第24話 紙の外
五月二十九日の夜、書庫。控えには、二つの領主の名が並んでいた。男爵レーフェと、子爵フレンセン。その二人の下に、家令ドーランの名が続く。金の流れ先は、登録者なしの預り口座だ。登録者の欄は、空のままだった。
紙で読めるものは、揃った。だが、ここから先は別の欄になる。
地方領主は、自治の中にいる。帳簿は、王家私紋の書付で取れた。だが、領主そのものの身柄は別だ。第二局の指示書は、城門で止まる。領主一人を獲ることは、王位継承の資金線に手を入れることになる。指示書一枚で動かす重さではない。
クロイスは、別の場所を見た。
獲れる体は、王都にある。登録者なしの預り口座から、金を引き出している手だ。出金のたびに、取扱者の署名が変わる。誰かが、その金を取りに来て、上へ運んでいる。
口座の写しには、出金の記録も残っていた。領地から入金があってから数日のうちに、必ず出金が一つ立つ。次の入金が来る前に、金は引き出されて、どこかへ消える。入れる刻が決まっているなら、出す刻も、おおよそ決まっていた。
その手を一つ押さえれば、金を渡す相手が見えてくる。取りに来る者は、上から使われている。一人を捕まえれば、雇い主の方へ、線が一本伸びる。
領主の名は、紙に出た。だが、紙に出た名と、獲れる体は、別の場所にある。獲れるのは、金が紙から出て、誰かの手に渡る、その一点だけだ。
クロイスは決めた。地方領主は、直接狙わない。王都の商業ギルドの、あの口座の出金を、第一局に張らせる。
王家私紋の書付を、また使う手もあった。だが、これは王都の口座の話だ。城門の内側なら、第二局の指示書が届く。王女の手を借りるまでもない。
◇
階段を、足音が降りてきた。降り始めから速い。ライサだった。
黒い短髪、戦闘服、腕の内側の傷三本。鋭い目が、机の上の控えを一度走った。指示書を受け取りに来たのだ。
「あんたの紙、今度は人を待つのか」
「金を待つ。それを取りに来る者を、押さえる」
クロイスは、張り込みの対象を渡した。王都商業ギルドの、登録者なしの預り口座。出金のたびに取扱者の署名が変わる口座だ。次に金を取りに来た者を、確保する。
「いつ来る」
「直近の領地入金から、四日。出金は、いつもその頃に立っている。早ければ明日、遅くとも三日のうちだ」
ライサは、机の写しの数字を見た。
「来る時刻までは、書いてないな」
「そこは、写しにも無い」
「取りに来るのは、一人とは限らない」
クロイスは、写しの取扱者の欄を指した。
「この口座から金を引き出した署名は、直近で三つ。同じ三つが、代わる代わる出てくる。次に来るのも、その三つのうちのどれかだ」
「顔は」
「署名しか、紙には残らない。顔も、背格好も、写しには無い」
ライサは、ふん、と短く息を吐いた。
「で、誰を獲ればいい」
「来た者を獲れ。ただし、金の流れは切るな。取りに来た者の先に、金を渡す相手がいる。そこまで見たい」
ライサの目が、細くなった。
「金の流れを切るな、か。獲らずに泳がせれば、その分、現場は長くなる。長くなれば、隊員が晒される刻も延びる」
「分かっている。だが、ここで一人を獲って終わりにすれば、上の名は、いつまでも空のままだ」
「あんたは、上の名が欲しい。私は、隊員を一人も欠かしたくない。同じ現場で、両方やれと言う気か」
「指示書には書かない。どちらを取るかは、現場が決める」
「……あんたの指示書は、いつもそうだ。最適解だけ書いて、死ぬ人数は書かない」
クロイスは、答えなかった。事実だった。反論で覆る事実ではない。
「来た者の数も、武器も、私の紙には書けない。そこは、あんたが決めてくれ」
ライサは、一拍置いた。
「読めない所は、私が決める。隊員を死なせる気はない」
指示書を畳んで、戦闘服の内側に入れる。受けた、ということだ。
◇
ライサが、第一局を率いて出ていった。三十六段を上がる足音は、降りてきた時より、さらに速かった。
クロイスは、机に残った。動くのは第一局、紙を書いたのは自分だ。指の先が、少し冷えている。だが、それは書くことの邪魔にはならない。
書庫の隅では、ヴィオラが、出ていった戦闘服の背を、一度だけ見ていた。何も言わない。机の端には、椀と茶。クロイスは茶を一口だけ飲んだ。卵粥には、手をつけない。
控えの「出金」の欄に、張り込みの一行を足した。あとは、現場の報せを待つだけだ。
待つのは、得意ではない。読む紙があれば、いくらでも待てる。だが今、机の上の紙は、もう全部読み終えていた。次の一行は、ライサの目が、紙の外で書いてくる。
紙は、口座の中の金までしか書いていない。それを取りに来る者が、何人で、どんな手で来るかは、紙の外にある。
クロイスの机は、口座の縁で終わっていた。その先の暗がりは、もう紙ではない。




