3−2「日常」
最近の月鹿は分からない事だらけだ。時々、不思議な程に強い感情が月鹿を襲う。突然、月鹿の中の何かが強く訴えかけてくるのだ。自分は一体、誰なのだろうか、気がつくといつの間にかそんな意味不明な事を真剣に考えてしまっているほどに、月鹿の頭は混乱していた。
「ねぇねぇるかち、その人、誰?」
次の日の休み時間、月鹿のノートを覗いた瑞希は、そう尋ねた。
「…え?」
瑞希に問われ、月鹿は自分のノートを見てみる。そこには青い髪の少女が描かれていた。どうやら、月鹿は無意識のうちに絵を描いていたらしい。
「…誰、だろう」
知らない少女。描かれた少女はこれと言って特徴のある外見というわけではないが、月鹿が今まで見てきたどの小説やアニメ、漫画などの登場人物にも、登場した覚えはない。
「えー、何それ!?分からないのに描いてたの?」
「あはは…うーん、そうかもしれないね」
そう言いながら月鹿は、改めて自身の手によって描かれた少女を見る。何度見ても、やはり知らない。それなのにとても見慣れた人物に思えるのは、どうしてなのか。
「そうなんだ…。てゆーかさ、前から薄々思ってたんだけど、るかちって、実は絵を描くのが結構、いやかなり上手いよね。美術の時間とか、授業中に絵を描きましょうって言われた時とかそーいう、ちゃんとした時とかに描いてるやつはそこまででもないから気のせいかなとも思ってたんだけど。もしかして、あれってわざとなの?」
瑞希はずかずかと聞いてくる。
「いや、そんな事ないよ。私はいつも全力で描いているし…うーん、なんだろう…。ちゃんと描こうとすると上手く描けなくなるというか…。結構あるあるらしいよ、これ」
「ふぅん」
自分から聞いてきたくせに、瑞稀は適当な相槌を打っただけで、話半分に月鹿が描いた少女の絵をまじまじと見つめている。
「あ、あんまり見ないでよ。恥ずかしいし…」
「こんなに上手いのに?」
「恥ずかしいのに上手いも下手もないよ…」
「大丈夫!るかちは自信を持っていいよ!」
「日本語が通じてない…」
月鹿は顔を赤くして恥ずかしそうな様子で瑞稀に言うが、瑞希は頑なに見るのをやめようとしない。
「あれ、ふたりとも何やってるの?」
瑞希が月鹿の席を覗き込んでいることに気が付いた奈子は、近づいてきて、瑞希の視線の先に目を向ける。
「ねぇねぇこの子、るかちが描いたんだって!凄いよね!上手いよね!」
瑞希が月鹿の絵を指しながら奈子に言う。
「あ」
「え、そうなの?凄っ、上手っ」
意外だと驚いた奈子は、素直に感心している素振りで月鹿の絵をまじまじと見つめる。
「あはは…えーと、ありがとう」
「ちなみにこの人、誰?」
奈子が聞くと、月鹿の代わりに瑞希が答える。
「誰か分からないらしいよ」
「それって、オリジナルのキャラクターってこと?凄っ。冒険者っぽい服きてるけど、ファンタジー世界の人なの?」
「うーん…、そうかも」
絵の中の少女は立派な防具を来て、勇ましい顔で剣を握っている。冒険者と言われれば、そうなのかもしれない。でも…
(……………)
「でもさ、冒険者も分かるけど、雰囲気的には勇者みたいじゃない?」
瑞希がそう言う。
「…勇者?」
「あー、確かに。物語の中の、魔王を倒す勇者!て感じがする。…そういえば、物語の勇者って大体男だよね?そう思うと、この絵に描かれているのは女の子っぽいから違う気がしないでもないけどさ、なんかイラってくるよね、女は黙って守られとけー!みたいな文化」
女だって戦えるのに、と奈子は何も無いところに向かってパンチの素振りをする。
「あ、分かるそれ!でも最近よくさ、今の時代はジェインダーレスだー!とか言ってる人が増えてきたじゃない?つまり、これからの時代は女の子が勇者の物語がいっぱいでてくるかもしれないしさ、この子が勇者でもおかしなことじゃないんだよ!」
「うん……いやまあ言いたいことは分かるけどさ、ちょっと1個だけ突っ込ませて。あの、ジェインダーレスって何?そんな単語聞いたことないんだけど。それを言うならジェンダーレスじゃない?どっから出てきたのよ、その謎の"イ"は」
「そうそれ。奈子賢ぉい」
「…瑞希に言われるとなんか複雑なんだけど」
「なんでよー!素直に言っただけなのに!酷い!」
「いやあんたの方が成績良いじゃない…それでその言い方は嫌味にしか聞こえないわよ…」
瑞稀はこう見えて、成績はかなり良い方なのだ。学年で1番とまではいかないが、定期テスト後に張り出される成績上位者一覧によく名前が載っている。対する奈子は胸下辺りで綺麗に切り揃えられた髪に、真っ黒な全縁の眼鏡という、ぽやぽやとした雰囲気を纏った瑞稀よりも圧倒的に優等生らしい格好をしているのだが、実を言うと成績はあまりよろしくない。毎回、テスト後に追試や補講に引っ掛かっては、次こそはいい点をとるから!と言い張っている。
何故、この事を今年知り合ったばかりの月鹿が知っているのかと言うと、奈子がそう言い張る場面に何度も立ち会っているからである。追試や補講は基本的に、全クラス合同で行われる。補講は対象者が多い場合のみ、クラスごとに分けられることがあるが、追試に関してはそんなことも無い。全てのクラスの対象者全員が、大教室に集まって一斉にテストを受けるのだ。奈子と同じく追試、補講の常連である月鹿は、高らかに宣言しては次の追試で当たり前のように顔を出す奈子の姿をこの目で何度も見てきた。
そんな事から、月鹿と奈子が直接話す機会は無かったものの、お互い顔は何度も見た事があるという関係であった。
ちなみにゆかりは、瑞稀以上に成績が良い。これまでのテストでは必ず、全教科総合の成績上位者一覧に名前が載っていた。数学に至っては3位以下になった事がまず無い。入学してからずっと、ゆかりともう1人で、常に数学の1位を競い合っている。
「嫌味じゃないのにー!それに、テストに出ない事は奈子の方が賢いんだよ?なんでか分からないけど」
「それはこっちのセリフだわ」
「…女の子の、勇者」
何故だか分からないが、月鹿にはその言葉が妙にしっくりきた。この少女は勇者だったのだろうか?しっくりきたと同時に、月鹿の心の中を、言いようのないもやもやが気持ち悪いほどに埋めつくしていく。
「…あれ、そういえば去年のあんた達のクラスって、確か文化祭で劇やってたよね?」
「ん?そうだけど」
突然話を飛ばした奈子に対して、瑞希は普段の自分は棚にあげて「なに急に」と言わんばかりの顔で返事をする。
「劇の背景の絵、凄く上手かったよね?あれってもしかして月鹿が描いてた?」
奈子の言葉に、月鹿は困ったように微笑み、説明する。
「それは違うよ。あの絵は殆ど堀口くんが1人で描いたものだから。そもそも、去年の私の担当は照明だったから。背景の絵には触れてすらいないよ」
去年の月鹿は、準備期間中の照明は比較的暇なことが多いため他の担当の仕事を手伝ったりはよくしていたが、主に数が多すぎて切羽詰まっていた小道具の制作を手伝っていた。大道具の製作には殆ど手を出していない。板材を運んだり、小道具と共同で使っていたペンキの替えを取りに美術室まで足を運んだことはあったが、背景には一切手を触れていない。奈子の言う上手だった背景というのは、殆どが堀口相馬ひとりの手で描きあげられたものだ。彼は陸上部のエースで知られているが、美術部にも所属している。聞くところによると、前に1度、県単位のコンクールで賞を取ったこともあるらしい。
「え、堀口?堀口ってあの、堀口相馬???あんたの彼氏の???」
「そうだよ」
「え、マジだったの!?」
あまりにもあっさりと肯定した瑞希に奈子は動揺が隠せないようだった。
「うん」
「マジだけど…ゆかりから聞いてたんでしょ。そんなに驚くことかな?それに珍しい苗字とかではないけどさ、この学年に堀口って苗字の人、ひとりしかいないんだから確かめるまでもないと思うんだけど。それをそんな大袈裟にさー…」
月鹿が頷くのと同時に、瑞希は不貞腐れたように頬を膨らまして奈子に言う。
「ああ、ごめん。にしても堀口相馬…イケメンで運動神経も良くて、その上絵まで上手いとは…くぅぅうらやましいぃぃ!」
「ふふん。でしょ?そうまは凄いんだよ???」
悔しそうに歯軋りをする奈子を見た瑞希は、誇らしそうにその平らな胸を張る。そんな瑞希の横で奈子は演技臭く、くそぉと言いながら足踏みをしており、月鹿は軽く微笑みながら、落ち着いてと奈子を慰めている。平和な時間が流れる。そんないつもの日常の片隅、机の上に開かれたノートの中で。凛々しい勇者が、月鹿のことをじっと見つめていた。




