第十六話 若旦那は怒らないし、彼女役は継続らしいです
「亮平さん!!すみません!!!」
車から降りてきた亮平さんに、挨拶をするのも忘れて頭を下げる。
朝からずっと考えていた謝罪の言葉は、口に出した途端、全部ぐちゃぐちゃになった。
通知の数も、コメント欄も、報告書も。
全部頭の中でぐるぐる回っている。
「昨晩、きっとご迷惑をかけたのに……!帰宅後、あの、寝ぼけていて動画を投稿しちゃって……」
「美咲さん、謝らないでください」
思いがけず、静かな声が返ってくる。
顔を上げる前に、亮平さんの方が先に頭を下げた。
「僕の方こそ、昨日はすみません。マンションまでお送りしたあと、鞄の中から鍵を探して部屋に入らせてもらいました。僕は玄関までです。着替えやメイク落としは、ご自身でされていました」
「あ、はい……」
なぜか、私が謝っているのに、亮平さんからも昨晩のことを謝られている。
いや、でも大事な情報だった。
とても大事な情報。
私は全力で頷いた。
首がもげるくらい頷いた。
「あの、動画の件ですが、投稿自体は無断でしたので、削除しろというのなら、今すぐ消しますので……!」
二人の間に間が空く。
きっと、亮平さんを困らせている。
消さないといけないとわかっている。
わかっているのに、広報としては消したくない気持ちもある。
再生数。
コメント。
フォロー通知。
予約の問い合わせが増えたかもしれないという期待。
全部を見てしまったあとで、きれいな顔で「消します」と言い切れない。
亮平さんに判断を委ねているようで、結局は「消したくない」と言っているようなものだ。
私の言い方は、ずるい。
「動画のことは気にしていませんよ」
「そう、なんですか……?」
思いがけない言葉に、顔を上げた。
亮平さんは、怒っていなかった。
少なくとも、私にはそう見える。
「美咲さんが本当に美味しそうに召し上がるから、料理の魅力が伝わる。僕は、あの動画が好きです」
「そんな……」
「あの店の方からも、朝一番で連絡がありました。今朝から予約の電話が鳴りっぱなしだそうです」
「鳴りっぱなし!?」
「うちの旅館も、ゴールデンウィーク明けの予約まで、すべて埋まりました」
「すべて!?」
声が裏返った。
あの、私が焼き鳥を食べてへらへらしている動画で?
本当に?
おしゃれに作った投稿でも、真面目な観光情報でもなく。
私が酔って、焼き鳥に負けている動画で。
「ですので、むしろこちらがお礼を言いたいくらいです」
「い、いえ、お礼なんて……!」
やっぱり亮平さんに怒っている様子はない。
肩の力が抜けそうになる。
けれど、ひょっとしたらコメント欄までは見ていないのかもしれない。
あの妙な盛り上がりを見たら、さすがに気分を悪くするかもしれない。
「あの、コメントも色々書かれていて……」
「あぁ、確かに『元カノ』は少し不愉快ではありましたが」
「そこですか……?」
聞き返してしまった。
亮平さんは、さも当然のように私を見る。
「だって、美咲さんは僕の彼女やけん」
「へっ?」
低く落ちた声に、胸の奥が変な音を立てた。
亮平さんはそこで、はっとしたようにまばたきをする。
それから、いつもの落ち着いた顔に戻って、ゆっくりと言い直した。
「……彼女役、ですから」
「あ、はい……彼女役、してます」
「ええ。彼女役ですね」
ほんの一瞬だけ、亮平さんの視線が私から外れた。
その横顔に、いつもの余裕が欠けて見えたのは、気のせいだろうか。
「なので、彼女の元カレを名乗られるのは、不愉快です」
それって。
それって、ヤキモチというやつでは?
いや、でも、恋人のフリの範疇を飛び越えすぎているような。
素人なのに、そんな役作りまでするなんて。
亮平さん、恐ろしい人!?
あまりの演技力に、白目を剥きそうになる。
「美咲さん?」
「あ、いえ。若旦那の対応力、すごいなと思って」
「対応力」
「はい。役作りが細かいというか」
「……そう受け取るんですね」
最後の一言は、少し小さかった。
聞き返す前に、亮平さんは軽く咳払いをする。
「あの、では恋人のフリは、継続なんでしょうか?」
「もちろんです。今後も動画を投稿していただくのも構いませんよ」
「本当にいいんですか?」
「はい。ただし、無理に酔う必要はありません」
「それはもちろんです!」
「あと、投稿前に確認はしましょう」
「はい……本当にすみません」
何てよい人なの!!!!???
こんな、迷惑ばかりかけているのに!!
しかも、投稿継続まで許してくれるなんて。
心が広い。
広すぎる。
愛媛の空くらい広い。
「では、次の取材先の打ち合わせをしましょうか」
「はい!」
「しまなみ海道、楽しみですね」
「楽しみですー!!」
言った瞬間、胸の重さがふっと軽くなる。
しまなみ海道。
海と橋と島。
写真で見ていたあの景色を、実際に見に行ける。
しかも、亮平さんの運転で。
仕事。
これは仕事。
打ち合わせ。
取材。
そう自分に言い聞かせていると、肩の上でいよぴよさんがぼそりと言った。
「……若旦那、もっと頑張らんと伝わらんのよ」
「何か言った?」
「何も言っとらんけんねぇ」
「元凶のくせに、他人事みたいな顔しないで」
「ワシは広報神として仕事しただけなんよ。結果は出たんよ」
「腹立つ……!」
いよぴよさんを睨みつけながら、私は胸の奥に残った変な熱を、見なかったことにした。
でも、完全には消えない。
『美咲さんは僕の彼女やけん』
さっきの声だけが、どうしても耳の奥に残っている。
彼女役。
フリ。
役作り。
何度も頭の中で言い直して、ようやく私は助手席のドアへ向かった。
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