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【完結】四国転生〜459通のお祈りメールから、旅館若旦那の偽恋人になりました〜  作者: 木風


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第十三話 地鶏炭火焼と地酒が、理性を奪いにきました

目の前の炭火の上で、鶏肉がじゅうじゅうと音を立てていた。

串に刺されたもも肉の表面が、火に炙られて少しずつ色を変えていく。

白っぽかった脂が透明に溶け、皮の端からぷくりと泡のように浮かんだかと思うと、ぽたりと炭へ落ちた。


ぱち、と小さく火が跳ねる。

香ばしい煙がふわりと立ち上がり、醤油だれの甘い匂いと、焼けた脂の匂いが鼻をくすぐった。


「……これは、だめな匂いです」

「だめ、ですか」

「全身で浴びたい!人間の理性を奪う匂いです」


そう言いながら、私はすでに箸を持つ準備をしていた。

目の前にあるのは、塩とたれの二種類。

塩を振られた鶏は、表面がかりっと焼けているのに、中は見るからにふっくらしている。

たれをまとった方は、つやつやと濃い飴色に光っていて、炭火の赤を映しているみたいだった。


「美咲さん、目が真剣です」

「仕事ですから」

「箸の角度が、完全に食べる時のものですが」

「仕事です」


言い切ったところで、店員さんが細長い木の板に乗せた飲み比べセットを運んできた。


小さな升に立てられた、金色の縁取りがある繊細なグラス。

そこに、透明な酒がなみなみと注がれている。

表面張力で、今にもこぼれそうなほど盛り上がった液面が、店内の灯りを受けてきらりと光った。


「きれい……!」


声がこぼれる。

日本酒って、もっとおじさんが渋い顔で飲むものだと思っていた。

少なくとも、私の中ではテレビドラマの頑固な板前か、年末の親戚の集まりにいるおじさんの飲み物だった。

でも目の前のそれは、宝石みたいにきれい。

透明なのに、ちゃんと華がある。


「そうですね。乾杯しましょうか」

「はいっ」


こぼさないように、そっとグラスを持ち上げる。

指先が少し緊張する。

亮平さんのグラスと合わせると、ちん、と澄んだ音がした。

居酒屋のざわめきの中でも、その音だけは不思議とはっきり耳に残る。


「乾杯」

「かんぱ~い」


まずは、いちばん淡い香りのものから口に含む。


「……ほぅ」


自分でも変な声が出た。


「私、日本酒苦手だったんですけど、これはすごい飲みやすいです」

「それはよかった」

「なんか、透明なのに味があります」


口に入れた時はふわっとやわらかくて、あとから米の甘みがゆっくり広がる。

飲み込むと、喉の奥に残るのはアルコールの強さではなく、すっと抜けるような清々しさ。


「水みたいなのに、水じゃないというか」

「危ない感想です。飲みすぎますよ」

「気をつけます」


そう言いながら、二口目を飲んだ。

気をつける気は、たぶんあまりなかった。


そこへ、焼き上がった鶏が皿に置かれる。

炭火の香りをまとった湯気が、ゆっくり立ちのぼった。


最初は塩。

箸で持ち上げると、表面の皮がぱりっと音を立てた。

噛んだ途端、香ばしさと肉汁が同時に押し寄せる。


「……あっつ!」


でも、美味しい。

塩だけなのに、鶏の甘みがわかる。

脂はしっかりあるのに、しつこくない。

炭の香りがほんの少しついていて、それがまたお酒と合う。


「これ、反則です」

「何がですか」

「お酒をおかわりさせる気です!」

「焼き鳥屋なので」

「正しい営業努力ですね」


次に、たれの方を食べる。

甘辛いたれが焦げたところは、少しほろ苦い。

皮の脂とたれの甘みが舌の上で混ざって、そこに日本酒をひと口。


「……だめです」

「だめなんですか?」

「お酒と焼き鳥、無限ループしてしまいます」

「だから言ったでしょう」


亮平さんが苦笑する。

その顔を見て、胸のどこかがゆるむ。


この一か月、恋人のフリをしている。

手をつないで歩くことも、名前で呼ばれることも、前よりは慣れた。

慣れたはずなのに、こうして向かい合ってお酒を飲んでいると、うっかり気持ちが変わってしまいそうになる。


でも、夜には炭火焼き屋さんの取材がある。

そう思わないと、亮平さんの視線をまっすぐ受け止められない。


私は慌ててスマホを手に取った。

食べる前に撮る。

飲む前に撮る。

仕事。これは仕事だ。まるで免罪符のように。


炭火の上で脂が落ちるところ。

たれの照り。

グラスの透明感。

升の木目。

焼きたての湯気。

皿の端に添えられた柚子胡椒まで、全部美味しそうに見える。


「よかったら、僕が撮りましょうか?」

「いいんですか?」

「はい」


亮平さんが、私のスマホを受け取る。

長い指が画面に触れるのを見て、なぜか自分のスマホなのに妙に落ち着かない。

ロックを解除して渡すだけのことに、変な緊張が混ざる。


「動画も撮っても?」

「動画、ですか?」


動画か。

今までは写真ばかりだったけれど、確かにこの光景は静止画だけではもったいない。


脂が落ちて火が跳ねるところ。

グラスを傾けた時のきらめき。

焼きたてを頬張って、たぶんものすごくわかりやすく幸せそうな顔をするところ。


……最後はいらないかもしれない。


「私の顔は、できれば控えめでお願いします」

「なぜですか」

「食べてる時の私は、たぶん広報官ではなく、ただの食いしん坊なので」

「そこがいいと思います」

「そんなことを思うの、亮平さんだけですよ?」

「美味しいものを美味しそうに食べる人がいると、見ている方も食べたくなります」

「また、そういうことをさらっと……」


言いかけて、私は口を閉じた。

亮平さんは本気で仕事の話をしている。

たぶん。

きっと。


「では、短めに撮りますね」

「お願いします。事故映像にならない範囲で」

「事故にはしません」


亮平さんがスマホを構える。

私は箸を持ち直し、焼きたての鶏を前に小さく息を吸った。


仕事。

これは仕事。

けれど、炭火の匂いと日本酒の甘さと、向かい側からこちらを見ている亮平さんの視線が混ざると、その言い訳は心もとなかった。


お酒が入っているせいか、いつもより頬が熱くなる。


愛媛に来てから、いろんな美味しいものを食べてきた。

鯛めし。

じゃこ天。

柑橘スイーツ。

旅館の朝食。


でも、お酒と一緒にゆっくり味わうのは、これが初めてだった。


二杯目は、少し甘い香りのする酒だった。

口に含むと、果物みたいな丸みがあって、後味がやさしい。

最初に飲んだものよりもふわっとしていて、舌の上に残る甘さまできれい。


三杯目は、すっきりしていた。

冷たい水のように入ってくるのに、飲み込んだあとで、舌の奥に米の旨みが残る。


四杯目は、少し辛口。

最初はきりっとしているのに、鶏の脂を流すと、途端に喉が軽くなる。

焼きたての香ばしさが、また次のひと口を呼んでくる。


「日本酒って、全部同じ味だと思ってました」

「怒られますよ」

「今なら土下座して謝れます。日本酒の皆様、すみませんでした」

「日本酒の皆様」


亮平さんが小さく笑った。

その笑い声まで、いつもより少し近く聞こえる。


普段なら、ここで「取材メモを残さなきゃ」とスマホに手を伸ばすところだ。

けれど今は、グラスのふちについた水滴や、炭火の赤い揺れをただ眺めていたい。

仕事で来ているはずなのに、目の前の時間が妙に心地いい。


そこへ、果物をたっぷり使ったサワーも運ばれてくる。


みかん。

柚子。

檸檬。

それから、キウイ。


「愛媛って、みかんだけじゃないんですね」

「柑橘はもちろんですが、キウイも有名ですよ」

「キウイまで……?」


グラスの中で、薄く切られた果物が氷の間に揺れている。

みかんのサワーは、ひと口飲んだだけで果汁の甘みがぱっと広がった。

柚子は香りが強くて、鼻に抜ける。

檸檬はすっきりしていて、焼き鳥の脂を気持ちよく切ってくれる。

キウイは思ったよりやわらかくて、甘酸っぱくて、とろりとしていた。


「……これ、危険です」

「今日だけで何回目の危険ですか」

「危険なものが多すぎるんです、危険地帯だらけです愛媛」

「気に入っていただけて何よりです」

「気に入りすぎて困ってます」

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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