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王立諜報局・第二局分析官  作者: どみさん


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第62話 消せない網

 書庫の机へ、一枚が戻った。役所へ出した照会の、返りだ。手元の写しの、まだ上へ通していない一行を、原簿の裏づけへ結ぶために出した照会だった。返った紙には、原簿は期限廃棄で棚にない、とあった。廃棄の日付は、名の欄が埋まったと向こうへ降りた頃と、そう離れていない。


 クロイスは、手元の写しを引き寄せた。あの一点へ落ちる周縁の流れが、一行だけ、まだ上へ通していない分として残っている。その一行の裏づけは、役所の原簿にあった。原簿が棚から消えれば、写しの一行は、裏づけを失う。写しだけでは、紙にならない。


 抜かれたのは、そこだけだった。束ごとではない。まだ上へ通していない、周縁の一行。狭く、正確に、そこだけが、廃棄で消えている。広く掃けば広く消す手ではなく、結び目の一枚を、狭く抜く手だ。


 クロイスは、脇の束へ目を移した。そこに積んだ記録は、どれも、この役所の棚の高さには、ない。廃棄の手は、そこまでは届かない。消せたのは、まだ棚にあった周縁の写しの、裏づけの一行までだった。


 欠けたのは、網の外周だけだった。名の欄は、埋まったまま動かない。


 書庫の扉が開いて、ライサが外から戻った。見回りの帰りらしく、まだ外の埃の匂いがある。脇の椅子には回らず、机の端に立ったまま、裏づけを失った写しのあたりへ、目を落とした。


 「一枚、抜けたな」ライサは、その写しを、指の背で示した。「この前まで、ここには裏づけがあっただろう。役所の原簿に、一行。……それが、廃棄で、消えている。あんたの網から、外周が一つ、欠けた。名の主が、動いたのか?」


 「動いた」クロイスは言った。「向こうの手が、紙の上で、先に出た。抜いたのは、まだ上へ通していない周縁の一行だ。役所の原簿を廃棄で消せば、手元の写しは裏づけを失う。写しだけでは、紙にならない。外周が、一つ、欠けた」


 「だが、消せたのは、そこまでだ」クロイスは、脇の束を指で示した。「向こうに書かせた判番号は、控えにある。門を越えた許しは、門の先だ。上へ通した公的記録は、上の席にある。どれも、向こうの職掌の届く棚には、ない。消せるのは、まだ棚にあった周縁までだ。芯は、残っている」


 ライサは、机の端から手を離さなかった。「削られたのは、紙だけか?」目を上げる。「原簿が一つ、棚から消えた。その役所の帳場で、その原簿を頼りに立っていた誰かは、消えた一行で、宙に浮かないか? ……あんたの外周が欠けるとき、外のどこかで、誰かの足場も、一緒に、抜けていないか?」


 「抜けたのは、原簿の一行だ」クロイスは言った。「隊は出ていない。その裏づけなら、上へ通した公的記録の側にある。同じ数字を別の欄から引き直せる。新しく作るのでなく、消された一行を取り直すだけだ」


 ライサは、すぐにはうなずかなかった。裏づけの消えた写しと、脇の束を、順に見る。それから、机の端を、指の背で一度叩いて、外の見回りへ戻っていった。


 次に向こうの手がどの一行へ伸びるかは、この廃棄の一枚では読めない。周縁で棚に残る写しは、これ一つとは限らないようだった。落とす紙の形も、まだ机の上には見えない。


 クロイスは、上へ通した公的記録の側から、消えた一行の裏づけを引き直しにかかった。廃棄で棚から消えても、上の席へ上がった記録の中には、同じ数字が、別の欄で残っている。そこから、周縁の一行を、もう一度、裏づけへ結ぶ。線を引き直す作業に、夜がいった。書庫の机で、幾晩か、根を詰めた。


 三晩目か、四晩目だった。写しの一行を追う指が、途中で止まった。文字の並びが、二重に滲む。机の縁で、肘が滑った。クロイスは、そのまま、机の上へ伏せた。


 足音が、段を降りて、机の前で止まった。湯気の匂いで、目が開く。机の端に、椀が一つ置かれていた。卵粥だ。隣に、白湯の椀。火にかけたばかりの匂いが、まだ立っている。


 ヴィオラだった。読みかけの写しにも脇の束にも触れていない。椀と、肩へ回した毛布だけを置いた。彼女が見ているのは、机の上の線でなく、今日もそこで伏せたクロイスだけだった。


 「冷めないうちに」ヴィオラは、椀を、指の届く先へ寄せた。「一口だけでも」


 クロイスは、匙を取った。卵粥を、一口、口にする。ほかの誰の運ぶ椀にも手はつけないが、この女の卵粥だけは、喉を通った。椀の底の温もりが、冷えた指へ移ってくる。白湯を一口飲んで、また写しへ目を戻した。


 引き直した裏づけの一行が、上の席の記録の側から、周縁へ、もう一度結ばれている。欠けた外周は、埋まりつつあった。芯は、初めから、向こうの手の届かない場所にある。向こうの手は周縁の一行を狭く正確に消せたが、消しでは芯を落とせない。芯を落とすには、向こうもいずれ、紙の上で応えるほかないように思えた。いつ、どの紙で来るかは、まだ、この机の上にない。


 机の端で、卵粥の湯気が細くなっていく。張り直した外周の一行は、その横で上の席の記録に結ばれている。次に抜かれる一行は、まだ、その束にはないようだった。


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