第十話 柑橘スイーツ取材のはずが、愛媛移住プレゼンを受けています
住民票の移動に、保険。
銀行口座の住所変更に、契約書類の確認。
一通りの手続きを終えて市役所から出ると、スマホに曽我部さんからのメッセージが届いていた。
『駐車場で待っています』
短い文章なのに、妙にきちんとしている。
画面を見ながら、前髪を整える。
駐車場に向かうと、たくさん止まっている車の隣に立つ、曽我部さんの姿。
と、彼を取り囲む三人の女性も。
「……え」
昨日のロビーで隠し撮りをしていた女性たちのことを思い出す。
まさか、こんなところにまで?
「もてもてやけんねぇ」
肩の上で、いよぴよさんがのんきに言う。
その言葉に、じわりと面白くない気持ちが湧いてくる。
別に、私には関係ない。
曽我部さんが誰と話していようと、私が何か言う立場ではない。
そもそも私は、昨日愛媛に来たばかりの広報担当で、今日これからスイーツの取材に案内してもらうだけだ。
それだけ、なのに。
「曽我部さん!お待たせしました」
なるべく明るく、大きな声で呼びかける。
曽我部さんがこちらを見て、ほんの少しほっとしたような顔をした。
その表情を見た瞬間、呼んでよかったのだとわかる。
一方で、女性たちは顔を見合わせた。
「いこっか」
「うん」
「彼女かな?」
「この前はいないって言ってたよ」
「だよね」
すれ違いざまに聞こえてきた会話と、私をちらちら見てくる視線が痛い。
何ですか。
彼女じゃありません。
ただの、昨日から愛媛に転生した広報担当です。
いや、転職。転職だ。
「大丈夫ですか?」
「すみません。不快な気分にさせていませんか?」
助手席のドアを開けられ、車に乗り込む。
運転席に座った曽我部さんは、ハンドルに軽く額を預け、大きく息を吐く。
さっきまでの、若旦那としての表情が崩れている。
見てはいけないものを見てしまった気がして、私はシートベルトに手をかけたまま固まった。
やっぱり甘えない方がよかったのかもしれない。
旅館の若旦那が、こんな取材に付き合うほど暇なわけがない。
それに、こうして外で会えば、また余計な注目を集めてしまうのかもしれない。
「あの、やっぱり一人で……」
「いえ、すみません」
曽我部さんは顔を上げ、いつもの落ち着いた声に戻ろうとしているのがわかる。
「行きましょうか」
「……はい」
車が静かに駐車場を出る。
さっきの女性たちの視線が、まだ背中のあたりに残っている気がした。
市役所から車で十分ほど。
曽我部さんが連れてきてくれたのは、細い路地を少し入った先にある、小さなカフェだった。
白い壁に、木の扉。
入り口の横には、鉢植えの小さな柑橘の木が置かれていて、まだ青い実がいくつもついている。
看板は控えめで、知らなければ通り過ぎてしまいそうだ。
けれど窓の向こうには、若い女性客や観光客らしき人たちの姿が見える。
「ここですか?」
「はい。地元の柑橘を使ったスイーツが評判の店です。観光客向けに見えますが、常連も多いですよ」
「それ、かなり強いですね。観光客にも地元にも刺さってるってことですよね」
「広報の方らしい見方ですね」
「昨日から広報になったばかりですけど」
そう言いながらも、私はスマホを構える。
外観を斜めから。
入り口の鉢植え。
木の扉の取っ手。
看板の文字。
窓辺に置かれた、小さな焼き菓子のディスプレイ。
「あ、この店、写真撮りやすい……」
「気に入りましたか」
「はい。情報量が多すぎないのに、ちゃんと可愛いです。こういうの、投稿で映えそうですよね」
白い壁と木の色。
柑橘の葉の緑。
小さな看板の控えめな文字。
全部が主張しすぎていないのに、写真に収めるとちゃんと絵になる。
「なるほど」
曽我部さんは、私が写真を撮る様子を邪魔せず、少し離れたところで待っていてくれた。
急かさない。
口を挟まない。
でも、必要な時にはすっと説明してくれる。
その距離感が、仕事相手としてすごくやりやすい。
昨日の旅館取材でも思ったけれど、この人は人との間合いの取り方がうまいのだ。
店内に入ると、柑橘の甘酸っぱい香りがふわりと鼻をくすぐった。
ショーケースには、みかんのタルト、甘夏のレアチーズケーキ、河内晩柑のゼリー、レモンのパウンドケーキ。
どれも、黄色や橙色がきらきらしていて、見ているだけで口の中が甘酸っぱくなる。
「……全部食べたい」
やばい、本音が漏れた。
「全部はさすがに多いのでは」
「昨日の夕食を完食した女に向かって、それを言いますか?三つはいけます」
「三つ」
曽我部さんが若干引いているのがわかる。
欲張りな食い意地の張った女だと思われてしまったかも。
「……一緒にシェアしますか?」
「シェア!?」
「あ、嫌なら……」
「いえっ、あ、大丈夫、です。助かります」
ただのスイーツを取材するだけのはずが……
そんなの、いよぴよさんのいう通り、デートになってしまうんでは?
いや、これは仕事!広報活動に必要な情報収集!!
席に着くと、注文したスイーツが順番に運ばれてきた。
まずは、みかんのタルト。
薄く重ねられたみかんの果肉が、花みたいに広がっている。
つやつやと光る表面に、窓からの光が反射していた。
次に、甘夏のレアチーズケーキ。
白いクリームの上に、ほろ苦そうな甘夏のソース。
見た目だけで、甘さと酸味のバランスがよさそうなのがわかる。
最後に、河内晩柑のゼリー。
透明なグラスの中で、淡い黄色が涼しげに揺れている。
光を通すと、まるで小さな初夏を閉じ込めたみたい。
「……これは、撮らなきゃだめなやつです」
真顔でスマホを構える。
「誰に命じられたんですか」
「胃袋と職業倫理です」
「食欲では」
「職業倫理です」
曽我部さんが小さく笑う。
その笑い方に、さっき駐車場で見た疲れた顔が薄れた気がした。
それならよかった、と思ってしまってから、私は慌ててスマホの画面に意識を戻す。
今は仕事。
これは取材。
目の前には、愛媛の柑橘スイーツ。
余計なことを考えるより先に、まずは一番美味しそうに見える角度を探さなければ。
私は角度を変えながら、ひたすら写真を撮った。
全体。
タルトの断面。
フォークを入れたところ。
ゼリーの透け感。
ケーキにかかったソースのつや。
窓から入る光が少し動くだけで、スイーツの表情が変わる。
みかんの果肉はつやつやしているし、ゼリーは光を通すと、淡い黄色がふるふる揺れる。
これは撮らない方が失礼だ。
気づけば、食べる前に二十枚以上撮っていた。
「瀬川さんは、食べる前から楽しそうですね」
「食べる前が一番真剣なんです。だって、崩したら戻せないので」
「なるほど」
「でも、食べたらもっと真剣になります」
「それはぜひ見てみたいですね」
その言い方が妙に優しくて、落ち着かない。
見てみたい、という言葉が、スイーツの感想の話だとわかっているのに、耳に残る。
ごまかすように、みかんのタルトを一口食べた。
「……っん!」
さくっとしたタルト生地となめらかなクリーム。
その上で、みかんの果汁がぱっと弾ける。
甘い。
でも、ただ甘いんじゃない。
最後にちゃんと酸味が残るから、口の中が重くならない。
食べ終えたはずなのに、次の一口のことを考えてしまう。
「~~~っ美味しいっ!」
「よかったです」
「これ、危険です。ひと口目で終わりが見えない」
「終わり?」
「気づいたら皿が空になってるタイプです」
「それは、店の方にとっては褒め言葉ですね」
曽我部さんが穏やかに言う。
「愛媛って、柑橘の使い方が本気ですね」
「本気です」
「そこは即答なんですね」
「はい。負けられませんから」
「誰にですか?」
「他県に」
若旦那、急に地元愛が強い。
静かな顔をしているのに、柑橘の話になると芯が強い。
こういうところ、なんだか少し面白い。
次に、甘夏のレアチーズケーキにフォークを入れる。
白いクリームはやわらかくて、切った断面に甘夏のソースがゆっくり流れる。
ひと口食べると、チーズのまろやかさのあとに、甘夏の苦みがほんの少し追いかけてくる。
思ったより、大人の味。
「これ、大人の初恋みたいな味がします」
「大人の初恋」
「甘いけど、ほろ苦い」
「……瀬川さんは、食べ物の表現が独特ですね」
「変ですか?」
「いいえ。伝わります」
その一言に、フォークを持つ手が少し止まった。
伝わる。
たったそれだけの言葉なのに、気持ちがふっと軽くなる。
今までの私は、言われた通りにバナーを作って、言われた通りに文言を入れて、言われた通りに修正してきた。
自分の言葉で何かを伝えることなんて、ほとんどなかった。
むしろ、自分の言葉を入れる余白なんて、あの職場にはなかった気がする。
でも今、目の前の人は、私の変な食レポを笑わずに『伝わる』と言ってくれた。
「……じゃあ、投稿文にも使ってみようかな」
「いいと思います」
「でも、『大人の初恋』は恥ずかしいですかね」
「僕は、わかる気がするので好きですが」
「え」
「表現の話です」
「あ、はい。ですよね」
一瞬、変な間が空いた気がした。
いや、たぶん私の気のせいだ。
曽我部さんは仕事の話をしているだけなのに。
私は慌てて、河内晩柑のゼリーに逃げた。
スプーンを入れると、透明なゼリーがぷるんと揺れる。
口に入れると、すっきりした甘さが喉にするっと落ちていく。
香りは華やかなのに、後味は驚くほど軽い。
「これ、昨日の私に必要でした」
「昨日は駅弁とじゃこ天でしたね」
「忘れてください」
「印象的でしたので」
「忘れてください」
二回言っても、曽我部さんは穏やかに笑っているだけ。
忘れる気、絶対にない。
肩の上で、いよぴよさんがふふんと笑う。
「食べっぷり広報、爆誕やけんねぇ」
「まだ爆誕してない」
「もうしとるんよ」
「黙って。今、メモしてるから」
私は小声で言い返しながら、スマホにメモを打つ。
みかんタルト。
一口目で果汁が弾ける。甘いのに重くない。皿が空になるまでが早い。
甘夏レアチーズ。
甘さの後に苦み。大人の初恋みたいな味。
河内晩柑ゼリー。
食後でもいける。旅先の胃袋にやさしい。
書いてから、少し笑ってしまう。
広報って、何をしたらいいんだろう。
昨夜、布団の中でそう思った。
でも、今ならわかる気がする。
私が美味しいと思ったものを、誰かが食べたくなるように伝える。
私が行ってよかったと思った場所を、誰かも行きたいと思うように見せる。
難しいけれど、同じくらい楽しい。
「よい顔をしていますね」
「え?」
曽我部さんに言われて、私は顔を上げた。
「取材中の瀬川さんです」
「どんな顔ですか」
「美味しいものを見つけた人の顔です」
「それ、広報として大丈夫でしょうか?」
「瀬川さんが楽しそうにしていると、この店に来たくなります」
その言葉に、胸の内側が小さく揺れた。
「……それ、褒めてます?」
「もちろんです」
「なら、受け取っておきます」
「はい。ぜひ」
真正面から褒められると、どういう顔をしていいのかわからない。
ここ最近の私は、不採用通知ばかり受け取ってきた。
誰かに、ちゃんと見てもらうことに慣れていない。
照れ隠しに、残っていたタルトを口に入れた。
やっぱり美味しい。
悔しいくらい、美味しい。
愛媛に来てから、胃袋ばかり先に馴染んでいく気がする。
でも、もしかしたら。
気持ちの方も、少しずつ追いつき始めているのかもしれない。
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