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王立諜報局・第二局分析官  作者: どみさん


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第28話 動かない一行

 六月の半ば、書庫。机の図には、開設欄に判の形だけが入っていた。名は、まだ書いていない。


 クロイスは、商業ギルド本部に、もう一枚を請求した。結びの判を扱える役職の、在席の記録だ。誰が、いつ、その判を扱える席にいたか。異動と交代も、すべてつけて、数年ぶん。空の器が三つ作られた、その三つの時点に、誰が判を扱える席に座っていたか。それが分かればいい。


 数日前に開設記録を出させた筋がある。今度の請求は、前ほど渋られなかった。事務官の手続きが一つ挟まって、名簿の写しが、立ち会いのもと、書庫に届いた。数年ぶんの席と名と日付が綴じ込まれて、思いのほか厚い束になっていた。クロイスは、現地へは行っていない。今度も、紙の方を、こちらへ呼んだ。


 ◇


 クロイスは、名簿を開いた。


 結びの判を扱える役職は、一つではなかった。開設の決裁には、本部のいくつかの席が関わる。その先で、結びの判を通せるのは、そのうちの数席だけだ。指で足りる数だった。


 だが、席にいる者は、年ごとに替わっていた。一つの席は、二年で別の名になっている。別の席は、去年、人が交代した。名の脇には、どこからどこへ移ったかの、異動の日付が並ぶ。名簿は、その入れ替わりでできていた。本部の決裁の席は、長く同じ者を座らせない。二年か、三年で回す。そういう慣例らしかった。


 クロイスは、三つの口座が開かれた日を、もう一度引いた。一つ目は、三年前の春。二つ目は、翌年の秋。三つ目は、去年の冬だ。


 その三つの時点を、名簿に当てていく。


 三年前の春、判を扱える席に座っていた名を、すべて拾う。同じことを、翌年の秋にもやる。去年の冬にも。三つの期の、判を扱える席の名を、紙の上に書き出して、縦に三列、並べた。


 多くの名は、一度きりだった。三年前の春に席にいた者は、翌年の秋には、別の部署へ移っている。その名は、二つ目の期の列には、もうない。秋にいた者も、冬にはいない。席は同じでも、座る者が、期ごとに違っていた。


 クロイスは、一つ目の列の名を、二つ目の列と照らした。重ならない名に、線を引いて消す。残った名を、三つ目の列と照らす。また、消す。三列を縦に走らせるうちに、紙の上から、名が一つずつ減っていった。


 最後まで線の引かれなかった名は、一つだけだった。三回とも出てくる、その一つ。


 他の席は、人が替わる。二年で、三年で、別の名になる。なのに、一つの席の、一つの行だけが、三年のあいだ、同じ名のまま動かない。回すはずの席に、一人だけ、座り続けていた。


 ここまでは、紙の上にある。散らしてあった三つの口座の、結びの判を、三回とも押せる席にいたのは、その一行の名だ。役職は数席あっても、三つの期を通して同じ判を扱える場所にいたのは、一人。口座を散らした手と、判を通せる席が、ここで一つに重なった。


 散らすのは、外へ向けた顔だ。申請の名も、窓口も、開いた日も、いくらでも変えられる。だが、判を押す席は、変えられない。器を三つ作るあいだ、誰かがその席に座り続けていなければ、三つに同じ判は揃わない。散らせるものを散らしたあとに、散らせなかったものが、一つ残った。それが、この一行だ。


 クロイスは、その一行を、指で押さえた。


 名簿に出るのは、席と、名と、いつそこにいたかまでだった。その席が、何を考えてその判を押したのかは、どの欄にも書かれていない。自分の意思で押したのか、上から言われて押したのかは、出ていない。確保したヴェロンは、名前を、書き写しに来ただけだと言った。誰かに言われて、空欄に名を写しただけだと。この席も、同じかもしれない。判を預けられただけの席か、自分の手で選んで押した席か。意思は、名簿の外にあった。


 ◇


 クロイスは、机の図に、その一行を引き写した。判の形だけを入れた開設欄。その隣に、名簿の一行を移す。だが、まだ仮だ。本人か、握らされたか、決まっていない。


 次に要るのは、その名が、自分の意思で押したのか、言われて押したのかを、分ける材料だ。その席の周りに、三つの口座の金が寄ったか。あるいは、何も寄っていないか。判を押した後に金貨が一枚でもその名へ流れていれば、利得の欄として紙に置ける。何も流れていなければ、ただ預けられていただけの可能性が残る。名簿には載らない、金の側の記録がいる。口座から出た金が、どこへ流れたか。その先に、この一行の名が、あるかどうかだ。


 机の端で、湯気が立っていた。卵粥の椀は、もう下げられている。代わりに、白湯の椀が一つ。ヴィオラが、新しい湯を置いていったらしい。燭台の蝋も、いつのまにか継ぎ足されていた。クロイスは、そちらへ目を向けなかった。指は、名簿の一行に置いたままだった。


 名簿の、判を扱える席の欄。三年ぶんを、上から下へ繰る。


 どの席も、名が入れ替わる。異動で、交代で、行ごとに別の名が並ぶ。


 一つの行だけが、三年、同じ名のまま、動かなかった。


 散らしてあった口座の先で、繰っても変わらない一行だけが、残った。


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