第37話 薄い門
七月の初め、夜明け前。私は男爵レーフェの領地の外塀に、背中をつけて立っていた。
半信半疑のまま、ここまで来た。机の男の紙が、突入の刻を半刻ずらしている。荷の出入りのない刻、給金の割増の出ない刻、徴収金が奥の金庫へ寄る刻。そういう刻なら門が薄い、とあんたは書いた。書くのは楽だ。門の向こうで何が動くかは、紙には写らない。
だが、門が薄かった。
三チームを、塀の三方へ配した。ガロウが東、マルクが裏の搬入口、私が正門。常なら正門に立つ門番の数を、私は目で数える。二人。それだけだ。荷を入れる刻なら、ここに四人は寄る。今は寄っていない。割増の鐘も鳴っていない。塀の内側から、足音が奥へ引いていくのが、石越しに伝わってくる。金庫の方へ、人が寄っている。
元の隊でいくつも門を割ってきた。門の薄さは、近づけば肌で分かる。塀に手をついて、人いきれの厚みを測る。今夜は、薄い。あんたが机で読んだ刻が、私の手のひらの下で当たっている。
門が、紙の書いた数まで薄くなっている。
息を浅くして、私は塀の冷たさを背中で測った。手の力を、一度抜く。机の男の刻に、現場が合っている。
合図を出した。三方から、同時に入る。
◇
内庭まで押し込んだ。門番二人は、声を立てる前にガロウが伏せた。マルクが裏から金庫の手前を押さえる。流れた血は、石の上にひと筋もない。隊員の数を、私は頭の中で数え続けている。十二。一人も欠けていない。返事を取る暇はない。肩の位置と足音で、まだ全員が動いていると数える。
奥の回廊で、足音が一つ、速くなった。護衛の靴音ではない。重い上衣の裾が、壁を擦る音を混ぜている。レーフェだ。徴収金の集まる刻に、当人も奥の金庫の側にいる。逃げるなら、守りの厚い東棟へ抜けるのが筋だ。そこには護衛が残っている。
体が、東棟へ向きかけた。厚い一点を正面から押して、退路を断つ。元の隊なら、そうした。守りの濃い側を割って、相手を追い込む。手が、そっちへ動く。
止めた。
紙は、東棟を指していない。机の男が引き直した経路は、薄い側だ。金庫へ寄った人数の裏、誰も詰めていない西の細い通路。徴収金が奥へ集まる刻だから、護衛も金庫へ寄っている。レーフェが東棟へ逃げても、護衛と一緒に行き止まりへ詰まるだけだ。逃げ道は、紙の経路で塞がれている。
厚い側を押す手を、引いた。引いた分だけ、足が西の通路へ向く。喉の奥で、いつもの突撃の合図を呑み込む。本能が押せと言う。紙の線は、そちらへ引かれていない。私は紙の側に立った。
通路の先で、レーフェの足音が止まった。金庫から離れて外へ抜けようとした男の前に、薄いはずの細道がある。その細道の出口に、私がいた。
「王立諜報局・第一局の指示書に基づき、確保する」
レーフェは、肩で息をしていた。夜明け前の冷えに着込んだ上衣の襟が、乱れている。前にいるのが第一局だと分かるまで、目だけがまだ出口を探していた。腕を後ろへ回す。抵抗は、長く続かなかった。
捕らえた。
マルクが裏口の戸を開け放つ。朝の光が、内庭の石を白く撫でた。私は、もう一度だけ数を数える。ガロウ、マルク、その後ろ。十二人。一人も、欠けていない。
手の力が、ようやく抜けた。
厚い側を押していたら、護衛と正面でぶつかっていた。誰かが一人、欠けていたかもしれない。私は、自分の本能を引いた。引かせたのは、机の男の薄い経路だ。
◇
書庫の机に、第一局からの報せが届いた。事務官が運んできて、上に一行、覚えを書き添えてある。
男爵レーフェ、確保。後ろ盾の一人が、塀の内側から外へ出た。クロイスは現地へは行かない。男爵の領地を押さえるのは、第一局の領分だ。机に届くのは、いつも紙になってからだ。
報せの隅に、第一局の様式で一行が足してある。捕らえたレーフェの取り調べが、これから始まる。供述は、追って第二局の経路へ写しが来る。何が紙になって来るかは、まだ届いていない。供述の中身も、その先に出る名も、今は空のままだ。
クロイスは、領地の控えを開いた。突入の刻のところに、第一局が「合致」と書き入れている。半刻ずらした刻に、門が薄かった。給金の控えに書いてあった常の人数、出入りの控えにあった荷のない刻、金の段取りの控えにあった徴収金の寄る刻。三枚の控えが揃って落ちる刻に、現場が合っていた。
刻は記録から定まり、記録の通りに薄かった。
報せの下に、もう一枚、別の手で書かれた紙があった。第一局の様式ではない。荒い字だ。
損耗の実数、と一行だけ見出しがある。その下に、ライサの筆跡で数が書いてあった。
欠けた隊員、なし。
以前、ライサは言った。クロイスの紙は命の数を書けない、書けない所は現場が決める、と。その現場が、今度は自分の手で数を紙にしていた。見込みの欄には、線で消した一割の下に二分が入っていた。ライサの紙には、二分ですらない数が、荒い字で書いてある。欄ではなく、現場の手で書かれた数だ。
クロイスは、二枚を机の上に並べた。第一局の様式の見込みと、様式によらない荒い字の実数。同じ突入の、同じ損耗を指して、二つの数が机の中央で隣り合っている。
ライサの荒い字の数が、印刷のように整った見込みより、一段、軽い。




