8−2「授与式」
数分後、エマが戻ってきた。彼女は満ち足りた様子で、聖典を抱えている。
「ただいま!」
「おかえり。どうだった?」
「バッチリ」
「それは良かった」
「前から使ってみたかった魔法なんだ!帰ったら早速試してみようかな〜。あー、楽しみ!」
エマは機嫌よく身体を揺らしている。そんなエマを微笑ましげに眺めていた月鹿は、ふと何かに気づき、周囲へと視線を巡らした。
「そういえば、ここで魔法を使っている人はいないね」
月鹿はてっきり、皆は授かったばかりの魔法を、1秒でも早く試したいと考えるものだと思っていた。だが、戻ってきた者たちの間では、その使い道について語る声こそあるが、実際に試そうとする者はひとりもいない。
月鹿の記憶が正しければ、ここで魔法を使うのを禁止されてはいなかった筈だが。
「そりゃあ、ここで使ったら何の魔法を貰ったのか、みんなに知られる事になるからね」
そういえば、佐藤真歩も、初めて会った時に使える魔法は言いふらさない方が良いとか言っていたような。
「知られると何か不味いことでもあるの?それに、戦いで使えばいつかはみんなに知られることになると思うけど…」
使わないと貰う意味がないし、そうすると隠す意味もあまりない気がするような…。月鹿はそう考えたが、エマは苦い顔をしている。どうやらそう簡単な話ではないらしい。
「それはそうなんだけどね…。あたしも正直、皆がそうしているからそれに合わせてるだけだし……」
『富田祐介様』
再び、誰かの名が呼ばれる。すると、黒いマントの人物が数人、静かに立ち上がり、「儀式の間」へと歩み去っていった。
そのうちのひとりは、そのまま扉の向こうへと消えていった。しかし、残ったふたりは、扉の前に立つシスターの元で、何やら言葉を交わしている。そのひとりは、背格好的に、先程月鹿を見ていた人物だと思われる。もうひとりも、その直後に言葉を交わしていた相手だろう。
距離があるうえ、深く被ったマントに遮られ、ふたりの表情は伺えない。シスターの姿もまた、彼らの影に隠れており、何を話しているのかは、まるで分からない。
「そうなんだ」
「うん。ただまあ、退魔使同士のいざこざとか、そういうのに巻き込まれた時なんかには手札が知られていると不利になるし、そういう意味ではできるだけオープンにしない方が良いってのも分かるんだけどね」
月鹿は今の所、面倒ないざこざに巻き込まれることなく過ごせているが、そういうことはよくあるらしい。
「いざこざの原因は、主に核の奪い合いらしいよ」
「核の…。誰の手柄にするかってこと?」
「そう。最後の自分の攻撃で倒れたから、これは自分の手柄だとか、自分の魔法でノロイの体力の半分以上を削ったから、ラストアタックは他の人でも自分が核を貰うべきだ、とかいう核の奪い合いから、呪いによって精神がおかしくなっちゃった人が暴れて、そのまま戦いに…とかそういうのも、ある……あったよね、本当にごめん…」
言いながら、エマは段々と小さくなっていく。月鹿との2度目の出会いを思い出しているのだろう。
「そんなに気にしないで、私もエマも無事だったんだし。でも、もし仲間がそうなってしまった場合、相手の手の内は知っておいた方が対処しやすいんじゃないか。なのに、隠すの?」
その場合、正気を失った相手もまた、こちらの手の内を知っているということになる。だが、あの時のエマの様子を思い返すと、そこまで思考を巡らせる余裕があるのかは疑わしく思える。
そもそも--相手の弱点を見極めるだけの余裕があるのなら、最初から戦闘になど至らないのではないか?
「それが、そう簡単な話じゃ無いみたいなんだよね…。壊れ方は人それぞれらしくて。あたしみたいに理性まで飛んじゃう場合もあれば、逆に、理性だけが中途半端に残って正気はどこかへ行ってしまう、なんてこともあるらしいんだ」
そう言って、エマは握った拳を険しい顔で見つめる。
「そうなると、仲間だったはずの相手すら、敵と認識してしまって。仲間の戦い方とか弱点とか、全部把握したまま襲ってくるんだって。完全に手の内を知られている状態で、相手を傷つけすぎずに正気へ戻すなんて、よほどの力量差がなきゃ、ほとんど不可能でしょ?」
苦い顔をしたまま、エマは下を向いている。
「それで、取り返しのつかない結果になってしまった人もいるんだって…」
月鹿は何も言わず、エマを見ている。
「だから皆、どれだけ信頼している相手でも、本当の奥の手は隠すんだって。その方が、自分のためにも、相手のためにもなるからって」
どうやら、ひとくちに瘴気にあてられると言っても、その症状は一様ではないらしい。
そう話している間に、先ほど「儀式の間」へと入っていったひとりが姿を現し、残るふたりも順に中へ通されていく。
彼らの名は大きく呼ばれることはなく、シスターがその場で静かに案内していた。
『ほ、星守月鹿様』
彼らが前へ歩いていってから十数分後、最後に入った黒いマントの人物が出てきたのとほぼ同時に、月鹿の名が呼ばれた。
「お!とうとうだね」
「うん、行ってくるよ」
「行ってらー!」
そう言って、エマは手を振る。月鹿も、小さくそれに応えた。
「ほ、ほホ…ほ、星守月鹿様、でいらっしゃいますね…?」
「儀式の間」の手間、扉の横に立つシスターが、おどおどとした態度で確認してくる。
何か、悲しいことでもあったのだろうか?
その声は震えており、泣き声にも聞こえる。大きな瞳からは、溢れかえった川のように涙が止めどなく流れ、肩は小刻みに震え続けている。まっすぐ立てばバスケットボール選手にも匹敵するほどの長身だろう。だが、その背は丸く折れ曲がり、頭の位置は月鹿よりもわずかに高い程度--女子高校生の平均ほどにまで沈んでいる。
「そうです……あの、大丈夫ですか?」
「うぅゥ…し、し心配しないで下さい…。これと言って何かあった訳では無いのです…うゥぅ…ぐす、あ、つ、ツつ、続きを言わなくちゃ…うぅ、この先には、わ、わ、我らが祖であられる神デウス様の御使い、テンシ様がおられます…。くれぐれも、粗相の内容にお願いします…。では、行ってらっしゃいませ…うぅゥぅ」
シスターに案内されるまま、月鹿は「儀式の間」へと入っていく。
「失礼します」
「儀式の間」は薄暗く、正面の壁際に据えられた豪奢な祭壇の傍らには、司教が静かに立っている。
その祭壇の上では、真っ白な羽を広げ、背と顔に翼を宿した--人のようでいて、明らかに人とは異なる風貌の何かが、音もなく浮かんでいた。
月鹿は聖典に書かれていた通りに行動する。部屋に入ると後ろを向き、両手で音がならないようにそっと扉を閉める。その後司教達のいる方向を向き、司教様が月鹿の名前を呼ぶのを待つ。
「星守月鹿」
「はい」
すぐに名前が呼ばれたので、月鹿は返事をし、祭壇の前まで歩いていく。
「星守月鹿。この者、ひと月前に就任せしにもかかわらず、多数の強きノロイを討ち、世界の浄化に多大なる寄与をなせり。よって我らは、『黄』の権利を与えん」
月鹿が祭壇の前へ進み出ると、司教は腕に抱えた分厚い書物へと視線を落とし、厳かに口を開いた。
「聖典を掲げよ」
白い羽の生えた人物--テンシがそう告げる。月鹿は膝をつき、下を向きながら聖典を頭の上に掲げる。
「汝が望む魔法を告げよ。さすれば我が力にて応えん。」
テンシの言葉を受け、月鹿は魔法をふたつ、答える。
「私の望みは--」
月鹿の言葉が、静まり返った「儀式の間」に、静かに響く。
「汝の望み、しかと聞き届けたり」
聖典が光る。
「ありがたき幸せ」
月鹿は聖典を頂き、一礼する。
「励め、人の子よ。汝の栄えゆく姿を、我は主と共に見守らん」
月鹿は立ち上がり、テンシへ向けてもう一度頭を下げる。
そのまま扉まで歩いて行き、一礼してから儀式の間を出ていった。
月鹿が「儀式の間」を出てエマの元へ向かう途中、黒いマントの人物とすれ違った。
ドン。
かすかな衝撃とともに、肩が触れ合う。月鹿のポケットから下がる鎖が、かちゃりと小さく鳴った。
月鹿は振り返る。しかし、"彼女"は振り向くことなく、そのままシスターの元へ歩み寄り、ほどなくして「儀式の間」へと入っていった。
(………………)
月鹿は何も言わず、ポケットの中に手を差し入れる。それから数秒の間、"彼女"が消えた扉を見つめていたが、やがて何事もなかったかのように前を向き、エマの元へと歩き出した。
いつも通り、崩れることのない笑みを浮かべたまま歩く月鹿の上着のポケットには、綺麗に折り畳まれた小さな紙が一枚、収まっていた。




