第十五話 起きたら公式SNSがバズっていて、愛媛の元カノになっていました
あれ……私の部屋?
いつも通り、スマホのアラームで起きる——のではなく、カーテンの隙間から漏れる朝の光で目が覚めた。
「やばい!!今何時!?仕事!!?」
跳ね起きて、枕元のスマホを掴む。
けれど、画面は真っ黒だった。
「……あれ?」
電源ボタンを押しても、反応がない。
「最後に見た時は、三十パーセントくらいあった気がするのに……」
慌てて充電器に繋ぎながら、昨晩のことを思い出そうとする。
思い出す。
思い出す……?
確か、亮平さんと炭火焼き屋さんに行った。
目の前の炭火で焼かれる鶏肉がものすごく美味しそうで、飲み比べの日本酒がきれいで、果物のサワーまで美味しくて。
それで、たぶん、かなり飲んだ。
美味しいお肉に、美味しいお酒。
焼き鳥の脂が落ちて、火がぱちっと跳ねる音。
亮平さんが水を差し出してくれた手。
いよぴよさんが、肩の上でぎゃあぎゃあ騒いでいた気配。
色々な話をした気がする。
けれど、後半の記憶がない。
というか、どうやって帰ってきたのかすらわからない。
自分の服を見る。
ちゃんとパジャマに着替えている。
メイクも落としている。
ゴミ箱には、使い終わったメイク落としシートが二枚入っていた。
「記憶はないけど、自分でやった……はず」
そう信じたい。
そこだけは、全力で自分を信じたい。
充電器に繋いだスマホの画面が、ようやく光る。
時間は午前八時。
始業の時間までは一時間ある。
「よかった……遅刻じゃない……」
胸を撫で下ろした直後、スマホが震え出す。
一回。
二回。
三回。
いや、違う。
止まらない。
手の中で小刻みに震え続けるスマホを、私はじっと見つめた。
通知欄が、見たことのない数になっている。
寝起きの頭が少しずつ冷えていく。
「え、何?怖い怖い怖い」
いいね。
リポスト。
コメント。
フォロー通知。
メンション。
公式アカウントの通知が、画面を埋め尽くす。
「……いよぴよさん」
枕元で丸くなるいよぴよさんを見る。
みかん色の丸い鳥は、露骨に私から目を逸らした。
「何したの」
「投稿したんよ」
「投稿なんかできたの?」
「広報活動なんよ」
「そんなのいいから、何を投稿したのよ?」
「若旦那が撮影した、美咲ちゃんが焼き鳥を食べとる動画」
「はあ!?」
一気に眠気が吹き飛んだ。
慌てて投稿画面を開く。
そこには、昨日の取材中、私が焼き鳥を食べている動画が上がっていた。
しかも、よりによって。
一口食べた途端、目を見開いて、しばらく無言になったあと、ぼそっと、
『は~~……これ、何本でもいけちゃいます~……!』
と呟いているところ。
その後、もう一口食べて、完全に顔が緩んでいる。
湯気の向こうで、私はびっくりするくらい幸せそうな顔をしていた。
広報官というより、ただの食いしん坊である。
実際に、この後十本は食べた記憶がある。
その辺りまでは覚えている。
「け、消さないと!今すぐ!!」
「待つんよ。コメント見るけんねぇ」
「見ない!」
「見た方がええんよ」
「勝手に投稿した、よくわからないゆるキャラの鳥の言うことなんか信用できるか!」
「鳥やないんよ。広報神なんよ」
「昨晩行った炭火焼き屋さんに頼んで、焼き鳥にするぞ」
「コメントだけでも見るんよ!」
いよぴよさんに言われて、震える指でコメント欄を開く。
『この広報さん、食べ方が信用できる』
『焼き鳥、食べたくなった』
『愛媛行きたくなった』
『この人、絶対いい子』
『俺、愛媛に彼女いた気がする』
『わかる。付き合ってないのに懐かしい』
『いや、彼女というより元カノ感ある』
『俺がこの動画撮ったような気がしてくる』
『この広報さんと道後行った記憶ある』
『もぐもぐ広報さん、次は何食べるの?』
食べ物の美味しさが伝わったのは嬉しい。
それは、本当に嬉しい。
一か月、何を投稿しても伸びなかった。
おしゃれに作った画像も、真面目なランキング紹介も、柑橘の品種比較も、カブトガニですら届かなかった。
それなのに、私が酔って焼き鳥を食べているだけの動画が、見たことのない勢いで広がっている。
嬉しくて、恥ずかしい。
いや、やっぱり恥ずかしい。
画面をスクロールすると、さらにコメントが流れてくる。
『愛媛の元カノ爆誕』
「……元カノ?」
寝起きのかすれた声で呟く。
『愛媛の元カノ』……って?
何その、観光地に置いてきた、修学旅行の恋的な概念。
『愛媛の元カノ、食べっぷりが良すぎる』
『元カノが愛媛で幸せになっててよかった』
『この元カノに焼き鳥奢りたい』
『愛媛の元カノ、次は日本酒紹介して』
『別れてないのに失恋した気分になる』
「ちょっと待って。私は誰とも付き合ってないし、誰の元カノでもないんだけど」
「元婚約者はおるけんねぇ」
「そこを拾うな!!」
頭を抱える。
よりによって、広報官として初めて伸びた投稿が、酔った私の焼き鳥動画。
しかも、ついた呼び名が『愛媛の元カノ』。
「いよぴよさん」
「なんよ」
「怒りたいのに、怒りきれないのが一番腹立つ」
「広報活動なんよ」
「勝手に投稿した罪は消えてないからね」
「でも、『愛媛の元カノ』は生まれたんよ」
「生まれなくてよかったのよ、そんな概念は!」
そう叫んでいる間にも、通知は増えていく。
『愛媛の元カノ』
『もぐもぐ広報さん』
『焼き鳥の人』
私の知らない二つ名が、勝手に増えていく。
「……広報って、怖い」
ぽつりと呟くと、いよぴよさんが満足げに胸を張った。
「ほやけん、おもしろいんよ」
その言葉に、私は返事ができなかった。
画面の中の私は、本当に幸せそうに焼き鳥を食べている。
たぶん、それが伝わってしまったのだ。
私は布団を跳ね飛ばし、急いで顔を洗って着替えるとすぐに、昨日の記憶が曖昧な自分を呪いながら、ノートパソコンを開く。
顔を洗っても、頭の奥にはまだ日本酒の気配が残っている。
けれど、それどころではない。
通知は、まだ増え続けていた。
『撮ってる人、絶対この子好きだろ』
『多分、初回取材先の旅館の若旦那』
『若旦那の撮り方が優しい』
『この距離感、もう付き合ってるでしょ』
事実と全然関係ないコメントも、どんどん増える。
まず、亮平さんに謝罪の連絡。
それから、報告書。
急に増えたインプレッション。
再生数。
保存数。
コメント傾向。
フォロワー増加数。
反応の多かったワード。
焼き鳥。
食べ方が信用できる。
愛媛行きたくなった。
もぐもぐ広報。
愛媛の元カノ。
最後の一つは、見なかったことにしたい。
でも、見なかったことにはできない。
報告書に書かないわけにもいかない。
いや、書きたくない。
でも、広報担当としては拾うべき反応である。
「……数字、すごい」
今まで、どれだけおしゃれな写真を上げても、真面目な観光情報を載せても、ほとんど動かなかった数字が、たった一晩で跳ねている。
一か月間、何を投稿しても伸びなかったのに。
私が焼き鳥を食べて、へらへらしている動画が。
「なんでよ……」
複雑な気持ちで、報告書をまとめる。
画面に並ぶ数字は、どれも現実だった。
何度見直しても、桁は減らない。
コメントも、リポストも、保存数も、これまでとは比べものにならない。
伝わった。
たぶん、初めてちゃんと届いた。
それが嬉しいのに、よりによって酔った焼き鳥動画なのが、本当に納得いかない。
亮平さんが迎えに来るのは、十一時。
今日は、次に行く少し遠い取材先の打ち合わせがある。
会ったらすぐに、あの動画のことを謝らないといけない。
それだけじゃない。
恋人のフリは、きっとなくなるだろう。
だって、あれは亮平さんの仕事に支障を出さないためのものだった。
なのに、これではむしろ、亮平さんまで変に注目されてしまう。
コメント欄には若旦那だの、撮り方が優しいだの、付き合っているだの、好き勝手な言葉が並んでいる。
それを見たら、亮平さんはどう思うだろう。
「ひょっとしたら、今後の取材先への同行もなしになっちゃうかなぁ……」
泣きそうになりながらぽつりと呟くと、いよぴよさんが枕元で首を傾げた。
「要らん心配なんよ」
「誰のせいだと思ってんの!羽根を毟るわよ!?」
「そう思っとるのは美咲ちゃんだけやのに」
「どういう意味よ」
「そのうちわかるんよ」
「わかるまでに、あなたの羽根が残ってるといいわね」
「怖いんよ」
この一か月、なんだかんだ楽しく色々な取材に行けていたのは、確実に亮平さんのおかげだった。
車を出してくれて。
地元の人しか知らないようなお店を教えてくれて。
取材先との間に入ってくれて。
私が変な方向に暴走しそうになると、静かに止めてくれて。
それに、私が撮ったものや書いた言葉を、ちゃんと見てくれた。
伸びない投稿にも、意味がないとは言わなかった。
どう伝えればいいか、一緒に考えてくれた。
そのお礼だけは、ちゃんと言わないと。
朝一で謝罪のメッセージは送ったけれど、この時間まで返事はない。
チェックアウトの対応で忙しいだけかもしれない。
旅館の朝は、この前見ただけでも慌ただしそうだった。
でも、もしかしたら。
怒っているから、返事すらしたくないのかもしれない。
そう考えた途端、胃のあたりがぎゅっと縮んだ。
昨日あれだけ焼き鳥を食べた胃袋が、今は何も受けつけそうにない。
重い気持ちのまま、私はノートパソコンを閉じた。
待ち合わせに向かうため、部屋を出る。
鍵をかける手元まで、妙に落ち着かなかった。
スマホは、まだ震えている。
通知欄の中で、また新しいコメントが増えた。
『愛媛の元カノ、今日も幸せに食べててほしい』
「……だから、『元カノ』じゃないってば」
小さく呟いた声は、誰にも届かなかった。
けれど画面の向こうでは、私の知らない誰かが、私を勝手に『愛媛の元カノ』にしている。
広報としては成功。
本人としては、大事故。
その二つを抱えたまま、私はスマホを握りしめて階段を下りた。
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




