10-2「二相」
深夜、月鹿は上町区高根町にいた。なかなか解放してくれない遠藤を寝かしつけるのに少し手間取ったが、なんとか、久々に夜に抜け出すことができた。月鹿の予定していた方法ではなかったが、結果としては問題ない。
声音を抑えて絶え間なく話し続けていたせいか、喉が渇いている。
昨日の夜、月鹿が夜までは孤児院の仕事で忙しいという事をエマに伝えると、彼女は「放課後は時間あるから」と先に捜索を始めてくれていた。
そんな彼女の頑張りのお陰で、月鹿がつばめの園を出る頃には、とっくに氷室乃亜の家の場所は突き止められていた。
数時間前にエマから送られてきていた地図のスクリーンショットを頼りに、月鹿は歩を進める。肩にかけた水筒からは、カラカラと軽やかな音が鳴っていた。
高根町の東側中央付近にある大きな一軒家の前に、エマはいた。大きいと言っても、この辺りではよくある大きさだ。奥行きは見えないので分からないが、正面の道路からみて部屋3個分くらいの横幅で、二階建てのように見える。そのような家の前で、こちらに気づいたエマが手を振っていた。
「ごめん。遅くなった」
「大丈夫だよ。気にしないで」
「ディテクションを使えば、割とすぐに見つけられたよ」
エマが言う。彼女の視線の先を辿ると、「氷室」と書かれた表札があった。
「………………………」
「………………………?」
それっきり、彼女は話さない。
その表情は何処となく困っているように見えた。
「押した?」
インターホンを指差し、月鹿は尋ねる。
「あー…その…、17時頃にここに着いてから、何度か押したんだけどさ………」
エマは気まずそうに横を向く。
「うん」
「変に疑われるのも嫌だから、『氷室さんの友達です』て言ったの。そしたら………」
「…うん」
「………………………切られた」
「……あー」
エマの様子を見て、月鹿も察した。
そして、月鹿がこれからどうしようか考えていると、目の前の彼女は相当苛立ちを溜め込んでいたらしく、堰を切ったように愚痴り始めた。
「ていうかあたし、まだ何も言ってないんだよ!?『せめて乃亜さんと話だけでも』て言いたくてもう一回押したらさ、今度はインターホンにすら出てくれないの!魔力の場所的に、絶対ここで間違いないのに!で、そっからは何度やっても駄目でさ。張り込んでみたけど誰も外に出てこないし…これもう、あたし完全に不審者だよ………」
力なく崩れ落ちるエマの背中を、月鹿はさすって慰める。そして、試しに月鹿もインターホンを押してみることにした。
ピンポーン。
エマの言う通り、誰も出ない。月鹿はもう一度インターホンを押し、門をくぐってドアをノックした。
「しつこいわね!!いい加減にしないと警察呼ぶわよ!!!!!」
ドアが開き、薄い化粧を施した40代後半くらいの女性が怒った顔でそう叫んできた。
「すみません。少しでいいんです、息子さんと話を--」
バタン
ガチャ
いつものように完璧な笑顔で月鹿が話そうとするも、すぐにドアは閉められた。直後、鍵の閉まる音が響く。
「あーもう、どうしよーーー!!!」
エマが嘆く。月鹿は少しの間固まっていたが、すぐに小さく息を吐き、踵を返す。そして、そのまま敷地の外へ出ていった。
「ちょ、ちょっと!?諦めないでよ!!」
エマは慌てた様子で月鹿を追いかける。
「ねぇ、ねえってば!!!」
「しーーー」
大声で話しかけてくるエマに向かって、月鹿は人差し指を口元にあて、「静かにして」と合図する。
「っ……ちょ、ちょっと、もう諦めるの?なんとかまだ…そ、そう、明日の夕方にもう一回試してみるとか…」
「ついてきて」
歩き出した月鹿の後ろで説得しようと話す彼女を置いて、月鹿は聖典を取り出し変身する。すぐに近くにあった家の塀を伝い、屋根の上へと飛び乗った。エマが慌てた様子で後に続いてくるのを待った後、そのまま隣の家の屋根に飛び移る。
乃亜の家の屋根上までたどり着いた月鹿は、家に沿って鎖を這わせていく。
「な、何やってるの…?」
「入り口を探してる」
「何の?」
「鎖とスマホの」
「…は?」
少しして、伸ばした鎖の一本が家の中へと侵入した。
他の入り口を探っていた鎖を消し、月鹿は新しく出した10センチ程の鎖の先端の輪を大きくし、スマホを挟む。すると鎖は、スマホが落ちないようにピッタリと挟むことができるサイズと形に変形した。
「…は?」
「そうだ」
「…なに?」
今度は一体なにをするのかと疑わしげな視線を向けるエマの目を見て、月鹿は小さく首を傾げた。
「ビデオ通話ってできる?」
「できるけど…」
「私がかけるから、でてくれる?」
「…わ、分かったけど、どうするの?それ」
エマはポケットで震えるスマホを取り出しながら、戸惑ったようにそう尋ねる。
「こうするんだよ」
にこりと笑って、月鹿はスマホを挟んだ鎖を、伸ばしたもう一本の鎖に沿わせるように動かしていく。
エマのスマホの画面には、屋根の上を移動していく様子が映し出されていた。
「えぇ…」
「そういえば、氷室さんってどの辺りにいるの?」
戸惑うエマに、月鹿は尋ねる。
「え?そりゃあ、魔力があるとこ--」
「で、どこ?」
「……えっと、ここの下あたり、かな」
エマは音を立てないようにゆっくりと屋根の上を歩き、端の方のある1点で立ち止まった。
エマの隣に立った月鹿は、落ちないように気をつけながら下を覗く。すると建物の2階部分に、カーテンの締め切られた大きな窓があるのが見えた。
「この先?」
月鹿は窓を指でさす。
「多分ね」
「ありがとう」
そう言うと、侵入させたスマホを自分達がいる所の真下に持ってくるように動かしていく。
幸いな事に、先程の女性も含め、乃亜以外の住民は全員、漏れなく1階に居るらしい。そのおかげで、誰にも見つからずに止まることなく移動させることができた。
少し進んだ先にあった、広い吹き抜けの下にある1階からは、先程の女性と、もうひとりの男性が楽しげに話す声が聞こえて来た。
「この声って…さっきの女の人じゃん。てゆーか、娘が大変な事になってるって言うのに、なんであいつらはあんなに楽しそうに喋ってんの?」
スマホから流れてくる音声を聞きながら、エマは不快そうに、信じられないとばかりに呟いた。
「…でさぁ、田中さんとこの息子さん、浪人したらしいわよ。姉はいいとこの国公立に行っていたというのに」
「ふたりいると大変だなぁ。うちは乃亜ひとりで手一杯だというのに」
「そういえば、この間の模試の結果見た?あの子また順位を下げてたのよ」
「あぁ。このままでは最難関高校への入学なんて夢のまた夢だ。中学受験も失敗して、高校まで駄目だなんて、許される事じゃないぞ。…乃亜はそれを分かってるのか?」
「そうねぇ…。中学生になった事だし、もっと夜遅くまでの授業にも参加させた方がいいのかしら…」
「確か案内が来てたはずだ。それと、もう少し先の話ではあるが、夏期講習の最後の試験の結果次第では、前は無理だった一個上のクラスに移動する事も可能らしい」
「あら、それは良いわねぇ。絶対行かせたいわ!」
そうこうしているうちに、スマホ達はノアが居ると思われる部屋の前へと辿り着いた。
スマホで様子を確認しながら、連れていたもう1本の鎖でシンプルな造りの茶色いドアを開ける。
部屋の中は真っ暗だった。月鹿はひとまずスマホ達をそのまま前へと進め、窓の方へ向かわせる。スマホ達が窓の前までたどり着くと、カーテンの隙間へと何も付けていない方の鎖をそっと伸ばし、留め具に触れる。
やがてカチャリと音がなり、月鹿とエマの足元にある窓がゆっくりと開いた。
「…器用だね」
1階の会話に苛立っていたエマは、開いた窓を見ながら我に返ったように呟いた。
窓の外から、静かな光が差し込んだ。月の見えない明るい夜の中、淡く輝く白い光が室内へと入り込む。
闇に沈んでいた部屋はほんのりと照らし出され--月鹿の視界に、部屋の中央で力なく座り込む、黒髪の少年の姿が浮かび上がった。
「入れちゃった」
月鹿に続いて侵入してきたエマは、部屋に入るなり、目を丸くしたまま呟いた。
「で、乃亜はどこ…て!」
部屋を見渡したエマは、少年を見つけると、顔を引き攣らせてそろりそろりと後ずさった。
「ちょ、ちょっと!人いるんだけど!!!」
「そうだね」
振り返って顔を近づけてくるエマに、月鹿は目を逸らしながら答えた。喉を鳴らさずにコソコソと話すふたりの会話が、静かな部屋に響いていく。
「そうだねじゃ無いんだけど!どうすんのよこれ!!!」
「落ち着いて…」
肩を掴んで揺らしてくるエマに、月鹿は力なく訴えるが、変化はない。
「これをどうやって落ち着けっていうのよ!!!」
「ま、魔力!魔力見て!」
揺れる頭で必死にそう言うと、エマは手を止めて月鹿を見た。
「…魔力?」
「そう、ディテクション。ディテクションで、彼の魔力を見てみて」
「……ディテクション」
月鹿の言葉に、エマは手を離して小さく呟く。
「…どうかな」
そう尋ねた月鹿の隣で、エマはみるみるうちに目を大きく開き、「嘘…」などと呟いている。
「そこに聖典も落ちてる。宝石の色も昨日と同じだね」
昨日授与式があったばかりなので、氷室乃亜に限らず、月鹿もエマも、聖典の色自体は目の前のものと変わらない。恐らく殆どの退魔師がそうだろう。
「…魔力が同じ」
エマが呟く。
「良かった」
月鹿は言う。
「だって…それじゃあ…まさか、そんなことが………?」
「…エマ?」
唖然とした表情で"彼"を見つめるエマの顔を、月鹿は不思議そうに覗き見る。
そしてエマは一言、呟いた。
「……乃亜って、"男の子"だったの……?」




