第七話 お布団の中で、広報官の仕事について考えてみました
食後、私は満腹でベッドの上に転がりながら、撮った写真を見返す。
湯気の立つ鯛めし。
白い器の柑橘ジュレ。
箸で割ったじゃこ天の断面。
出汁をかける前と、かけた後の鯛めし。
食べかけの写真まである。
「あ、これ投稿に使えそう……」
口に出してから、はっとした。
投稿?
私は今、投稿と言った?
「広報官っぽくなってきたけんねぇ」
いよぴよさんが、座卓の端で偉そうに胸を張る。
「まだ何もわかってないわよ」
「でも、美味しいはわかったやろ?」
「それは……わかった」
「ほやけん、まずはそれでええんよ」
いよぴよさんのくせに、たまにまともなことを言う。
私はスマホの画面に映る鯛めしの写真を見つめた。
たしかに、美味しかった。
ただ、それをどう伝えればいいのかはわからない。
きれいに撮るだけでいいのか。
美味しいと書くだけでいいのか。
誰に向けて、何を、どう届ければいいのか。
画面の中の鯛めしは、さっきまで私の目の前にあったものより、よそ行きの顔をしている。
でも、食べた時の温かさまでは写っていない。
出汁の香りも、じゃこ天のかりっとした音も、湯上がりの身体にご飯が染みていく感じも、写真だけでは伝わらない。
「……難しい」
ぽつりと呟くと、いよぴよさんが小さく羽を揺らした。
「ほやけん、明日から仕事なんよ」
「急に現実に戻すのやめて」
「でも、楽しそうに見えるんよ」
「……それは、気のせい」
そう言いながら、私はもう一度スマホの画面を見た。
どの写真を残すか、どれを消すか。
考え始めている時点で、気のせいではないのかもしれなかった。
広報って、何をしたらいいんだろう。
東京で働いていた頃は、クライアントに言われた通りにバナーを作り、決められた文言を入れ、納期に追われていた。
クリック率や表示回数の数字は見ていたけれど、その向こうにいる誰かの顔まで想像する余裕はなかった。
「誰かに届ける」なんて、きれいな言葉だ。
少なくとも、あの頃の私には遠かった。
でも、今日食べた料理は、本当に美味しかった。
この旅館は、本当にきれいだった。
温泉は、本当に気持ちよかった。
それを、ちゃんと伝えたいと思ってしまった。
「……困ったな」
私は小さく呟いた。
「何が?」
「ちょっとだけ、ちゃんとやりたくなってる」
「ええことやけんねぇ」
「いよぴよさんの思惑通りみたいで、串を打ちたくなる」
「寝る前に物騒なんよ」
白いシーツ。
ふかふかの掛け布団。
ほのかに香る畳。
東京の狭い部屋で、スマホ片手に求人票を眺めながら眠っていた日々が、急に遠く感じる。
あの部屋には、いつも焦りがあった。
読まなきゃいけない本と、返さなきゃいけないメールと、消したいのに消えない不安が積み上がっていた。
私は布団にもぐり込む。
身体がゆっくり沈んだ。
温泉であたたまったせいか、指先までぽかぽかしている。
もう一度スマホの写真フォルダを開く。
今日だけで、写真が百枚以上増えていた。
松山駅。
旅館の玄関。
ロビー。
ウェルカムドリンク。
客室。
色浴衣。
夕食。
そして、鯛めし。
「……これ、どう使えばいいんだろ」
愛媛担当SNS広報官。
契約期間、半年。
肩書きだけは立派。
でも私は、四百五十九通のお祈りメールを受け取ったばかりの無職で、元婚約者に浮気されて、人生の行き先を見失った女。
そんな私に、誰かを愛媛に行きたい気持ちにさせることなんて、できるんだろうか。
写真の中の鯛めしは、ちゃんと撮れている。
けれど、出汁の香りまでは写らない。
ひと口食べた時に言葉が止まったことも、湯上がりの身体に温かさが染みたことも、写真だけでは届かない。
「……まあ、明日考えよう」
小さく呟くと、いよぴよさんが枕元で丸くなった。
「美咲ちゃんは、考えすぎなんよ」
「考えないと、また失敗するから」
「失敗しても、別の場所に転生すればええんよ」
「転職でしょ」
「転生なんよ」
「……もう、どっちでもいい」
まぶたが重い。
お腹はいっぱいで、身体はぽかぽか温かくて、外は静かで。
遠くで、どこかの部屋の戸が閉まる音がした。
明日から働く。
愛媛で、謎の広報神と。
イケメンすぎる旅館の人がいる宿を取材するのが初仕事。
不安しかない、はずなのに。
温泉の湯気と、鯛めしの香り。
曽我部さんの「ありがとうございます」という声。
それらが頭の中でゆっくり混ざって、私の意識は少しずつほどけていった。
「……広報って、まずは……美味しいって、言うところからで……いいのかな……」
最後にそう思ったところで、眠りに落ちた。
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