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王立諜報局・第二局分析官  作者: どみさん


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第29話 流れない金

 六月の下旬、書庫。机の図には、開設欄の隣に、名簿から写した一行が並んでいた。だが、まだ仮だ。本人がその判を押したのか、ただ預けられていただけか、決まっていない。


 決めるには、金の側を見るしかない。利得が、その名へ流れているか。それが、本人と、ただ預けられただけの者を、分ける一つの欄になる。金の向きを見れば、机の一行を、どちらに置けるかが決まる。


 クロイスは、新しい紙を請わなかった。数日前に出させた三口座の記録を、もう一度机に広げる。これまで見ていたのは、入る側だ。今度は、出る側を引く。三つの口座から、金がどこへ出ていったか。


 利得で押した判なら、見返りがどこかに残る。三口座の金が、その一行の名のほうへ、一筋でも寄っているはずだ。出ていった金の先に、その名があるか。それだけを、探す。


 クロイスは机から動かない。記録は、もう手元にある。広げて、端から、線を引くだけだった。


 ◇


 三口座から出た金を、出先ごとに辿る。


 金は、いくつもの名へ枝分かれしていた。帳面の上で、出金の行き先が、何本もの線になって伸びる。受け渡し役の手当へ、別の預り口座へ、地方の家令への戻しへ。線は、数えても十は超えた。三つの器から出た金は、四方へ散っていた。


 クロイスは、その線の先を、一つずつ、机の一行と照らした。受け渡し役の名前も、別口座の名義も、家令の名も、どれも机の一行とは違う名だった。一本ずつ、印をつけて、外していく。


 線を、最後まで引ききる。三口座のどこから出た金も、その一行の名のほうへは、一筋も伸びていない。出金の先に並ぶどの名も、机の一行ではなかった。


 金が、名を変えて、その席へ戻る道もある。クロイスは、別口座の先も辿った。一つ先、二つ先の口座まで引いても、線は、その一行へは曲がらない。金は、その席を避けるように、ほかの名へだけ流れていた。利得の欄は、空のままだ。


 利得で押したなら、利得の欄に何かが残る。判を押す立場にいて、その判で金が動いたなら、金の線のどこかに名が出る。だが、出ていない。判を押した席に、見返りの金は、流れていなかった。


 ここで、紙が止まりかけた。利得がないなら、自分の意思で三年、判の前に座る理由は、この記録には出ない。割に合わない席だ。なのに、その席は、三年そこにあった。


 クロイスは、名簿のほうへ目を戻した。今度は、在席の欄ではない。その脇の、異動の欄だ。


 判を扱える席は、二年か三年で人が動く。名簿の異動の欄に、移った日付と、移った先が並んでいる。一つの席は、二年で別の課へ移っていた。別の席は、三年で地方の支所へ出ている。さらに別の席も、間に一度、欄が埋まっていた。決裁の席は、長く同じ者を置かない。どの席も、何度か動いている。


 その一行だけが、違った。


 異動の欄が、三年、空のままだった。移った日付もない。移った先もない。その席を動かす紙が、一度も書かれていない。


 利得もなく、動かされもせず、その席は三年、同じ場所に置かれていた。


 判を扱える席を、三年そこに留めておくことは、その席に座る者自身には、できない。自分で自分を動かさずにおく紙は、書けない。異動は、本人の手の外にある。


 誰かが、その席を動かさずに置いた。利得の線を残さず、ただ判の前に座らせ続けた手が、別にある。回す決まりの中で、その一つだけを、回さなかった手だ。


 席を回すのは、決まりだ。その決まりを、一つの席にだけ、効かせなかった。二年三年で人を移す紙を書く側が、その一行の上では、紙を書かずにいた。動かした記録は、欄に残る。だが、動かさずにいたことは、どこにも残らない。だから、三年、その一行は、誰の目にも、ただ長い在席に見えていた。


 攻め口が、また横へ寄った。判を扱える席ではない。その席を、三年動かさなかった側だ。人事に手を出せる立場。


 ただ、それが誰かは、出金の記録にも、名簿にも出ていない。席を動かせるのは、人事を決める側の、限られた手だけだ。その手の名は、この紙には、まだなかった。


 ◇


 クロイスは、机の図に手を入れた。名簿の一行の脇に、利得の欄を一つ引く。だが、その欄は、空けたままにした。金は、ここへは流れていない。


 その一行の上に、もう一つ、場所を空ける。その席を、三年そこに置いたままにした手の場所だ。判を押したのは、机の一行。だが、その手を判の前に三年留めたのは、別の手だった。図の上で、一行の上に、空白が一つ増えた。まだ、名はない。


 次に要るのは、人事の側の記録だ。誰の手で、その席が、三年動かされずに済んだのか。判を扱える者の名簿ではない。その名簿に、動かす紙を書き込む側。さらに一つ外の記録がいる。


 机の端に、白湯の椀があった。冷めかけている。クロイスは、一口だけ飲んだ。椀を戻し、また図に目を落とす。


 三口座から出た金の、どの線も、その名には届いていない。


 利得の流れない席が、三年、同じ場所にあった。


 動かされもせず、金も受けず、その席は、ただ、そこに置かれていた。


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