11-2「うつしみ」
「ああ言って出てきたはいいものの……」
乃亜の家を出てから30分。エマは辺りを見渡した。眉間に皺を寄せるエマの横で、変身した乃亜は自信なさげに俯いている。
少しして、エマは近所迷惑にならない程度に声を潜めて、叫んだ。
「ノロイが、1匹も、見つからないんだけど!?!?!?」
そういえば、と月鹿は考える。今日はまだ、一体もノロイを見ていない。いつもなら鬱陶しい程に出くわすノロイを、つばめの園を出てからこれまでの間、全く見かけていないのだ。こんな事は今までに無かった。流石におかしい。
(…………………)
「なんで?"行き"は普通にいたのに…」
眉を顰めて、エマが呟く。
「…ごめんなさい」
「なんであんたが謝んのよ」
「だって……。僕のせいで、あなた方の時間を……」
乃亜はモゴモゴと呟くように話している。そんな彼を見て、エマは心の底から不思議そうに、眉を顰めた。
「あんたのせいって、こうなったのはあたしが司祭様に物申したのが原因だし。むしろあんたは巻き込まれた側じゃない。何言ってんの?」
乃亜の家を出た後、3人は並んで歩きながら取り留めのない会話を交わしていた。
とはいえ、その大半は試練についての話で、合間に軽く他の話題を挟む程度であった。
月鹿にとっては乃亜とは昨日が初対面だが、昨日の記憶がほとんど残っていない乃亜にとっては、月鹿とは今日が初対面という感覚に近い。
そのため、お互い軽く自己紹介をし、短い雑談を交わしたりもした。
さっきまで正気を失っていた乃亜は、試練の細かい条件までは把握できていなかった。
そのため、授与式で何があったのかをエマが一から説明し、今に至っている。
そしてエマは、未だに俯いたまま目を逸らす乃亜を見て、小さく息を零した。
「…はぁ」
体ごと乃亜に向き直ったエマは、真っ直ぐにその顔を見据えた。
「あのさ、だから何であんたが謝んのっ!」
「それは…」
乃亜は気まずそうに目を逸らす。エマはそんな彼の顔を覗き込むように、距離を詰めていく。じわじわと逃げ続ける彼に痺れを切らしたエマは、勢いよく、思いっきり顔を近づけた。逸らしたはずの視界いっぱいにエマが映り、一瞬、乃亜の肩が揺れた。
見つめ合うこと数秒、乃亜が口を開いた。
「………ごめんなさい」
その言葉を聞いたエマは、それはそれは深く息を吐いたのだった。
「はぁぁぁ………じゃあ気を取り直して--て、言いたいんだけど……肝心のノロイが居ないんだよねぇ……」
そう言ってエマは肩を落とす。先程から怒ったり焦ったり、落ち込んだりと、やけに忙しい。
「ねぇ月鹿、今ってノロイの魔力感じる?さっきから、探知に全然引っかからないんだけど…」
肩を落としたまま、エマは月鹿を見る。エマと目が合った月鹿は、少し考えた後に口を開いた。
「ふたりとも、走れる?」
「え?それは…」
「は、はい」
エマが何か言おうとすると同時に、乃亜が頷いた。
「良かった。じゃあ付いてきて」
エマの返事は待たずに月鹿は微笑むと、背を向ける。そしてそのまま、風を切るように夜道を駆け抜けていった。
「あちょっと!?」
「…え?」
残されたふたりは呆然と月鹿が消えた方を見ていた。すると数秒後、月鹿が戻ってきた。そして一言、こう言った。
「…来ないの?」
「行けるか!」
言いたいことが多そうなエマを見て、流石に思うところがあったのか、月鹿はひとまず彼女の話を聞いてみることにした。
「そもそも、どこ行こうってのよ。ノロイのいる場所も分からないのに」
この辺りには全然居なさそうだけど、とエマは月鹿を見る。
「急いで隣町まで行ったら、流石にいるんじゃないかと思って」
「…急ぐ必要ある?それ」
エマの言葉に、月鹿は何処か宙を見ながら「うーん」と呟いた。
やがてエマの方を向き、こくりと首を傾げた。
「あるかもよ?」
月鹿の言葉に、エマは「はぁ?」と眉を顰める。しばらくの見つめ合いの後、エマは負けたとばかりに肩を竦めた。
「分かったよ。あんたについてく。それでいいんでしょ?乃亜もそれで大丈夫そう?」
「え?あ、はい」
エマの言葉に、乃亜も頷く。
「でもさ、さっきのは流石に速すぎ。走るのはいいけど、もっと遅く!あたし達がついていけるように!」
そう言って詰め寄るエマの横で、乃亜がうんうんと首を振った。
月鹿は困ったように少し考えた後、ひとつの案を口にした。
「『いい方法があるよ』て言われたから、どんないい案があるのかと思ったら………」
灰色の建物の屋上で、疲れた顔のエマが言う。その瞳には、薄らと涙が溜まっていた。
「まさか、"あたし達ふたりを抱えて走る"なんて思わないじゃん!!!!!」
ボサボサになった髪を抑えながら、エマは息を荒らげて訴える。
その横で、月鹿はふいと視線を逸らした。
「--ひっ」
逸らした視線の先--ある一点を見つめて動かなくなった月鹿の視線を追った乃亜は、思わず声を洩らした。
その先には、禍々しい黒い影に包まれた、狼のような形をしたナニか--そう、ノロイがいた。
ノロイが振り向く。こちらに気付いたようだ。それはゆっくりと近づいてくる。
「…マジか」
腰を落として身構えながら、エマも変身する。いつの間にか、3人はぼんやりとした狼のような形の霧に囲まれていた。
「ぁ…あぁああぁあ………」
直後、顔を抱えて乃亜が後ずさる。焦点の定まらないその瞳は、こことは違う何かを見ているようだった。
「………る、か」
エマの呟きに、月鹿は振り向く。エマの額には大粒の汗が浮かび、表情は苦しげに歪んでいる。
「るか、るか、るか、月鹿、月鹿」
苦しそうに胸を押さえて、エマは月鹿の名前を唱え続ける。
「エマ…?」
「月鹿、月鹿、月鹿、月鹿…………うぉっしゃぁああい!!!!」
エマは突然叫んだかと思うと、まるで見えない何かを払いのけるように全身を大きく振り回した。
「月鹿、乃亜。うん、大丈夫!あたしはひとりじゃない!」
叫んで、エマは顔を上げる。すると、困惑顔の月鹿と目が合った。
「…大丈夫?」
おそるおそる、月鹿は尋ねる。
「大丈夫大丈夫!こんな所であたしがへばっているようじゃ、乃亜を助けるなんてできっこないし!」
だから心配しないでと、胸を張って話すエマの額には、未だに汗が滲んでいる。しかし、それでもエマは自力で戻ってこれた。そんなエマの様子に、月鹿は始め驚いていたが、すぐに視線を乃亜へと移した。
「あぁあぁぁああぁあああぁああ……」
「乃亜、落ち着いて。乃亜!乃亜!」
頭を抱えてうずくまる乃亜の肩を力強く握りしめて、エマは必死に語りかける。
月鹿は辺りを囲む霧状の黒い狼達を、鎖で殴り払うように振り回した。しかし鎖はその体達をすり抜け、何事もなかったかのように一周する。狼たちの影は鎖が通りすぎた瞬間、スッパリと切り裂かれて形が歪んだ。しかしすぐに、元の形へと戻っていった。
「…本体をやるしかないみたいだね」
その光景を目にしたエマは、体を乃亜へと向けたまま呟く。
「エマは乃亜を見てて。ここは私がやる」
そう言って月鹿は走り出す。すると狼型の黒い影が、進路を塞ぐように飛びかかってきた。周りを取り囲む霧状の狼たちには、変化がない。どこからともなく現れた影の狼たちは、月鹿に向かってその鋭い爪を振るう。周囲を囲っている者達とは違って彼らには実態があるようだ。その証拠に、斬撃が月鹿の羽織ったコートの裾をすっぱりと切り裂いた。
一撃でも喰らったらおしまいのその状況で、月鹿は一瞬の隙も見せずにすべての攻撃をかわしていく。軽やかに進み続ける月鹿はそのまま、群れの中でも一際大きい狼の元へと突き進んでいく。
あっという間に、月鹿は本体と思しき個体の手前までたどり着いた。途端、無数の影が本体を守るように現れる。それらは、月鹿へと一斉に飛びかかってきた。
全ての攻撃を難なく交わした月鹿は、一気に踏み込んで本体まで突っ切る。勢いはそのままに左手で狼の皮膚を切り裂き、右手に握った短剣を、魔石の位置からわずかに外した箇所へ、容赦なく突き立てた。
ぶつり、と神経が千切れる音がして、狼は力なく崩れ落ちる。月鹿へ向かって背後から振り下ろされた爪は、勢いを失ったものの、そのまま振り下ろされる。
爪が月鹿へ到着するよりも前に、月鹿の回し蹴りによって狼は他の個体も巻き込みながら左方向へ吹き飛んでいった。
「浄化」
本体へと向き直った月鹿は、いつものように唱える。直後、白い光が溢れて全ての狼達の体を包み込んだ。
黒い靄は音もなく剥がれ落ちるように霧散し、周囲に満ちていた瘴気もまた、次第に薄れていく。やがて本体も輪郭を失い、静かに消えていった。
一息ついた月鹿がエマたちの方を見ると、彼女達の周囲を囲んでいた影も、ゆらめきながら次々と掻き消えていくところだった。
変身を解き、月鹿は真っ直ぐに彼女達の方を見つめる。その足元には朱殷色の魔石がひとつ、転がっていた。




