう一枚の書付が、机の右端に置かれていた。書付の用紙の角は、机の木目に沿って置かれている。ガロウが置いた角度だった。
第一局からの留置場報告。書付の用紙は、いつも通り通常の業務報告より一回り小さい。
「ヴェロン・カスパル、核心について沈黙を継続。追加供述なし。面会者欄は空欄のまま。ただし、指の動きが、文字を書く形を取り始めた。机の上に指で何かを書いているが、机に痕跡は残らない。再取調は明日朝を予定」
書付の隅に、留置場担当者の署名。署名の下に、追記の小さな字。
「五月三日 朝の取調を申請済み。立ち会いを希望する者は、本日中に通知されたし」
クロイスは書付を読み終え、机の右端に置く。
ヴェロンの指が、机の上で何を書いていたかは、書付には書かれていない。机の表面は留置場の松板で、爪を立てれば線が残る。指の腹だけで書けば、痕跡は残らない。
書庫の燭台が、灯ったままだった。芯の先がわずかに長くなっている。クロイスは芯の先を、ペン先で少しだけ短く整える。
◇
昼過ぎ、ライサが書庫に入ってきた。
手提げの書箱を、机の右端に置く。書箱の表面には、王都南区の砂混じりの埃が薄く付いていた。
「あんたの指示書通り、蝋燭の出所を追跡しました」
ライサは書箱から、追跡記録の控えを取り出した。控えの表紙には、ライサが朝のうちに付けた日付。五月二日。
「王都内の蜜蝋取扱店は十一店。そのうち六店で、ヘイバー街の蝋燭と同型を扱っています。残り五店は、蝋燭の太さが違うか、芯の色が違うか、どちらかでした」
ライサは六店の住所を、控えの最初の頁に並べていた。
「過去三ヶ月で、この型を購入した客の中に、観察記録の候補三名のうち、二人目に一致する人物がいました」
クロイスはペンを取った。
「名前は、カイル・モルタ。四十代の男、王立宮内省・出納課事務員。痩せ型、髭はなく、左の頬に小さな黒子が一つあると、店主が言っていました」
ライサの声は、平らだった。
「購入頻度は、月に二度。月の十日と二十五日に、王都南区のナイカ蝋燭店で十本まとめて買っていく」
月の十日と二十五日。ヴェロンの出勤日(十三日と二十七日)の三日前。
「店主の証言は、こうです。『無口で、いつも同じ太さの蝋燭を、十本まとめて買っていく。三年ほど前から同じ客で、顔は覚えている。支払いは銀貨で、釣り銭を受け取らない』」
ライサは控えの二頁目を開いた。店主の署名が、頁の隅にある。
クロイスは机の左端の控えに、カイル・モルタの名前を書き加えた。ファルム・トリエスの隣に、二人目の名前が並ぶ。
「カイル・モルタは、宮内省・出納課の事務員。ヴェロン・カスパルが本部・経理部、ファルム・トリエスが商業ギルド本部の経理補佐。三人の所属は、別の建物、別の組織」
ライサは控えの三頁目を開いた。三頁目には、照合図が手書きで描かれている。ナイカ蝋燭店の購入記録と、ヘイバー街で見つかった燃え残りが、線で結ばれていた。
線は、ヘイバー街二十七番地で止まっていた。
クロイスはペンを置く。
昨日、ライサが持ち帰った蝋燭の燃え残り。三筋の流れ跡、短い芯。その燃え残りと、カイル・モルタがナイカ蝋燭店で月に十本買う蝋燭は、同じ型だった。
その型が、ヘイバー街の小屋に残っている。
クロイスは、机の上の燃え残りを見た。布袋から出したまま、留置場報告の隣に置いてある。三筋の流れ跡と、芯の先の白い灰。
「この型は、三ヶ月無人のはずの小屋に、繰り返し入っている」
小屋は、副支部長がリリア名義の送金先にしていた家だ。リリアは三ヶ月前に引き払い、もういない。誰もいない家に、同じ型の蝋燭だけが残っていた。
「ライサ。この蝋燭が、ヘイバー街の小屋に最後に残されたのは」
「燃え残りの蝋の柔らかさからして、昨夜か、今朝早く」
クロイスはペンを取った。
◇
クロイスは新しい羊皮紙を、もう一枚引き寄せた。
〈第五指示書〉
羊皮紙の一行目に、宛先を書く。北区集合住宅、四階。ファルム・トリエスの住居。リリアが、半年前から同居している場所だった。
保護対象、リリア。冒険者ギルド・ヴァルハイム支部副支部長の養い妹、年齢十五。第一局は北区集合住宅に先行して配置し、リリアの身柄を保護する。実行は本日中。
ライサのペンが、書き取りの途中で止まった。
「あんた、リリアを保護するのか。あの子は、容疑者じゃないだろう」
「カイル・モルタの足取りは、リリアを探す手順です」
クロイスは顔を上げない。
「カイルが小屋で何をしていたかは、読めません。読めるのは、手順です。カイルはリリアの足取りを、旧居から辿っている。今の居場所を知らない人間の手順です。私がファルム・トリエスの北区集合住宅を特定したのと、同じ記録、同じ家主の証言。カイルが同じ順序で辿れば、終点は北区集合住宅です」
「カイルの方が、先に着くかもしれない」
「だから、本日中です」
付属指示として、カイル・モルタの観察を併記する。観察対象、王立宮内省・出納課、カイル・モルタ。退勤後の経路、北区方面への移動の有無を、逐一第二局へ報告すること。
ライサが書き取りを終え、第五指示書を封筒に納めた。封蝋を、燭台の火で温める。
クロイスは、もう一枚の羊皮紙にペンを近づけた。
カイル・モルタがナイカ蝋燭店で蝋燭を買うのは、月の十日と二十五日。今日は五月二日。次の購入日まで、八日ある。その八日のあいだ、カイルの足は止まらない。
ペンが、紙の上で動く。
カイル・モルタの足も、今、どこかで動いている。




