第57話 返らない許し
机の上には、王家の紙が一枚、出ていた。四枚の控えの脇、束の底から引き上げて、そこへ置いたきりの、王女の名の許しだ。角の丸まりは、束の底で長く沈んでいた頃のまま、まだ戻らない。
宛を別の門へ回してもらう照会は、数日前に、正規の経路へ載せた。返りは、まだ来ない。地図の線は、あの一つ上の席の手前で止まり、その先の欄は、白いままだった。
クロイスは、許しを、地図の上へ重ねた。名の効く高さを、線の走る面に、合わせる。名が届く席は、白い欄より上にあり、線が止まった欄の先まで、この名の面はかかっているように見えた。
その面から、止まった線の先を、たどる。地方の棚から抜かれた分と、封で止めた綴りの先が、白い欄を越えた向こうで同じ方へ折れ、折れた先は一点で重なった。
これまで、そこは白かった。名の面を重ねると、線の届かなかった余白に一点の縁ができる。地方の棚も、封で止めた綴りも、別々の席を通って、あの一つ上の席よりさらに外の、その一点へ集まっていた。
縁が、見えただけだった。クロイスは、その一点に指を触れず、名の面がどこまでかかるかを地図の上で確かめた。許しは、まだこの一点の門へ貸されていない。見えた先は、紙の上だけにあるようだった。
書庫の扉が、外套の裾ごと開いた。ライサが入ってくる。机の端では止まらず、脇の椅子へ回って、腰を下ろした。地図も、控えも、王家の紙も、クロイスと同じ向きで、彼女の前にある。
ライサの目が、地図の、一点で止まった。線の集まる、その縁だ。
「そこは、さっきまで、白かった」ライサは、その一点を、指の背で示した。「見えるように、なったのか」
「見えるようになった」クロイスは、許しの名の欄を、指で示した。「この名の効く高さから、線の先をたどると、一点へ落ちる。地方の棚も、封で止めた綴りも、みな、そこへ集まっていた」
「だが」ライサの指は、縁から動かない。「見えて、それで、届くのか。あんた、その一点へ、まだ、指一本、触れていないだろう」
「触れていない」クロイスは言った。「見えたのは、縁だ。ここへ名を貸してもらう判は、まだ、下りていない。見えるのと、通るのは、別だ」
ライサは、すぐには、うなずかなかった。「見えた、というだけなら、私の側は、何も変わらない。棚は棚、綴りは綴りのままだ。縁が一つ増えて、動いた席が、一つでもあるか」
「ない」
「なら、私が見張るのは、その縁じゃない」ライサは、地図から目を上げなかった。「あんたが、それを、どう使う気か、だ」
クロイスは、答えなかった。名の面がどこまでかかるかは地図の上に出た。だが、それをどこへ回すかは、まだ写しの返りの中にあるようだった。
ライサは、しばらく、地図の縁を見ていた。それから、白紙の脇に置いた、照会の写しへ、目を移す。
「その、名を貸してもらう照会は、数日前に、出したな」ライサは、写しを見たまま言った。「返りは」
「まだ、来ない」
「その判は」ライサは、写しから、クロイスへ目を上げた。「紙では、返らないんじゃないのか」
クロイスは、答えなかった。
「あんたが、この前、言った」ライサは、続けた。「名を添えた日に、王女が、紙にならない頼みを、一つ置いた。あんたが、それを、断った。回付も、判も、どこにもない、と」ライサの指が、写しの宛の欄で、止まる。「紙にならないものを、宙に置いたまま、紙の照会だけ回して、判が返ると思うのか。返らないものが、その判を、留めているんじゃないのか」
クロイスは、地図の一点を、見ていた。縁は、見えている。そこへ名を貸してもらう判は、まだ、写しの返りに、なかった。
書庫の扉が、もう一度、開いた。今度は、外套ではない。回付の者が、一枚を机へ置いて、下がる。正規の経路の、返りだった。数日前に出した、転用の照会の、返りだ。
クロイスは、その一枚を、手前へ引いた。ライサは、椅子の上から、見ている。
返書に、王女の判はなかった。空いた判の欄の脇に、宛を、もう一度、確かめよ、と一行だけある。別の門への転用は、この宛のままでは回せない。
クロイスは、その一行を二度読んだ。判を押し直すには宛を確かめよ、とだけ返し、判の欄は空けてある。回付の印は正規のものだった。手続きの上では、留め置きのようだった。
余白の一行の下には、名を添えた日に王女が置き、クロイスが断った頼みの跡がない。どこにも回っていないものが、紙にならないまま、この判を留めていた。
机の上には、縁の浮かんだ地図と、判の空いた返書が並んだ。一枚には、白い欄の先の一点が形を持ち、もう一枚には、そこへ名を貸す判がない。見えても、通らない。
「もう一枚、書くか」ライサが、椅子の上から聞いた。
クロイスは、白紙へ手を伸ばさなかった。もう一枚宛を書いても、同じ一行が返る。判の空いた返書と、縁の浮かんだ地図の間に残ったのは、紙で断った相手の前へ、自分で立つ余地のようだった。




