第23話 登録者なし
五月二十九日、書庫。第一局に調査を出してから、八日が過ぎていた。
ガロウが現地から戻った。机の上に、原簿照合の報告書と、預り口座の写しを置く。靴には、街道の埃が残っていた。
「現地の原簿と、手控えを突き合わせた。凶作補填の2000を毎期書き足していた筆は、一つだ」
クロイスは報告書を開いた。筆跡の照合表が綴じてある。末尾の払い、二画目の入り、撥ねの角度。五期分、どれも同じ手だった。
書いていたのは、レーフェ所領の家令。名はドーラン。
照合表には、所領の出納を扱う者の署名が並んでいた。徴税の集計、人夫の賃金、種籾の買い付け。日々の事務の筆だ。凶作補填の2000を書いた筆は、その中の一つと、撥ねの角度まで重なっていた。家令が、自分の日々の帳面と同じ手で、毎期2000を足していた。
クロイスは控えを引き寄せた。八日前、空けたままにした「名」の欄。そこに、ドーラン、と書き入れる。欄が、埋まった。
次に、流れ先を見た。2000は、王都商業ギルドの預り口座へ入っている。報告書には、その口座の登録者氏名も書き写してあった。
欄は、空だった。
登録者なしの預り口座。以前、リリア宛の送金で見たことがある。登録者の名を持たない口座は、王都に十か所もない。同じ種類の器が、地方の領主の金にも使われている。
報告書の末には、口座の出金記録も写してあった。金を引き出すたびに、取扱者の欄の署名が変わる。一つの口座を、何人もの手が代わる代わる開けている。登録者の名を空にして、取扱者だけを替える。そういう作りだった。
階段を、別の足音が降りてきた。局長ハーグレイヴだ。机の上の写しを、覗き込む。
「地方の領主一人の、帳簿の話か」
「一つの口座に、二領地分が集まっています」
局長は、登録者の空いた欄を見た。
「……なら、領主一人の帳簿ではない。王位継承の資金線だ」
それだけ言って、局長は扉のほうへ歩いた。燭台が、外套の裾を一度だけ照らした。
◇
クロイスは、預り口座の写しを机に広げた。入金の記録だ。現地には行かない。写しを読む。
口座への入金を、期ごとに追う。レーフェ所領からの2000が、献納確定の直前に、毎期入っている。額も、刻も、机の上で読んだ通りだった。
だが、同じ口座に、別の入金があった。
出所は、レーフェではない。額は金貨1500。レーフェの2000とは違う。だが、その1500も、期ごとに動かない。入る刻も、献納確定の直前だ。控除欄、献納欄、預り口座の順番が、レーフェと同じだった。
出所をたどる。子爵フレンセン所領。レーフェの隣ではない。離れた地方だ。土地も領主も別なのに、抜く額の決め方、抜く刻、口座への入れ方。三つとも、レーフェと揃っている。
フレンセン所領の直近の期も、同じだった。徴税が確定した月には、控除の欄はまだ空だ。1500が立つのは、献納を綴じる前日。レーフェのドーランがやったのと、同じ手順、同じ間合いだった。
別々の領主が、別々に同じ手口を思いつくことはない。額の固定、刻の固定、同じ預り口座。三つ揃って一致するなら、これは一人が組んだ一つの型を、二つの所領の家令が、それぞれの机で写している。
ここまでは、紙の上にある。二つの領地、一つの口座、同じ手順。三つとも、記録に残っている。
その型を組んで、口座を持っている者の名は——登録者の欄に、無い。家令の名は二つ埋まっても、その上の一人の名は、まだ、どの紙にも無い。
口座から出ていく金の先も、写しでは途切れていた。引き出した者の署名はあっても、その金がどの懐に入ったかは、ここには書かれていない。上へ行く道は、口座の縁で消えている。
口座の現物と、登録者の実地の照会は、第一局と商業ギルドの領分だ。クロイスは写しの上で、二領主、一口座、同じ型、ここまでを出す。
同じ口座に、三つ目の所領が繋がっていても、おかしくはない。だが、今日の紙が見せているのは、まだ二つだけだった。
◇
クロイスは控えを更新した。レーフェの行——手は家令ドーラン、流れ先は登録者なしの預り口座。その下に、新しい行を一つ足す。子爵フレンセン。同じ型、同じ口座。
机の端には、椀と茶が置いてあった。この八日、書庫の隅は、いつのまにかヴィオラの定位置になっている。
クロイスは帳簿に目を置いたまま、茶を取って、一口だけ飲んだ。卵粥には、手をつけない。ヴィオラは、何も言わなかった。
控えの上に、二つの領主の名が並んだ。その上の、登録者の欄は、空のままだ。
一人目の名は、書付で渡された。あの朝、机に残っていた王家私紋の一通に、男爵レーフェと書いてあった。
二人目の名は、誰にも渡されていない。口座一つの、入金の重なりから出てきた。子爵フレンセン。
次の所領の名も、同じ種類の口座の、入金の重なりの中にある。




