7−2「違和感」
「こちらのは終わりました」
「ありがとうねぇ。あ、そうだ、月鹿ちゃんーー」
「月鹿ちゃん、手が空いたならちょっと来てくれ」
時刻は21時半を過ぎたところ。夕食の後片付けも終わり、今日こそは月鹿と過ごしたいと思っていた遠藤芳子が紅茶の入った棚へと向かっていった、その時。厨房にやってきた山田が、月鹿のことを呼び出した。
「分かりました」
「ちょっと」
「川崎先生が月鹿ちゃんをお呼びなんですよ。あ、遠藤先生はもう休んでくださって大丈夫だそうですよ。お疲れ様でした」
月鹿と山田に対しては遠慮のない遠藤だが、流石に園長である川崎知子には敵わない。
「お疲れ様でした」
何か言いたげな様子の遠藤を置いて、月鹿は山田の後について厨房を出ていく。
山田は園長室に向かうかと思いきや、そのまま部屋の前を通り過ぎていった。
「川崎先生はー」
「遠藤先生は付いて来てないよね?」
月鹿が園長室を通り過ぎたことに対して指摘をしようすると同時に、山田は周囲を警戒しながらそう呟いた。
「…?、はい」
遠藤は、二人が厨房から出ていく時はこちらを見つめていたが、ついて来てはいない。月鹿がそう返事をすると山田は心の底から安心したように大きく息をはいた。
「はぁ……良かった………」
「…大丈夫ですか?」
「ああ、うん、僕は大丈夫。それよりも月鹿ちゃんは大丈夫?いや、大丈夫ではないよね、うん。分かるよ、あの人は流石にどうかしてるんだ、未成年の、しかも女の子相手に…そうだよ、というかそもそも、未成年を遅くまで拘束するのがまず駄目じゃないか…」
山田は、月鹿に向けてなのか独り言なのかよく分からない話し方で、ぶつぶつと呟いている。ここ1、2年の間で、遠藤が月鹿を変な目で見るようになったことを山田は快く思っていない。当たり前だ。
しかし、そう言う山田自身も、月鹿の事をただの園の子供のひとりとして見ているかと言うと、それは怪しい。それでも彼は、気持ち悪く近づいてくる遠藤とは違って、月鹿に対する気持ちを隠している。生徒と先生としての最低限の距離は保とうとしてくれているのだった。
「私は大丈夫です。遠藤先生も、ここ数日はあまりゆっくり過ごす時間も無かったので、たまには良いだろうと思ったんだと思います」
「それでも、駄目なものは駄目だよ。ほら、月鹿ちゃんももう部屋に戻って。明日も学校はあるし、早く寝ないと」
山田はそう言いながら月鹿の背中を押して行く。そのまま月鹿の部屋の前まで来ると、遠藤が来ても開けちゃダメだよと言って、月鹿の部屋の隣にある、彼の部屋へと入って行った。
月鹿が部屋に入ると、机の脇に置いてあるスクールバッグの周辺に、不思議な魔力が集まっている事に気がついた。鞄を開けて確認したところ、その魔力は聖典から発せられていたことが分かった。
月鹿が聖典を手に取ろうとしたその時、聖典がいきなり中に浮いた。そして聖典はひとりでに開き、何も無い空間に人のような形をした白い生物が映し出された。
『シンアイナルタイマシノショクン、コノタビモショクンラノハタラキヲタタエ、ジュヨシキヲトリオコナウ。ロクガツサンジュウニチレイジニセイテンヲトオシテショウタイヲオクル。カクジ、ソレマデニカクトクシタカクヲマリョクセキニキュウシュウサセテオクコト』
白い生き物は片言で一通り説明し終えた後、霧のように霞んで消えていった。
今日も外に出るつもりは無かったのだが、突然現れた授与式の案内を聞いて、心が変わった。月鹿は数日ぶりに部屋の窓からこっそりと抜け出し、そばにある木を伝って下に降りる。そのまま足音を立てずに、裏の門から外に…………………
「あら、どこに行くのかしらぁ?」
月鹿が裏門に手を伸ばしたその時、背後から声が聞こえた。
「その慣れた感じ、やっぱりこれまでにも何度か抜け出してたわねぇ」
月鹿が声のした方へ振り向くと、遠藤芳子が歪んだ笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
数分後、月鹿と遠藤は厨房の椅子に腰を下ろしていた。
月鹿の向かいに遠藤が座り、ふたりの前に置かれたココアが湯気を立てている。
「最近、寂しかったのよぉ」
「あなたとゆっくり話す時間が中々とれなかったんだものぉ」
遠藤芳子は一口ココアを飲んだ後、話し始める。
「そうですね。私も寂しかったです」
「それは嘘よねぇ。」
遠藤は目を細めて月鹿を見る。笑顔を作っているつもりなのだろうが、口角は歪に上がり、メガネの奥の目は無防備なエモノを狙う猛獣のように静かに嫌な光を放っている。
「嘘じゃないですよ」
月鹿は丁寧にかつ親しげな態度で答えるが、遠藤の表情は変わらない。
「嘘よぉ。毎晩付き合わせてしまうは疲れてしまうからと思って遠慮していたのに、月鹿ちゃんは私を置いて夜遊びだなんてねぇ。寂しかったなんて言う人の行動じゃあないわぁ」
「ちょっと、外の空気を吸いたくて」
「そんなの、ここの庭で吸えばいいじゃない。狭いとはいえ、植物もあるし、それくらいならあそこで充分でしょぉ」
「…何が望みですか?」
「あら、話が早いわねぇ。と言っても、大した事じゃないのよぉ?私はただ、もっと貴方と仲良くしたいだけ」
遠藤は相変わらず嫌な笑顔を浮かべている。
「毎日とは言わないわぁ。でもそうねぇ、前みたいに…ううん、前よりももっと、一緒に過ごしたいわぁ。夜もだけど、仕事ない時の昼間とかもねぇ」
遠藤はまるで恋人を見つめるかのような瞳で、月鹿のことを舐め回すように見つめる。
「………分かりました」
月鹿がそう言うと、遠藤は嬉しそうな顔で世間話を始める。世間話と言っても、大抵は芸能人のスキャンダルや根拠のはっきりしない噂話が大半だ。
「ーーーでねぇ、行方不明者の大半が、居なくなる前にはもうおかしくなってたんだってぇ。おかしくなってからどれくらいで居なくなったかは個人差がかなりあるみたいだけどぉ。殆ど全員、何かしらの精神病に罹ってしまっていたみたいねぇ。原因を聞いても誰も答えてくれないしぃ、その人と近しい間柄の人に聞いても、思い当たる原因はみんなバラバラでぇ。何なら特に何もなかったのに、突然おかしくなってしまった人までいるみたいねぇ。これが最近起こってる連続殺人とどのように関係しているのかはまだはっきりとは分かっていないみたいだけどぉ、殺された人にも似たような状況にあった人もいるみたいだしぃ、何か関係があるのは確定らしいわぁ。ほんと怖いわよねぇ」
遠藤の話を聞き始めて約3時間後、月鹿は軽く相槌をうちながら彼女の弾丸トークに付き合っていた。もう慣れたとはいえ、これだけ話してもなお、話題が尽きない彼女には感心せざるを得ない。
「そうですね」
「本当にねぇ………てあらやだ、もうこんな時間なの?流石にそろそろ寝ないとまずいわねぇ。ほんと、楽しい時間はすぐ過ぎるわねぇ」
時計の針は2時を指している。
「………ねぇ月鹿ちゃん、今日はわたしの部屋でいーー」
「ではそろそろ、部屋に戻りますね。おやすみなさい」
遠藤が言いかけたことを聞く前に、月鹿は挨拶だけ言うとそそくさと厨房を出て行った。
今から外に出るのは流石に無茶だ。これ以上、遠藤に余計な探りを入れられるのも厄介だ。部屋に戻った月鹿は、パジャマに着替えてベッドに横になる。
約1か月後に授与式があるが、退魔師の知り合いは佐藤真歩とエマ=ロビンソンのふたりしか居ない。他の退魔師の姿を何人か見かけた事はあるが、誰とも話した事は無いし、そもそも月鹿が一方的に遠くから見たことがあるだけなので、向こうがこちらの存在に気づいていたかどうかすらも分からない。授与式に行けば、他の退魔師と話すことになるのだろうか。
ここまで考えたところで、月鹿はふと思い出したのだが。そういえば、連絡先を交換してから、エマには一度も会っていない。あれから彼女はノルマを達成することができたのだろうか。
最後に別れた時は正気を保っているように見えたが、その後どうなったかは分からない。そもそも、あの段階で魔石をどの程度集められていたのかすら、月鹿は知らない。しかし、月鹿と出会う前の状態が暫く続いていたのなら、そこまで沢山集められているとは思いづらいが…せめてノルマ分は達成できていると信じたい。
月鹿が譲ったふたつの核では、ノルマ達成にも程遠い。彼女の放つ魔法には月鹿も苦戦した程なので、その辺のノロイとの戦いで彼女がそう簡単にやられるとは思い難いが…。
そういえば、今日帰る時に瑞希と相馬が向かった方向には真歩と話したあの工事現場跡がある。
「……………………」
偶然だ。工事現場はずっと先だし、あの先もずっと住宅街が続いているのだ。堀口の家があっちの方向だったとか、もしくはあの道を少し進んだ先の曲がり角を曲がった先にある公園に向かったとか…だから偶然、そう、たまたまなのだ。
(まさか、ね)
覚めてしまった頭を休ませるため、星守月鹿は目を閉じた。
2026/4/5
魔石の表記揺れを訂正しました。




