第十四話 酔った勢いで、元婚約者の話までこぼれてしまいました
焼き鳥は次々に焼けていく。
もも。
皮。
せせり。
つくね。
肝。
手羽。
皮はかりかりで、噛むたびに脂がじゅわっと出る。
せせりは歯ごたえがあって、噛むほど旨みが出る。
つくねはふわっとしていて、卵黄を絡めると一気に濃厚になる。
肝は少し苦みがあって、大人の味だ。
手羽は熱くて食べにくいのに、夢中でかじってしまう。
気づけば、箸もグラスも止まらなくなっていた。
「……美咲さん、少し飲みすぎでは」
「だ~いじょうぶです~」
自分の声が、少しふわふわしている。
語尾が自分の手から離れて、勝手に伸びていく。
「大丈夫な方の返事ではありませんね」
「だいじょうぶですってば。私、意外とお酒強いんです」
「そう言う方ほど危ないです」
「亮平さん、心配性ですねぇ」
そう言って笑ったつもりだったのに、頬が勝手に緩む。
目の前の炭火が、ぼやけて見える。
火の赤も、グラスの光も、亮平さんの輪郭も、いつもよりやわらかい。
美味しいお肉に、飲みやすいお酒。
すぐ隣に、安心できる人。
お酒が進む。
進む進む。進みまくる。
取材メモには、「鶏の脂に辛口が合う」「柚子サワーは香りが主役」「キウイは意外性」と打ったところまでは覚えている。
その次に何を書こうとしたのかは、もう少し怪しい。
気がつけば、自分が何杯飲んだのかもよくわからなくなっていた。
「で~……寿退職したのに、浮気されちゃったんですよ~~」
気づいたら、私はそんなことを口走っていた。
亮平さんの箸が、ぴたりと止まる。
炭火の音だけが、やけに近く聞こえた。
「もう、人生で一番しんどいクリスマスでした……うぅ……」
「美咲さん」
「だって十二月ですよ?本当なら結婚式だったんですよ?なのに私は、失業手当をもらいながら求人票見てたんです。ケーキじゃなくて求人票。最悪じゃないですか?」
「……そうですね」
「転職も、ぜんっぜんうまくいかなくて。お祈りメール、四百五十九通!」
私は指を四本立てようとして、なぜか三本になっていた。
「あれ?これ三?」
「三です」
「四百五十九です!」
「はい」
「そしたら、まさかの今の愛媛での仕事の内定が来たんです。四百五十九で、四五九。これ、絶対かけてますよね!?人の人生で語呂合わせするなんて、ひどくないですか!?」
肩の上で、いよぴよさんが胸を張る。
「運命なんよ」
「運命じゃなくてダジャレでしょ!」
「美咲さん」
亮平さんが静かに声をかける。
私はその声に引っ張られるように、顔を上げた。
「はい?」
「お水を飲みましょう」
「水よりサワーがいいです」
「水です」
「亮平さん、急に厳しい~」
「厳しくします」
「恋人のフリなのに?」
「フリでも、目の前で潰れそうな人は止めます」
「潰れませんよぉ」
「説得力がありません」
グラスを手渡される。
中身は水。
仕方なくひと口飲む。
その冷たさに意識が戻る。
でも、戻った意識はまたすぐに、口を軽くする方向へ働いた。
「愛媛に来て一か月なのに、体重が二キロも増えちゃったんです~~」
「それは……」
「食べ物が美味しすぎるのが悪いんです。鯛めしも、じゃこ天も、焼き鳥も、スイーツも、旅館の朝食も、全部美味しいんです。美味しいのに、元婚約者には結婚式までに少し絞った方がいいって言われてて」
言ってから、自分で笑ってしまう。
「絞る前に、婚約が消えたから、もういいんですけどね~」
亮平さんの表情が変わった。
いつもの穏やかな顔ではない。
静かだけれど、どこか冷たい。
怒っているのだと気づくまで、少し時間がかかった。
「その方は」
「はい?」
「あなたが食べる姿を、ちゃんと見ていなかったんですね」
「……え?」
「美咲さんは、美味しいものを本当に美味しそうに召し上がる。作った人間が見れば、きっと嬉しくなる食べ方です」
声は穏やかなのに、言葉の奥に怒りがある。
その怒りが、私に向けられたものではないことだけはわかった。
「それを笑うのは、見る目がなかったんよ」
最後だけ、少し言葉が崩れた。
亮平さんはすぐに口を閉じたけれど、もう遅い。
心臓が、きゅっとした。
お酒のせい。
きっとそう。
そうじゃないと、今の言葉だけで泣きそうになる理由がわからない。
「亮平さんは、甘やかしますねぇ」
「甘やかしているつもりはありません」
「甘やかされてますぅ」
「では、そうかもしれません」
私は笑った。
笑ったら、うっすらと涙がにじむ。
ふわふわとした気分と、お酒の勢いで、もう自分が何を言っているのかよくわからない。
ただ、目の前の焼き鳥は美味しくて。
お酒は飲みやすくて。
亮平さんの声はやさしくて。
愛媛に来てから、私は何度も困っている。
食べ物が美味しすぎて困る。
景色がきれいすぎて困る。
この人が、私の弱いところを当たり前みたいに肯定してくるから困る。
「……でも、太ったら広報としてまずいですよねぇ」
「なぜですか」
「だって、少しでも可愛くないと……」
「可愛いですよ」
「……へ?」
亮平さんは、手元のグラスを置いた。
「少なくとも、需要はあります」
「それ、前も言いましたねぇ」
「言っていません」
「言いましたぁ」
「聞き間違いです」
「いよぴよさん、言いましたよねぇ?」
「言うとったけんねぇ」
「ほらぁ」
私はけらけら笑った。
笑うたびに、頬が熱くなる。
お酒のせいなのか、亮平さんのせいなのか、もう判断がつかない。
判断できないなら、お酒のせいにしておくのが平和だ。
少なくとも、今の私はそう決めた。
笑いながらまた箸を伸ばすと、亮平さんがすぐに皿を少し遠ざけた。
「今日はもう終わりです」
「ええー。最後に皮だけ」
「終わりです」
「亮平さんのけち~」
「けちで結構です」
「若旦那なのに」
「若旦那なので」
「……愛媛、こわいです」
「何がですか」
「食べ物も、お酒も、亮平さんも、全部こわいです……東京に帰れなくなっちゃいます」
亮平さんも黙った。
グラスの中の氷が、からん、と小さく鳴る。
その音が妙にはっきり聞こえたのに、意味を考える前に眠気がどっと押し寄せてくる。
「帰さんよ」
炭火の音が遠くなる。
亮平さんは、今何て言ったんだろう。
店内のざわめきも、グラスの音も、全部がやわらかく溶けていく。
「美咲さん?」
「んー……」
「眠いですか」
「眠くないです~」
「目を閉じています」
「閉じてません……」
「閉じています」
「亮平さん、細かい……」
テーブルに頬をつけたら、冷たくて気持ちよかった。
起きていなきゃいけないのはわかっているのに、身体が言うことを聞かない。
肩の上で、いよぴよさんが慌てたように羽をばたつかせる。
「寝るんよ!?ここで寝るんよ!?」
「寝てないですぅ……」
「寝とるけんねぇ!」
その声も、だんだん遠くなる。
最後に覚えているのは、亮平さんが店員さんに静かに水を頼む声と、私の肩からいよぴよさんが転がり落ちないように、そっと手を添える気配。
それから、誰かを落ち着かせるような、小さな「しー」という吐息。
たぶん、いよぴよさんに向けたものだ。
でもその音は、私に向けられたものみたいに耳元に残った。
騒がなくていい。
今は眠っていい。
そんなふうに言われた気がして、私はそのまま、炭火の匂いと日本酒の甘さの中に沈んでいった。
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