第16話 先回り
五月六日の朝、書庫の机の上には、昨夜のまま三つの紙が並んでいた。
油紙、ヴェロン数字の写し、控えの余白。三つとも、二十五日を指している。
クロイスは、ヴェロン数字をもう一度眺めた。
五、十三、二十五、七、四十二。
「十三」はヴェロン出勤、「二十五」はカイル購入。二軸が動いた。残りの「五」「七」「四十二」のうち、「五」を眺める。
今月は、五月だった。油紙の文字も、五月二十五日と書かれている。
「五」は、月だ。五月の中で、何かが動く。
クロイスは控えの余白に、もう一行追記した。
五、今月。
三軸目が、紙の上で動いた。残りの「七」「四十二」は、まだ机の上で動かない。
ヴェロンが指で書いた順序は、五、十三、二十五、七、四十二。今月、ヴェロン出勤、カイル購入、そして二つの未解読。順序にも意味がある可能性は残る。だが、それを読むには、もう一軸動かす必要がある。
◇
ペンを取り、新しい羊皮紙を引き寄せる。
〈第十指示書〉王立第三孤児院、構造調査
以下、項目順に書く。
調査対象は、王立第三孤児院の所在地、地下の構造、出入り口の数、地下への階段、地下にあると推定される隠れ場所の位置。担当として#11と#07を当てる。観察員は孤児院から二街区以上の距離を保つこと。カイル・モルタ担当の観察員と接近させないこと。
補足、孤児院内部への踏み込みは禁止する。本調査は構造のみを目的とする。マリア(六歳)の実在確認は、後段の指示書で別途行う。
期限は五月八日まで。五月二十五日まで残り十九日、まず三日で構造を確認する。
局印を押す。封筒に納め、机の左端の控えの隣に置いた。控えは五枚から六枚に増えた。
クロイスは壁際の地図棚から、王都の地区図を一枚引いた。机の上に広げる。王立第三孤児院の位置を、指で押さえる。王都北東区、書庫からは徒歩で半刻あまり。孤児院から二街区離れた地点に、観察員の配置点を二つ、ペンで丸印を入れた。
地図を畳んで、第十指示書の封筒の隣に並べた。ガロウが書庫に来るのを、待つ。
◇
ガロウが第十指示書を受け取り、外套の内側にしまった。階段を上がる足音が遠ざかる。
書庫に残ったクロイスは、新しい羊皮紙を一枚、机の中央に置いた。
羊皮紙の上に、三つの選択肢を縦に書き並べる。
Aの案。五月二十五日より前にマリアを保護する。先回りで動く。
Bの案。五月二十五日当日、カイルがマリアに接触する場面を押さえる。当日に張る。
Cの案。五月二十五日当日、リリアの代理を立てて、副支部長の指示通りに接触地点へ送る。指示を継承する。
三案の下に、それぞれの利害を書き分ける。
Aは、マリアを安全に押さえられる。だがカイルが「マリアの所在を読まれた」と気付き、副支部長の計画が壊れる。
Bは、カイルの動機と計画が直接見える。だがマリアが現場の近くに置かれる。六歳の身柄を、危険のある地点に残す形になる。
Cは、副支部長の意図を継承できる。だが代理に立つ者の安全が、副支部長の前提条件を満たさない。代理は本人ではない。副支部長は本人を指定していた。
クロイスはペンを置いた。
副支部長の指示は、副支部長が生きていれば成立した条件で書かれている。今、副支部長は死んでいる。指示の前提条件が崩れた以上、業務上、指示を継承しない判断もある。
マリアは六歳。
子供は、待たせない。記録には、そう書かない。記録には、対象者保全を優先、とだけ書く。
Aを選ぶ。羊皮紙の左端、Aの行に、二本の線を引いた。
◇
階段を降りてくる足音が、扉の向こうで近づいた。
局長ハーグレイヴが書庫に入ってくる。机の上の羊皮紙を覗き込んだ。
「お前、副支部長の指示を破るのか」
「指示の前提条件が崩れています。生きている副支部長の指示として、もう処理できません」
局長は何も言わない。机の上の三つの紙を、視線で順に追った。油紙、ヴェロン数字、控えの余白。
ハーグレイヴは、外套の内側で腕を組んだ。
死者の指示より、生きている子供を優先した。あいつは、それを業務の形で書く。
局長は何も言わずに、扉のほうへ歩いた。途中で振り返らなかった。書庫の燭台が、扉の向こうへ抜ける外套の裾を、一度だけ照らした。
扉が閉まる。
◇
書庫に残ったのは、油紙と、ヴェロン数字の写しと、控えの余白と、三案を書いた羊皮紙、そして畳まれた王都北東区の地区図。
羊皮紙のAの行の脇に、クロイスは新しい一行を加える。
「実行は五月八日以降、第十指示書の構造調査結果を待って動く」
もう一行、その下に書き足す。
「マリア保護後、副支部長指示の五月二十五日地点は、第一局の張り番のみを残す。第二局分析官は現場に出ない」
ペン先がインクから離れた。
机の上の油紙には、五月二十五日と書かれている。
だが、五月二十五日は、待つ日ではなくなった。




