第13話 託したもの
五月四日の朝、ガロウが第七指示書の応答書付を書庫に運んできた。
封の蝋は、いつもの第一局の標準色。書付の用紙は通常の業務報告と同じ大きさで、表紙には日付と回答者の署名がある。
クロイスは封を切る。
「聖アルマ孤児院・周辺地域、調査結果。マリア(六歳)の退所経路を段階的に追跡した。退所日、千四十二年二月某日、早朝の一刻。引き取り者の身なりは、黒い外套、徒歩、馬車の控えなし。孤児院から南西へ徒歩、二街区先で目撃証言が途切れる。以降の足取りは確認できない。なお本日朝の観察記録として、カイル・モルタは王立宮内省・出納課に通常出勤」
クロイスは応答書付を、机の右端に置く。孤児院の応答書付の隣だった。
二街区先で、足跡は紙の上から消えていた。そこから先は、誰も見ていない。三ヶ月のあいだ、誰一人として。
◇
クロイスは外套を肩にかけた。書庫を出るのは、宮内省へ出頭した日以来だった。
万年筆だけを胸ポケットに入れる。紙束は持たない。指示書も帳簿も書庫に置いていく。
地下三十六段の階段を上る。第一局の保護施設は、本部の北棟二階にある。徒歩で四半刻もかからない場所だ。
保護施設の小部屋。机が一つ、椅子が二つ。窓は北向きで、午前の光が薄く差している。
ライサが扉の脇に立っている。
リリアは机の向こうに座っていた。十五歳。栄養状態は良好、ファルムが半年育てた跡が、頬の丸さに残っている。手は膝の上で組まれていた。
クロイスは机を挟んで座った。彼女に、番号はない。
「リリア」
名で呼んだ。
「副支部長から託された物を、確認させてもらいたい」
「はい」
リリアが懐から布の包みを取り出し、机に置いた。ファルムの証言では半年前。リリアの証言では三ヶ月前。二つの時点を持った包みだった。結び目は、最初に結んだ者の手で結ばれたまま、固いままだった。
「あなたが、開けてください」
クロイスは包みに触れない。
リリアの細い指が、結び目をゆっくりと解いた。長く固まった結び目は、最後に結んだ者の指の力を覚えていた。リリアの指が、その力を一つずつほどいていく。
布の中から、折り畳まれた小さな紙片が一枚。
ライサが、リリアの斜め後ろに立った。一歩、リリアより後ろ。リリアが包みを開ける瞬間、ライサが息を一度だけ飲む音が、机越しに届いた。
リリアが紙片を机に広げた。折り目は、三本あった。
副支部長の筆跡。
マリア、聖アルマ。
逃がした。
ファルムに頼んだ。
困ったら、紙を二回折って燃やせ。
四行だけ。
クロイスは紙片を眺めた。即断はしない。「マリア」の名が、副支部長の字で出てきた。ファルムの家計簿と、カイルの紙片と、孤児院の応答書付と、この紙片で、四度目だった。
「あなたは、マリアという名前を、知っていますか」
「兄様が、時々名前を呼んでいました。会ったことはありません」
声は静か。十五歳らしい間で、必要な分だけを答えた。
◇
クロイスは紙片を、机の上に残したまま、外套を着た。
「持っていきますか」
「写しを作ります。原本は、あなたのものです」
クロイスは胸ポケットから万年筆を取り出し、用意された羊皮紙の切れ端に、副支部長の四行をそのまま書き写した。筆跡は副支部長と違うが、文字の配置と折り目の位置は同じになるように、写しの上にも軽い折り目を入れた。
リリアが紙片を再び布で包み直した。結び目は、リリアの指で新しく結ばれた。副支部長の最後の結び目は、ほどけて、もうない。
ライサが、リリアの斜め後ろから一歩動いた。包みは覆わない。リリアの背中の方に、わずかに近づいただけだった。
クロイスは席を立った。リリアに頭を下げず、ただ「失礼します」と一言だけ告げて、扉に向かった。
扉が閉まる前に、リリアが言った。
「マリアを、見つけてください」
クロイスは扉の手前で立ち止まり、振り返らずに答えた。
「業務上の指示として、伺います」
扉が閉まる。
◇
書庫に戻った。
机の左端に、写しを置いた。控えの隣。
ペンを取り、新しい羊皮紙を引き寄せる。
〈第八指示書〉ファルム・トリエス再聴取
以下、項目順に書く。
聴取項目として、副支部長から「マリアの保護を頼まれた」事実、引き取り者の身なりと正体、マリアの現在の隠し場所、緊急時の処分指示「紙を二回折って燃やせ」の意味を、それぞれ別葉に分けて確認されたい。
担当として#03と#11を当てる。最優先で動かれたし。
ペン先が、紙の繊維に黒を沈める。
メモの紙の折り目は、三本だった。等間隔で、物差しを使ったような直線。
紙質は王立書庫の上質紙、インクは副支部長が使っていた青黒の混色。長く布の中で擦れても、文字は薄れていない。
最後に折ったのは、副支部長の指。
副支部長は、紙の上で動いていた。三ヶ月前に、自分が口封じされる前から。




