↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王立諜報局・第二局分析官  作者: どみさん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/70

第69話 引かなかった線

 朝の書庫に、蝉の声はもうなかった。窓から入る風が、紙の端を、めくらない程度に撫でていく。机の上には、目録の控えが一部と、積まれた紙の束が一つ。


 どちらも、昨日と同じ位置にある。変わるのは、今日、この机で先に書かれる紙が、どれかということだけだ。


 クロイスは、棚から、二枚を出した。


 一枚は、角の欠けた写しの、控えだ。死んだ手の癖から起こした一枚は、綴りとともに、届かない高さへ行った。起こしたときの控えが、こちらの棚に残っている。十年、同じ場所に印を受け続けた手の、右下の濃さだけが、そこにある。もう一枚は、職員異動の処理票の写し。種別の欄に、死亡退職、とある。あの日、偽造の控えの横に置いて、線を引かずに閉じた票だ。


 名は、あの日から、氏名欄の上にある。ヨナス。読み直すのは、二度目だった。


 処理票の記載を、上から順に追う。所属の欄には照合掛とあり、勤続の年数が続き、種別の欄で死亡退職に行き着く。その下が、扶養欄だ。子一名、とある。


 二枚は、対になっている。角の欠けた写しは、働いた手の側の紙だ。手の仕事は、目録の行になって、守る側の席に残った。処理票は、残された側の紙だ。残された側の行は、まだ、どこにもない。


 親の欄が線で消され、子の行だけが残る形なら、装丁のない帳面で見た。女の家計から、消された親の分だけ、子の行の定額が増えていく、あの形だ。この票にも、同じ形の一名がいる。そして、その一名は、まだ、どの守る側の紙にも載っていない。


 同じ形の欄を、もう一つ、クロイスは知っている。


 前の生の、身内の処理票。あの扶養欄は、空欄だった。載るはずだった一名が、載る前に、数えられないまま、消えた。欄の形だけが、残っている。載らなかった一名を数える欄は、どの紙にも、なかった。


 指が、子一名の上で、一拍、止まった。


 クロイスは、二枚を、机に並べた。


 ◇


 机には、積まれた紙がある。移管の後の照合の残りが数枚、月の締めの綴りが一つ。順に片づければ、夕方までかかる量だ。


 クロイスは、その全部を、脇へ寄せた。新しい羊皮紙を、手前に置いた。


 書くのは、給付の紙だ。職員の死亡退職に係る、遺された者への給付の記録。決まりどおりに書けば、この紙は庶務の綴りへ回り、庶務の棚に置かれる。棚は、高さの届く者なら、いつか手の届く場所だ。親の欄が消された経緯ごと、静かに片づけられていく置き場所でもある。


 クロイスは、宛を変えた。王家の受理の席。摘発の綴りに係る、続きの紙として。照合掛の戻らなかった日は、摘発の線の上にある。だから、この給付は、あの綴りの続きだ。経路は、もう、敷いてある。新しく作るものは、一つもない。載せる先が、あるだけだった。


 起案の文言は、短い。照合掛ヨナス、死亡退職。扶養欄、子一名。給付の記録を受理の席の綴りに載せ、以後の紙も、同じ席で受けるものとする。額の欄には、決まりの額を、そのまま書いた。多くも、少なくもない。決まった額が、決まった日に、届き続けること。この紙の仕事は、それだけだ。


 書いている途中で、ライサが、机のこちら側の席から、羊皮紙を見た。


 「その紙が、先なのか?」


 積まれた紙の束と、書きかけの一枚を、順に見ての問いだった。責める調子は、ない。順序を、聞いている。


 「戻る紙は、ない」クロイスは、手を止めずに言った。「この一名を、先に受理の席へ載せる。だから、先に書く」


 ライサは、しばらく、書きかけの欄を見ていた。


 「そうか」


 それだけ言って、目を戻す前に、机の端の二枚の写しを、一度、見た。何も、言わなかった。


 クロイスは、書き上げた。局印を押し、控えを取り、起案を回付の箱に置いた。門を出るのは、明日の朝だ。返りが戻るまで、紙の速さぶんの日がかかる。それでいい。急いで曲がる経路は、この紙には、要らなかった。


 ◇


 夕方、クロイスは、目録の控えを開いた。


 いちばん短い行の、下の余白。死んだ手の癖から起こした写し一枚、とだけ書いた、あの行の下だ。そこへ、今日の起案の判番号を、書き足した。続きの紙、給付の記録、と。


 いちばん短かった行に、続きの行が、生まれた。行は、まだ二行だ。返りが戻れば、受理の判番号が、三行目になる。


 二枚の写しを、棚へ戻した。処理票の写しは、起案の控えと、同じ棚に置いた。追う紙の棚ではない。続きの紙の、棚だ。


 あの日、処理票を閉じたとき、線は引かなかった。引けば、追う線になった。追う線は、消した側の高さへ向かって、届かずに終わる線だ。今日引いた線は、向きが違う。処理票から、守る側の席へ。上ではなく、横へ引く線だ。消す手の届かない机へ、届く。


 引かなかった線が、一本、引かれた。


 窓の外で、日が落ちかけている。九月の夕方は、夏よりも早く暗くなる。机の上には、二枚の写しと、目録の控えと、起案の控えが、重ならずに並んでいた。どの紙にも、それぞれの欄があり、どの欄にも、数えられた者の行がある。


 処理票の隣には、起案の控えが置かれていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。