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王立諜報局・第二局分析官  作者: どみさん


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第58話 紙にならない頼み

 机の上の返書は、宛を確かめよ、と一行だけ返していた。もう一枚宛を書いても、同じ一行が返る。次に要るのは、三枚目の紙ではなかった。


 クロイスは、無紋の馬車に乗った。御者は、行き先を聞かなかった。膝の上に、革の筒を一つ提げている。中には、地図の写しと、王女の名の許しが入っていた。持ってきたのは、それだけだ。車輪の音だけが、車内に残る。


 馬車が止まった。ガロウが、扉の脇に立っている。


 「俺は外まで送る。中には入れない」


 左肩を、一度だけ回す。旧傷の側だ。それから、宮内省の門の内へ、顎を向けた。クロイスは、革の筒を提げて、門をくぐった。


 宮内省の客間は、前と同じ質素さだった。机と椅子の脚だけが、王宮級だ。絨毯が、足音を吸う。踏んでも、音が返らない。扉が内へ開いて、音を立てずに閉じた。閉じたことは、空気の温度が一度動いたことで、分かった。


 銀髪の女が、机の前に立っていた。青い瞳。堅実な装束に、装飾はない。机の上には、判の空いた返書が一枚。その脇の白い欄は、宛を書き直せば通るようだった。


 クロイスは、立ったままでいた。女の目がこちらを向いている。表情の下も、声の下も、紙には出ていない。読めるのは机の上の、判の空いた返書と、革の筒に入れた業務の紙だけだった。


 クロイスは、筒から地図の写しを出した。返書の脇へ、広げる。線が、あの一つ上の席の手前で止まり、その先の余白に、一点、縁が引いてある。


 「見えた一点があります」クロイスは、その縁を指で示した。「地方の棚から抜いた分も、封で止めた綴りの先も、別々の席を通って、ここへ集まる。線の届かなかった余白に、この一点は、あります」


 女は、図の縁を見た。指は、伸ばさない。その一点までの距離を、机の上で量っているようだった。


 「その一点へ、名が要る、と」


 「この門を通せるのは、この名だけです」クロイスは、許しの一枚を、図の脇へ置いた。宛の欄には、冒険者ギルドの後ろ盾、と書いてある。「宛を書き直せば、この許しは、この門へ回せます。下から積んだ番号では、届かない欄です」


 女は、許しの宛を、しばらく見ていた。それから、抑揚のない声で言った。


 「あなたは、あの時も、紙の外は量らないと言った」


 クロイスは、答えなかった。あの時、女は、後ろ盾の名を、業務の経路より先に、自分へ寄越せと言った。クロイスは、業務の経路の話をした。その断りは、どこにも回っていない。回付も、判もない。今も、紙にはなっていなかった。


 「量りません」クロイスは言った。「今も、量れません。ですが、今日は、紙に出るものを、持ってきました」


 女の目尻が、わずかに細くなった。クロイスは、返書の宛の欄から目を離さない。


 「業務上、と」


 繰り返す声に、抑揚はない。


 「業務の紙です」クロイスは言った。「この一点へ名が要るのは、記録の必然です。私が、あなたに、頼むのではありません。記録が、この名を、指しています」


 女は、机の縁に、指を一度触れた。


 「あなたは、一つも、曲げないのね」


 「曲げません」


 「あの時、断ったことも」


 「撤回しません」クロイスは言った。「あれは、業務の経路の話でした。今日も、業務の経路の話を、しに来ました」


 女は、少しのあいだ、黙ってから、口を開いた。返書の余白は、その間も空いたままだった。


 「あなたが曲げないことは、知っている。曲げないから、あなたの紙は、信じられる。……業務の紙は」


 女は、「業務の」の前で一度、言葉を切った。唇が開き、閉じる。その位置に置ける紙は、まだ、机の上になかった。


 女は、机の上の許しを、手前へ引いた。宛の欄の、冒険者ギルドの後ろ盾、という一行に、細い二重線を引く。その脇へ、新しい宛を書いた。図の縁の、あの一点の門だ。書き終えて、筆を置く。


 女は判を手に取り、書き直した宛の下へ押した。朱が紙に落ちる。机の上に残ったのは、宛を書き直した許し一枚だった。


 「照会は」女が言った。「あなたの経路で、門へ出す」


 「業務の経路で、出します」クロイスは、その一枚を筒へ収めた。「返りは、紙になって、決まった順に、決まった机を回ります」


 女は、うなずかなかった。ただ、判の空いた返書を、指の背でこちらへ寄せた。もう要らない紙に見えた。


 「考えておいて、とは、言わない」女は言った。「これは、業務の紙だから」



 ◇



 書庫へ戻る馬車も、無紋だった。車輪の音が、行きと同じ拍で、車内に残る。膝の上の革の筒に、宛を書き直した許しが、一枚。判は、押されている。門へ出す照会は、これから書く。


 あの客間で女が一度開いて閉じた唇の、その位置に置ける紙は、筒の中になかった。宛を書き直した許しにも、判の押された欄にも、それは載っていない。紙にならない頼みは、宮内省の机の上に置いてきたままだ。


 判は押され、宛は書き直された。それでも、図の一点には指がかかっていない。許しは、これから書く門への照会の下に置かれる一枚になるようだった。


 馬車が、書庫の方へ折れる。膝の上の筒は、行きより、指一枚ぶん重い。中の一枚に、判が、増えていた。


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