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王立諜報局・第二局分析官  作者: どみさん


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第56話 束の底の一枚

 盤は、凍ったままだった。机の上には、動いた順の三枚と、取り下げの一枚がある。地図の線は、あの一つ上の席の手前で止まり、その先の欄は白い。向こうは、手を止めたきり、番号を増やさない。


 クロイスが四枚を指の腹で少し脇へ寄せると、下から積んだ番号は門の手前で止まっている。この四枚のどこにも、あの白い欄を越える紙は、なかった。答えは、束の上にはないようだった。


 四枚の下に、束がある。封を載せるより前から、この机に積んできた古い控えだ。動いた順ではなく、来た順に、下へ下へと沈んでいる。クロイスは、束を、いちばん下から繰った。


 冒険者ギルドの閲覧控えと、三つの口座の記録、人事起案の写し。どれも、席から席へ判を継ぎ、下から積み上げてきた紙だった。その、いちばん下に、一枚、手触りの違う紙がある。


 地の色は、束の他の控えより濃く、厚みも指に一枚ぶん重い。角は、束の底で長く沈んでいた分、わずかに丸まっている。王家の紋が押された、外への請求に王家の名を添える許しだった。冒険者ギルドの後ろ盾へ金貨の裏づけを請う一枚に、王女が名を添えた、あの紙だ。


 これは、下から積んだ番号ではなかった。席から席へ、上へ上へと継いできた紙ではない。上から、降りてくる一枚だ。白い欄の、さらに上――王家の名から、机へ降りる。下から積んで届かなかった欄を、越えうる系統の紙が、机の上の四枚ではなく、束の、いちばん下に、ずっとあった。


 クロイスは、その一枚を、束の底から抜いた。紙の角が、指に触れる。


 書庫の扉が、外套の裾ごと開いた。ライサが入ってくる。机の端で止まらず、そのまま脇の椅子へ回り、腰を下ろした。地図も、控えも、束も、クロイスと同じ向きで、彼女の前にある。


 「一枚、抜いたな」ライサは、クロイスの手元の紙を見た。「四枚じゃない。束の底からだ」


 「束の底にあった」クロイスは、その一枚を、二人の間へ置いた。「王家の名を添える許しだ。外への請求に、王女が名を貸した。門の先へ、紙が通る」


 ライサの目が、紙の紋と、地図の止まった線を、行き来した。


 「これは、あんたが下から積んできた番号と、系統が違う」ライサは、四枚の控えを、指の背で示した。「その四枚は、下から積んで、あの欄に届かなかった。この一枚は――上から、降りる紙か」


 「上から降りる」クロイスは、許しの、名の入った欄を指で示した。「下の席が、いくら判を継いでも、この名は入らない。名は、上からしか、降りない。番号では、埋まらなかった欄だ。この系統でなら、越えうる」


 ライサは、しばらく紙を見ていた。それから、許しの、宛の書かれた側へ、指を移した。


 「だが、これは、一度きりの用途に添えられた紙だろう」ライサの指が、宛の欄で止まる。「冒険者ギルドの後ろ盾へ、と書いてある。別の門へ回すなら、この宛のままじゃ通らない。王女が、もう一度、判を要る。あんた、それを、頼めるのか」


 クロイスは、地図の線から、目を上げなかった。頼めるのか、という問いに、紙の上の欄では、答えが出ない。


 「この一枚には」クロイスは、許しの、余白の側へ目を落とした。「頼みが、付いていた。紙にならない頼みだ。名を添えた日、王女は、別の頼みを、一つ置いていった。私が、それを、断った」


 ライサの指が、許しの上で止まった。宛の欄を、一度撫で、余白の側へ移す。どこにも、その断りは書かれていない。回付の印もない。紙の上には、頼みの跡が一つもなく、余白だけが紙の外を残しているようだった。


 「その頼みは、どこにも回っていない」ライサは、余白を見たまま言った。紙から読めない一枚を、初めて聞く声だった。「回付も、判もない。断った、というのも、口だけか」


 「口だけだ」クロイスは言った。「紙にならなかった。断りも、紙にはない」


 ライサは、許しから、指を離した。


 「なら、この一枚を取るというのは」ライサは、ゆっくりと言った。「その、断った頼みに、もう一度、手を触れるということだ。名を貸した相手に、別の門へ回してくれと頼む。一度、頼みを断った相手に、だ」


 「そうだ」


 地図の線は、あの一つ上の席の手前で止まっていた。許しは、越える紙の在り処であって、越えた紙ではない。宛が合わないかぎり、門は越えられないようだった。


 しばらく、二人とも、口を開かなかった。燭台の火が、外套の裾の動きに、一度だけ傾く。ライサは、椅子の上で、許しから目を離さない。


 クロイスは、王女の名の一枚を、束の底へは戻さなかった。四枚の控えの、脇へ置いた。下から積んだ番号の四枚と、上から降りる許しの一枚が、同じ机の上に、並ぶ。片方は、下から積んで、門の手前で止まった。もう片方は、上から降りて、まだ、宛が合わない。


 「書くのか」ライサが、椅子の上から聞いた。


 「書く」クロイスは、白紙を一枚、手前へ引いた。「宛を、別の門へ回してもらう照会だ。まず、王女へ出す一枚から」


 筆を執る手の下で、白い欄は、まだ白かった。許しは、降りていない。だが、越える紙の在り処が、束の底で、初めて指に触れていた。その一枚を机の上へ引き上げるには、一度断った頼みに、もう一度、頭を下げる紙が要るようだった。


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