第二十七話 鯛めし食べ比べの夜、若旦那の元カノの結婚式に誘われました
「結婚式の二次会ですか?」
キッチンに二人並んで、余った鯛めしの炊き込みご飯を、お握りにしていた。
亮平さんが持ってきてくれたお酒に合わせて、私が作った鯛めし。
その残りを、明日の朝用にしようと握っているだけなのに。
隣に亮平さんがいて、同じボウルを覗き込んで、同じ皿にお握りを並べている。
なんだか変な妄想が捗ってしまいそうで、必死に別のことを考える。
亮平さん、お握り握るの意外と慣れてるなぁ。
旅館の人だからかな。
いや、若旦那がお握りを握る場面、あまり想像したことないけれど。
そんなことを考えていたところに、まさかの提案だった。
「はい……披露宴は、なんとか断ったんですが、二次会だけは、どうしても顔を出さなければならなくなりました」
「それは、大変ですね」
そう言ってから、ふと嫌な予感がした。
披露宴は断った。
でも、二次会だけは断れない。
それはつまり、あまり行きたくない相手なのではないだろうか。
私は手の中のご飯を丸めながら、気持ち声を落とす。
「もしかして、その……お知り合いの方ですか?」
「はい。昔、少し……」
「……元カノさん、ですか?」
「……」
無言が何よりの答え。
亮平さんは間を置いてから、言いづらそうに視線を落とす。
本当は、確認しない方がよかったのかもしれない。
それでも、聞かずにはいられなかった。
言葉にしてしまうと、心のどこかが小さくざらついて。
自分で確認したのに、落ち込んでいる自分に驚いてしまう。
元カノ。
亮平さんの、元カノ。
当たり前だ。
亮平さんは二十八歳で、こんなに顔がよくて、旅館の若旦那で、所作もきれいで優しい。
元カノの一人や二人、何なら二桁いても驚かないかもしれない。
いや、さすがにそれは驚く。
驚くけれど、過去に恋人がいない方が不自然だ。
「……そう、ですか」
わかっている。
わかっているのに、指先に少し力が入って、お握りの形がいびつになる。
亮平さんは、私の反応を見て少し困ったように笑った。
「もう、ずいぶん前のことです」
「そうなんですね」
「はい。ただ、学生時代の知人や恩師も来るので、完全に断るのは難しく」
「なるほど……」
亮平さんに私の知らない学生時代があるのは当然。
その時からお付き合いをされていたのだろうか。
何歳から?何年くらい?私と行ったところにも、その人と行ったの?
そんな口に出せない疑問が、少しずつ胸の中に広がっていく。
「それで、私になにか関係が……?」
相手が元カノだとしても、もう結婚する人なのだから、今さら何かあるわけがない。
そう思いたいのに……棘のある言い方になってしまった気がして、うまく亮平さんの方を見られない。
「もしよろしければ、美咲さんに同行していただけないかと」
「私が、ですか?」
「はい。恋人役として」
その言葉に、胸がどきりと鳴った。
恋人役。
そうだ。
私は、亮平さんの恋人役なんだ。
市役所の駐車場で。
しまなみ海道の駐車場で。
何度もその役を使ってきた。
なのに、今はなぜか少し違う響きに聞こえる。
「その方が、まだ亮平さんに未練があるとか……?」
「ないと思いたいですが……連絡は、何度か来ています」
「え!?結婚するのに、連絡が来てるんですか!?」
声が大きくなる。
手元のお握りが崩れかけて、慌てて握り直した。
結婚するのに。
元恋人に連絡。
しかも、亮平さんに。
どういうこと。
いや、どういうことも何もないのかもしれないけれど。
私の中の何かが、急に警戒音を鳴らし始める。
「僕一人で行くと、余計な話になりそうなので。美咲さんが一緒なら、角が立たずに済むと思いました」
「まさに虫除け役、ですね」
「……はい。もちろん、無理にとは言いません」
亮平さんの声が、申し訳なさそうになる。
「小豆島ですから、移動にも時間がかかりますし、おそらく宿泊になります」
「宿泊」
宿泊。
小豆島。
結婚式の二次会。
亮平さんの元カノ。
情報量が多い。
私は手についたご飯粒を見つめる。
いびつなお握りが、皿の上で少し斜めに転がっている。
「嫌だったら、断ってくれても」
「行きます」
自分でも驚くほど、早く言葉が出た。
亮平さんが心配そうな視線で見つめてくる。
嫌だったら、断ってもいい。
亮平さんはそう言ってくれている。
きっと本気で、私に無理をさせるつもりはないのだと思う。
でも……
「美咲さん」
「行きます。私も、行きます。私、亮平さんの恋人役ですから」
言い切ってから、心臓が遅れて騒ぎ出す。
何をそんなに必死になっているのだろう。
役だから。
虫除けだから。
亮平さんに頼まれたから。
理由はいくつも並べられる。
本当はそれだけじゃない気がした。
亮平さんが、行きたくなさそうな場所へ一人で行くのが嫌。
元カノという言葉に、勝手に胸がざわついた。
その人の前で、亮平さんが困った顔をするところを想像したら。
私の中で、行くという選択肢しかなかった。
亮平さんは、しばらく私を見て、それから静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いえ。代わりと言ってはなんですが——」
「はい」
「次の日、小豆島を周りたいです」
「もちろん。いいですね」
その言い方が優しくて、胸が詰まる。
私はわざと明るく話を続ける。
何にも気にすることないですよ。と、亮平さんにだけじゃなく、自分に向けて。
「亮平さん、小豆島の美味しいものを教えてください」
「もちろんです」
「オリーブが有名なんですよね?」
「はい。オリーブも、醤油も、素麺もあります」
「醤油!?小豆島も食べ物で殴ってくるタイプですね」
「まだ殴られてはいないと思いますが」
「予告の時点で身構えておかないと、ボコボコにされちゃいそうです」
そう言って笑うと、空気が軽くなった。
「あ、パーティードレス……というか、きれいめのワンピースを買わないと」
「それも、僕が買います」
「いやいやいや!?そこまでお世話になるわけには」
「僕が誘ったので」
「でも、服まで買ってもらうのはさすがに」
「恋人役をお願いする以上、必要な準備はこちらで整えます」
亮平さんは、あまりにも真面目な顔でそう言った。
その真面目さがおかしくて嬉しくなる。
でも同時に胸が痛い。
これは、恋人役のための準備。
本物の恋人に贈る服ではない。
わかっているのに、亮平さんが私のために服を選んでくれるかもしれないと思うだけで、頬が熱くなる。
「……では、あまり高くないものでお願いします」
「美咲さんに似合うものにします」
「値段の話をしています」
「似合うものにします」
「話が通じない」
「そこは譲れません」
亮平さんの声は穏やかなのに、そこだけは妙にきっぱりしていた。
肩の上で、いよぴよさんが小さく呟く。
「恋人役、だんだん本採用に近づいとるんよ」
「黙って」
私は小声で返しながら、またお握りを握る。
さっきより少しだけ、形が丸くなった。
でも、胸の中は全然まとまらない。
小豆島。
元カノ。
恋人役。
二次会。
宿泊。
ワンピース。
並べるほど、頭の中が騒がしくなる。
「……亮平さん」
「はい」
「その方、きれいな人ですか?」
騒がしくなった勢いで、言ってしまってから、しまったと思った。
何を聞いているのだろう。
でも、もう遅い。
亮平さんは目を伏せると、困ったように笑うでもなく、まっすぐ答えた。
「美咲さんとは、まったく違う方です」
「……それ、答えになってます?」
「なっています」
「なってません」
「少なくとも、僕にとっては」
比較しない。
美人だったとも、そうではないとも言わない。
ただ、私とは違うと言う。
それだけで、少し救われてしまう自分がいる。
「……亮平さん、そういうところありますよね」
「どういうところですか」
「答えているようで、答えていないところ」
「そうでしょうか」
「そうです」
「では、ひとつだけはっきり答えます」
亮平さんは、手元のお握りを皿に置いた。
それから、私を見る。
「今回、美咲さんに来てほしいと思ったのは、虫除け役だからだけではありません」
「え」
「一緒にいてほしいと思ったからです」
その言葉に、手の中のご飯が崩れた。
恋人役。
虫除け契約。
小豆島の二次会。
どの理由にも収まらない言葉が、キッチンの狭い空間に落ちる。
「……えっと」
何か言わなきゃ。
そう思うのに、喉の奥で言葉が止まる。
亮平さんは視線を伏せ、いつもの落ち着いた声に戻った。
「……すみません。困らせるつもりでは」
「困って、ます」
「はい」
「でも、嫌では、ないです」
自分の言葉を認識して、顔が一気に熱くなった。
肩の上で、いよぴよさんが小さく羽を震わせている。
「ほぼ告白なんよ……」
「黙って」
「美咲ちゃんも、ほぼ返事なんよ……」
「黙ってってば」
私は亮平さんの方を見られないまま、皿の上に崩れたご飯をもう一度丸めた。
小豆島行きは、決まった。
恋人役として。
たぶん、それだけじゃない何かも連れて。
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