第25話 受け渡し
六月一日。私は、王都商業ギルドの一画にいた。
登録者なしの預り口座の窓口が、広間の隅に見える。金を出し入れする者が、そこに並ぶ。私は、柱の陰から、その列を見ていた。
ガロウ #11 が表の出入り口、マルク #07 が裏の通用口。私が窓口の正面。三方を押さえて、窓口の前だけ空けている。
渡された紙にあるのは、二つだけだ。出金の窓——領地入金から四日のうち。それと、取扱者の三つの署名。誰がいつ来るか、何人で来るか、武器を持っているかは、その紙に書いていない。そこは、私が見て決める。
クロイスの紙は、いつもそうだ。最適解だけ書いて、こっちの命の数は書かない。書けない所は、私が決める。今日も、そうだ。
待つ。広間の人の流れを、端から数える。商人、使い、書記。手元と足取りで、窓口に用のある者と、ない者を分ける。
待つのは、嫌いじゃない。動く前の時間は、いつも静かだ。息を浅くして、人の数だけが頭の中で増えたり減ったりする。広間の灯りが、床の石に長い影を引いていた。
昼を過ぎた頃、一人が窓口に寄った。
書類を滑らせる手つきに、覚えがあった。窓口で書いた署名の末尾が長い。紙にあった三署名の癖だ。あの角度で書く者は、そう多くない。出金者だ。
男は、窓口で金を受け取った。布の袋に入れて、懐に収める。表口へ歩き出す。
私は、動かなかった。
獲れば、楽だ。今この男を押さえれば、一人を獲れる。だが、それで終わりだ。この男は、金を運ぶだけの手。その先に、渡す相手がいる。クロイスの紙にあった——流れを切るな。上を見たい。
切らない。私は、男を泳がせる。
ガロウに合図を送った。表で受けろ。マルクは裏のまま。私は、距離を置いて、男の背を追う。
元の隊では、こういう間合いは体に入っている。近すぎれば気づかれる。遠すぎれば見失う。人の流れの中に、二人分の幅を置いて、男の肩だけを視野に残す。
市の通りは、人が多い。多いほど、追うのは楽だ。一人の背は、群れの中ではかえって追いやすい。男は、後ろを気にしていない。自分が運ぶ袋を、誰かが見ているとは思っていない。
男は、商業ギルドを出て、市の通りを抜けた。路地を一つ折れる。私も折れた。隊員は、晒さない。表の通りの側に置いたまま、私だけが影に入る。
路地の奥で、男が足を止めた。別の人物が、待っていた。
受け渡しだ。男が懐の袋を出す。相手が受け取る。この相手が、次の手——上の一段だ。
ここだ。
袋が相手の手に渡った、その瞬間に、私は出た。獲るのは、男ではない。袋を受け取った方だ。上に近い方を、押さえる。
相手の腕を取って、壁に寄せた。袋ごと押さえる。男の方は、ガロウが表で受けた。声は、ほとんど立たなかった。隊員は、一人も欠けていない。
受け取った方は、若くはなかった。手は荒れていない。荷を運ぶ手ではない。金を受けて、また別の手へ回すだけの、繋ぎの手だ。
押さえた相手に、私は聞いた。
「この金を、次に誰へ渡す」
相手は、一人の名を言った。だが、その先は知らない、と言った。自分は受け取って、次の一人へ渡すだけだ。口座を作った者の名も、金を集めている頭の名も、知らない。知らされていない。
各段は、次の一段しか知らない。そういう作りだった。
紙は、ここまでは書けなかった。獲るか、泳がせるか。どこで線を引くか。来てみないと、分からなかった。クロイスの紙が終わる所で、私が決めた。一段、上げた。
◇
六月一日の夜、書庫。ライサの現場報告が、机に届いた。
机を離れた一行が、紙になって戻ってきた。
クロイスは控えを開いた。段を、書き足していく。一番下は、家令ドーラン。地方で、原簿に抜きを書く手だ。その上で、出金者が王都の口座から金を引く。さらにその上で、受け渡し役が金を受けて、次へ回す。三つの段が、下から順に並んだ。
だが、その上の登録者の欄は、まだ空だ。
報告には、受け渡し役の言葉が写してあった。次に渡す相手の名は知っている。だが、その先は知らない。各段は、次の一段しか知らされていない。下から登っても、頂点には届かない作りだ。
獲った一人から聞き出しても、出るのは次の一人の名だけだ。その次を獲っても、また次の一人。段を一つずつ潰しても、頂点は、最後まで誰の口にも上らない。そういう設計になっていた。
クロイスは、ライサの判断を、控えに正確に写した。泳がせて、受け渡しで上を取り、隊員を一人も欠かさなかった。紙には書けなかった線を、現場の目が引いていた。報告の段取りには、抜けが一つもない。
控えの段が、一つ増えた。捕らえた受け渡し役は、次に渡す相手の名を吐いた。そこへ、もう一段辿れる。
登録者の欄までの距離が、一段、縮んだ。




