第21話 凶作補填
五月二十一日の朝、書庫の机に、王家私紋の書付が一通、残っていた。要請していない一通だ。紙面には、次に開く領主の名が一つだけ書かれている。男爵レーフェ。レオハルト派の地方領主。
クロイスは新しい羊皮紙の一行目に、その名前を書き写した。
取り寄せるものを、その下に並べる。男爵レーフェ所領の徴税記録、中央への献納記録、凶作申告の控え、過去五期分。徴税官の手控えも合わせて。
五期さかのぼるのは、一度きりの抜きと、毎期の癖を分けるためだ。一度なら事故欄に置ける。毎期同じ形が出れば、仕組みの欄に移る。
階段を降りる足音がした。三十六段の最後で止まる。局長ハーグレイヴだった。
「男爵レーフェは地方領主だ」
局長は机の手前で立ち止まった。
「所領は自治。徴税は徴税官を通す。お前の指示書は、王都の城門で止まる」
クロイスは、王家私紋の書付を、机の上で局長の視線の高さに置いた。
局長は封蝋を見た。王家私紋の印影だ。数秒、何も言わなかった。
「……王家の手か」
それきり、書付からは目を離した。
「それと、上から通達が来ている。お前の世話に人を一人つける。書庫に出入りさせる」
「不要です」
「通達だ」
局長は何も言わずに、扉のほうへ歩いた。途中で振り返らなかった。書庫の燭台が、外套の裾を一度だけ照らした。
クロイスは指示書に局印を押した。控えは、また一枚増えた。
指示書は城門で止まる。だが、その書付は、城門の向こうへ行く。第二局の名前では、地方領主の帳簿は取り寄せられない。王家私紋の書付に名前が載っていれば、徴税官は手控えを出す。男爵レーフェは、その最初の一人だった。
◇
昼を過ぎて、取り寄せた帳簿が机に届いた。
クロイスは現場へ行かない。所領も、徴税官の役所も見ない。紙だけを、横に三種並べた。所領の徴税総額、中央への献納額、凶作補填の控除記録。
徴税総額を、期ごとに追う。直近の五期で、金貨8200、7600、9100、8800、7400。年ごとに動く。作柄で動き、人の数で動く。当然だ。
次に、凶作補填の控除を追う。
どの期も、金貨2000ちょうどだった。
徴税総額が9100の豊作の期も、7400の不作の期も、凶作補填は2000で動かない。
クロイスは指を止めた。喉が渇いていた。昨夜から水を飲んでいない。それでも指は、五期分の数字の上を二度往復した。
凶作は、年で変わる。豊作の年に凶作補填が同じ額で立っているのは、補填ではない。作柄と無関係に、毎期きっかり同じ額が抜かれている。補填の名を借りた、定額だ。
控除された2000は、中央への献納額には乗っていない。徴税総額から2000を引いて、残りが中央へ行く。中央が受け取る額は期ごとに動くのに、抜かれる額だけが動かない。引かれた2000の行き先は、帳簿の表のどこにもなかった。
徴税官の手控えを、所領の帳簿の隣に置いた。手控えには、凶作補填の行が無い。徴税官が中央へ通したのは、徴税総額から諸経費を引いた額で、そこに2000は計上されていない。所領の帳簿にだけ、毎期2000が立っている。同じ所領の同じ期を、二枚の紙が違う額で書いていた。
ここまでは、紙の上にある。
毎期2000、作柄と無関係、宛先は表に無い。三つとも、数字の欄に残っている。
その2000が最後にどこへ渡るかは、この帳簿だけでは出ない。レオハルトの側に口があるなら、そこへ入る。だが、その口の名も、抜きを決めた手も、紙の表には無い。
クロイスは控えの余白に書いた。凶作補填、毎期定額、宛先欠落。一件。
もし同じ形の凶作補填が、別の地方領主の帳簿にも立っているなら、それは男爵一人の癖ではない。だが、それは今日の紙には無い。今日あるのは、男爵レーフェの一件だけだ。
◇
夕方、クロイスは第一局への指示書を書いた。
男爵レーフェ所領、凶作補填として控除された金貨2000の流れる先を追う。現地の照合は第一局。徴税官の手控えと、所領の出納の突き合わせ。期限は設けるが、急がせない。
現地には、第一局が行く。クロイスは机に残る。
局印を押した。机の上に、王家私紋の書付と、男爵レーフェの帳簿と、第一局宛の指示書が並んだ。三枚とも、同じ男爵の名前で繋がっている。
現場には行かない。数字が動かないことだけで、嘘は出る。
控えを、左端に重ねた。昨日の朝に十一枚だった束は、十三枚になっていた。取り寄せの一枚と、調査の一枚。
階段を、足音が一つ降りてきた。
三十六段を、隊員の誰とも違う歩幅で降りてくる。靴の音の間隔が短い。ガロウの重さではない。マルクの急ぎ足でもない。
クロイスは顔を上げなかった。視線は帳簿の上に置いたまま、降りてくる足音の歩幅だけを、数えた。




