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crescent  作者: Luna
第1章

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11-1「うつしみ」

「う…うそ、乃亜って、"男の子"だったの…?」


 唖然とするエマの視線の先。氷室乃亜は生気のない瞳で宙を見つめている。

 時折、瞼がかすかに震える。その微かな動きだけが、彼がまだ生きているということをかろうじて示していた。


「エマ?」


 小さく首をかしげながら、月鹿はエマを見つめた。


「ちょ、ちょっと、月鹿は気付いてたの!?乃亜が男の子だって!」


 エマは月鹿の肩を強く掴むと、激しく揺さぶった。


「え、エマ、落ち着いて!落ち着いて!!!」


 大声を出す彼女を宥めようと、月鹿は必死に声をあげていた。



「落ち着いた?」

「…はい」


 エマを宥め、いまだぐらぐらと揺れる頭を押さえながら、月鹿は尋ねる。

 乃亜に背を向けて立つ月鹿の正面。エマは小さく正座し、腑に落ちない様子で目を逸らしていた。



「で、彼とはどういう関係なの?」

「…どうって?」

「エマは前から彼のことを知っていたんでしょ?聖堂に来る前から気にしてたよね」


 他の退魔使達の話が聞こえてきた時点で、エマは悲しそうに目を伏せていた。その時点で、月鹿はふたりが知り合いだと思っていたのだ。性別を知らなかったところを見るに、そこまで深い関係では無かったようだが。


「…知っていたといえばそうだけど、一回しか会ったことないし…」


 エマはそういうと、静かに目を伏せる。



「…あたしと乃亜は、同期なんだ」


 間を置いて、エマは話し始めた。



 エマと乃亜が知り合ったのは、六ヶ月前に行われた授与式の時だった。

 辛そうな顔で長椅子に座る乃亜に、エマの方から話しかけていった。学年は乃亜がひとつ下だったが、エマは4ヶ月前、乃亜は1ヶ月前に退魔使になったばかりの新人仲間だった。二人とも初めての授与式だったこともあり、話はそれなりに弾んだという。


 夏休み中に退魔使となったエマは、この日を迎えるまでにノルマも達成し、いくつかの魔法を授かれるまでになっていた。しかし乃亜は、1ヶ月前になったばかりということもあり、ノルマ分の魔石すらも手に入れることができていなかった。


 退魔使になって初めての授与式では、ノルマを達成していなくても問題はない。その時の乃亜は式に参加してはいるものの、名前を呼ばれることは無かったという。

 エマは協力を申し出たが、乃亜は「大丈夫」と首を振った。瘴気の恐ろしさについて深く考えていなかった当時のエマは、「頑張って」と励ますだけで、それ以上は深く追及しなかったらしい。


 昨日の授与式で乃亜の姿が確認できなかったエマは、彼女--もとい彼の身に何かあったのではと心配していた。少し前まで自身の精神がおかしくなっていたこともあり、ノルマ分の魔石を集められなかっただけではないのでは?と懸念していた。


 そしてその懸念は、事実となってしまった。


「あの時だって…。あたしの話ばかりで、乃亜の事はなにも……。断られたからって引き下がらず、協力していればよかったんだ」


 エマは眉を落として、昨日と変わらず呆然とする乃亜の傍らへ歩み寄った。


「ごめんね。あたし、乃亜のこと何も見てなかった。辛かったよね、大変だったよね…本当に、ごめん」


 ノアの手を取り、エマは優しく語りかける。


 月鹿は肩にかけていた水筒を手に取った。そのまま蓋を開け、中に入っていた氷を一個、取り出した。


「…それ、どうするの」


 嫌な予感がしたエマは、月鹿に尋ねた。月鹿はにっこりと微笑むと、答える代わりにふたりのもとへ歩み寄っていく。


「ちょ、ちょちょちょちょ、ストップ、ストーップ!!!!!」


 エマは焦って、月鹿の前に立ちはだかる。


「どうしたの?」


 こくりと首を傾げた月鹿に、エマは引き攣った笑みで訴えかける。


「ほ、他の方法を考えよう?ほら、びっくりした乃亜が叫んで両親に気づかれたら、あたし達がヤバくなるし。警察に訴えでもされたら、何も反論できないよ?」


 少しの間、月鹿とエマは微笑んだままお互いを見つめていた。



「…はぁ。分かったよ。氷は止める」


 少しして、月鹿は諦めたように小さく息を吐いた。取り出した氷を口に含み、そのまま部屋を見渡す。やがて、ある一点に目を止めた。


「でもこれは、ノアを正気に戻すためだから。怒らないでね」


 そう言って月鹿はベッドの下に手を伸ばす。冬服が入っていると思われるケースを出し、その更に奥に手を突っ込む。四角いものに手が触れたのを確認した月鹿は、そのままそれを引き寄せた。


「…何してんの?」


 月鹿は引き出した小さな箱を開ける。中に入っていたのは、キラキラのコスメが入った動物の柄のポーチや、パステルカラーの文房具、そして小さなミニチュアセットなどといった、可愛らしい小物達だった。


「それって…」


 エマが見つめる中、月鹿は一体の小さなぬいぐるみを持ち上げる。手のひらサイズのそれを持って、そのまま乃亜の前まで歩いていく。


「ここに、可愛らしい猫のぬいぐるみがあります」


 月鹿は布でできた簡単なつくりの猫のぬいぐるみを、乃亜の目の前まで持ち上げる。そして右手で頭を、左手で胴体を掴んだ。


「…………」


 乃亜の顔が少しだけ動く。その瞳は、確かにぬいぐるみへと向けられていた。


 彼の視線がぬいぐるみへと向けられていることを確信した月鹿は、そのまま容赦なく腕を広げた。


「や、やめて!」


 ビリビリと音がして、ぬいぐるみは容赦なく引き裂かれた。引き裂かれた縫い目の合間から、白い綿がゆっくりと舞い散っていく。



「あ…」


 掠れた声が、かすかに漏れる。

 乃亜は暗い瞳で宙を見つめている。しかしその目は、何も写さなかった先程までのとは違う。彼の目は、しっかりと"ぬいぐるみだった物"を見つめていた。


「さて、次はあなたの番だよ」


 ぐいっと乃亜に顔を近づけて、月鹿は話す。笑顔で覗き込んだ月鹿の右手には、いつの間にか黒い短剣が握られていた。


「ひっ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい--」


 光を取り戻した乃亜の顔から血の気が引いていく。そして彼は、謝罪の言葉を繰り返し唱え始めた。


「ちょっ、ちょっと!何してんのよ!?」


 その様子を唖然と見つめていたエマは、慌てて月鹿の前に出た。


「助けるんじゃ無かったの?何やってんの!?」

「別に、何かしようというわけじゃないよ」

「じゃあそのナイフは何!?余計トラウマを植え付けてどうすんのよ!そんな事して正気に戻る訳ないじゃない!!!」


 乃亜の前に真っ青な顔で立ちはだかったエマは、月鹿に向かって必死に訴える。


 エマの言葉に、月鹿は手元のナイフへと視線を落とす。

 そして数秒間の沈黙の後、テヘッと片目を瞑って舌を出した。


「ごめんね、つい」

「"つい"じゃないでしょ!!」



 エマの背後で、乃亜は目を丸くし、目の前のふたりを見つめていた。


「どうすんのよこれ、勝手に人のものをこんなにして。今度こそ、本当に言い訳できないじゃん!」


 床に落ちたぬいぐるみのかけらを手に取り、エマは困ったように嘆く。


「でも、効果はあったみたいだよ?」


 そう言って、月鹿はエマの後ろへ目を向けた。

 そこでは、まだ顔色の戻らない乃亜が、呆然と座り込んでいた。


「ひっ」


「はぁ?効果って、何を言っ---」

「こ、来ないで!」


 乃亜はビクビクと肩を震わせていた。唇を噛み締めて目を瞑り、眉間には深い皺ができている。



「-----え?」


 突如として放たれたその声に、エマは驚いて後ろへ振り返る。


「乃亜?」

「ひっ。や、やめて、嫌だ、死にたくない、死にたくないです!」


 そう言って乃亜は後ずさる。この場から逃げようと必死に手足を動かすが、震える体のせいで、大して場所は変わっていない。そんな彼の姿を見て、エマは大きく目を見開いた。


「---!」


 エマは口元を両手で抑え、もがき続ける乃亜を見つめる。見開かれたエマの青色の瞳からは、涙が溢れ出してきていた。


「乃亜!」


 名前を呼んで、エマは乃亜を抱きしめる。


「ちょ、ちょっと!?なに、何ですか、何なんですか!」


 突然抱きつかれ、乃亜は目を白黒させながら慌てふためく。


 そんなふたりの様子を、月鹿は微笑ましそうに眺めていた。




 コンコンコン


 そうこうしていると突然、部屋中に扉を叩く音が響いた。

 抱きついたままのエマは、乃亜の肩がぴくりと震えたのを感じ取った。


「なんだか騒がしいけれど、大丈夫?」


 扉越しに先程の女性の声が聞こえる。エマが何か合図を出そうとしたが、その前にノアが口を開いた。


「大丈夫だよ」

「あら、そう?」

「う、うん。疲れたから、気分転換に体操をしてただけ。少し身体を動かすと、集中しやすくなるから」

「そう」

「うん。ちょっと動いたし、これから集中して勉強するつもり。うるさくしてごめんなさい」

「分かったわ。ちゃんと頑張るのよ」

「はい」


 女性の足音が遠ざかっていく。それを聞いた三人は、とりあえずの安堵に胸を撫で下ろした。




「………で」


 エマは振り返って月鹿を見る。笑顔を作ってはいるが、目元は一切笑っていない。


「どういうつもりだったのか、説明してもらおうか」

「どういうつもりも何も、見たまんまだよ」


 正座をさせられた月鹿は、平然とした様子で首を傾げた。


「つまりあんたは、初めから乃亜に酷いことをして、目を冷まさせようとしてたわけだ」


 エマの言葉に、月鹿はこくりと頷く。


「結局、氷とあんま変わんないじゃん…」



「あの…」


 ため息まじりに肩を落とすエマの後ろで、ノアがおずおずと口を開いた。


「あなた達は、一体…」

「あ、怪しいものじゃないんだよ。あたし達はただ、あんたを助けたくて…」


 わたわたと手を振りながら、エマは必死に言い訳を探している。


「助ける?」

「本当だからね!壊しちゃったぬいぐるみの分はちゃんと弁償するから!あ、てか直せないかな…ヒール!」


 白い光がエマの手から溢れてぬいぐる身を包む。しかし何も変化はなかった。


「…やっぱり無理だよね…じゃあ財布、今何円持ってたかな…えっと…」


 エマは方を落とし、ポケットの中に手を入れる。水色の小さな財布を取り出して、いち、に…と入っているお金の金額を不安げに数え始めた。


 その様子を横目に、乃亜は引き裂かれたぬいぐるみに目を向けた。裂けた布の隙間から白い綿を溢れさせたそれは、薄暗い部屋の中、清潔感のある淡い青緑の絨毯の上で静かに横たわっている。

 彼はそれを、少しの間訝しげに見つめていた。


 やがて眉を顰め、小さく呟いた。



「……こんなぬいぐるみ、僕持ってたっけ?」



「…え?」


 乃亜の呟きに、エマは顔を上げる。

 乃亜はそのままぬいぐるみの元へ行くと、ふたつに裂けたそれをつかみ取り、まじまじと見つめた。


「…やっぱり、持ってないです」

「…それ、本当?」


 エマの言葉に、乃亜は頷く。


「はい。勝手に捨てられても気付けるように、隠してるものは全部覚えているので」

「…どういうこと?」


 エマは眉を顰め、未だに正座したままの月鹿を見る。



「そのままの意味だよ」


 表情を変えずに、月鹿はぬいぐるみに目を落とす。


「私が作ったやつだからね、それ」



「………は?」


 エマの目が見開かれる。月鹿の言葉を聞いた乃亜は、目を丸くしてぬいぐるみと月鹿を交互に見た。


「え、これ、貴方が作ったんですか…?」

「そうだよ」

「じゃあなんで壊したの!?」

「そりゃあ、こうするために持ってきたものだからね」


 あのぬいぐるみは昨晩、授与式から帰ったあとに、月鹿がひとりで作ったものだ。


 押入れの奥から着なくなった古着を引っ張り出し、ぬいぐるみの型を作る。布団から抜き取った綿を絵の具で紅く染め、それを頭と胴体に分けられたぬいぐるみの中へ詰めた。

 最後に、ふたつを手で簡単に千切れる程度に軽く縫い付けると、準備完了だ。


「大丈夫。散らかった綿は、私が責任持って片付けるから」

「…いや、そういう問題じゃないでしょ………」


 任せて、と月鹿は両手を胸の前で軽く握った。そんな月鹿を見ながら、エマは頭を抱えたまま深く息を吐いていた。



 項垂れるエマの横で、月鹿は散らばった綿を拾い集め、ビニール袋に詰めていく。

 乃亜は呆然とそれを見ていたが、ふと我に返ったように、無言で片付けに加わった。


 やがて部屋は元通りになり、月鹿は綿の詰まった袋を水筒の紐に下げた。



「じゃあ、行こっか」


 部屋が片付く頃には、エマもどうにか落ち着きを取り戻していた。

 エマは乃亜を見て、手を差し出す。しかし直ぐにはっとしたように動きを止めた。

 そのまま気まずそうに手を引っこめ、視線を逸らした。


「行くって、何処に?」


「そりゃあ、ノロイ退治に」


 不安げに見上げる乃亜に、エマは優しく笑いかけた。

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