7−1「違和感」
月鹿が倒れてから数日後の月曜日、月鹿は生活を見直し、睡眠時間は十分に確保できるように意識して過ごしていた。外に出る時間を減らし、睡眠時間に充てる。特別何かをしている訳ではないが、少し気をつけるだけで日中に眠気を感じることは少なくなっていた。
「ふぁ〜」
だからこのあくびも、月鹿のものではないのだ。
「相っ変わらず、瑞稀は常に眠そうだな…」
そう、あくびの主は二つの机を隔てた先、月鹿の正面に座るウェーブのかかった茶色い髪の少女であった。
「えへへぇそれほどでもぉ」
「なんで照れてんの、別に褒められてないわよ、あんた」
ゆかりの言葉にはにかむ瑞希に、奈子は弁当を食べる手を止めて、じっとりとした視線を向ける。
「眠そうと言えば、月鹿の方はもう大丈夫なのか?」
そう言ってからゆかりは購買で勝ち取った焼きそばパンを頬張る。
「私?」
「ほら、この前の金曜日倒れたらしいじゃん?3日前」
「そうだよ!あの時わたし教室にいなかったから奈子達が言ってたことしか知らないけど、結構大変だったって聞いたよ!」
「ほんと、突然倒れてびっくりしたんだからね」
ゆかりが月鹿に話を振ったのをチャンスと見たのか、瑞希は食い気味に月鹿が倒れた時の話をしようとする。それに奈子が乗ったのを見て、瑞希の口角がほんの少し上がったのを、月鹿は見逃さなかった。
「うぅ…あの時はごめんね…。あ、そうだ、先生から奈子ちゃんが保健室に運んでくれたって聞いたよ。本当にありがとう、感謝してる。でももう大丈夫」
この通り!と月鹿はにっこり笑って胸を張る。
「あれから、睡眠時間はしっかりととるように気をつけているから。それよりも瑞希ちゃんは大丈夫なの?やっぱりまだ怖い?どうしても寝られないなら、一緒に安心して寝る方法を考えるよ?」
「そうね。不安なものはしょうがないから、少しでもその不安を軽くして早く寝られるようにしないとだけど…方法って言われてもよねぇ…」
うーん、と頭を悩ませる奈子の右斜め前で、瑞希は不満気な表情で月鹿を見る。
「何変な顔してるんだよ。言っとくけど、話題を自分から逸らそうとしてたの、バレバレだからな」
ゆかりの言葉に月鹿は苦笑いしながら頷く。
「むぅ…。そんなこと言ったって、どうすればいいかなんて分かんないし」
「あ、そうだ!寝る前に誰かと話して落ち着くとかは?家族とか…こ、い、び、と、とか」
「…………………何その顔」
ニヤニヤと瑞希を見る奈子を、瑞希は不機嫌そうに睨みつける。
「いや?べつに?ただ、友達として解決方法をアドバイスしてあげてるだけだしー?ほら、最近毎日一緒に帰ってるじゃない?クラスの男子が嘆いてたの聞いちゃったんだよね。伊藤さんが男の、しかもイケメンのモノになってしまったー!クソー!て」
奈子がそれなりの声量で話したので、周囲の人達にも聞こえたらしい。1部の男子達が、何か言いたげな表情でちらちらとこちらを盗み見ながら話し合っている。
「あちゃー、こりゃやっちまったな。よりにもよって1番聞かれては行けないヤツに聞かれていたらしい。あいつらも運が悪いな。絶望的な程に」
「そうだね…」
ゆかりも彼らの視線に気づいていたらしく、月鹿にしか見えない位置で小さく男子達に手を合わせる。月鹿とゆかりは、今もなお視線に気づかず言い合っているふたりを眺めながら、呑気に昼食を食べ進めていた。
「なんかさー、そんなに言わなくても良くない?誰と付き合おうがわたし達の勝手だしー。しかもすっごくニヤニヤしちゃってさー。そりゃあそーまと付き合ってるのは事実だし、全然隠す気なんて無かったけどさー、それをネタにして弄ってくるのは、良くないと思わない?」
放課後、奈子とゆかりは部活に行った。元々何にも所属していない月鹿と、毎週火曜日と木曜日は部活が休みの瑞希は、共にゆっくりと帰る準備をしていた。と言っても、未だに準備をしているのは瑞希だけで、月鹿はもうとっくに帰る用意を済ませている。
早くつばめの園に帰って、園の仕事をした方がいいということは、月鹿にも分かっている。しかし、昼に奈子から散々に言われ、その後もそれを聞いていたクラスメイト達に堀口相馬との関係について弄られていた瑞稀の姿を、月鹿は見ていたのだ。
流石にここで見捨てるのは可哀想だし、これからも友人として付き合っていく以上、あまり邪険に接するのも得策ではない。そう判断した月鹿は、仕方なく彼女の愚痴に付き合うことにしたのだった。
…尤も、本当に一番可哀想なのは、仲のいい者同士でこっそり話していた思いの丈を、他クラスの人までいる昼休みに、しかも大声で暴露されたクラスの男子たちである気がしなくもないが。
「それはまあ、そうだと思うけど…。少なくとも、奈子ちゃんは瑞希ちゃんがずっとしんどそうなのを気にして、心配していたんだよ?…始めは」
「『始めは』ね」
「…言いたいことは分かるよ」
実際、途中から入ってきたクラスメイト達は、ただ弄りたかっただけに見えたのは事実だ。そして、彼らがやって来たあたりから、奈子も弄りモードに変わっていったのは否定できない。そこからの月鹿は、横にあった椅子に腰を下ろし、ゆっくりと準備を進める瑞稀の愚痴を聞きながら、「そうだね」と相槌を打つだけの役に徹していた。
そうこうするうちに、ようやく瑞希も帰る支度を終えた。昇降口に着くと、ふたりのクラスの下駄箱の前に、ひとりの少年が立っていた。
「そーま!」
そう言うやいなや、瑞希はその少年のもとへ駆けていく。
「待っててくれたの?言ってくれれば、すぐ向かったのに」
瑞希は嬉しそうに話しかける。先程まで怒っていたことが嘘のように、すっかり機嫌を直したらしい。あんなにしかめっ面だったはずの表情は、いつの間にか恋する乙女のものになっていた。
「すまん、ここで待っていればすぐに来るかなと思って。そもそも今日は約束とかしてないし、これは俺が勝手に待ってただけだから、瑞希が気にする事じゃないよ」
「そーま…!」
黒髪をベースに青いメッシュの入った髪をかきあげて、堀口相馬は瑞稀に微笑みかける。
瑞希も相馬も、月鹿が居ることは特に気にしていないらしい。月鹿は、一瞬で辺り一面が妙に甘い空気に包まれたのを感じた。
「あ、るかち待って!」
こっそりと帰ろうとしていた月鹿に気付いた瑞稀は、慌てた様子で四組の下駄箱へと駆けてきた。
「右手にるかち、左手にはそーま。瑞希ハーレムの完成だよ!」
靴を履き終えた瑞希は、両脇にいたふたりと腕を組み、得意げにそう言い放った。
「…私は女の子だよ?」
「細かいことはいいの!るかちも、わたしのこと好きでしょ?」
どうやら、瑞希ハーレムとやらに加入するのに性別は関係ないらしい。彼女は上目遣いで、大きな瞳を月鹿に向けながら、そう問いかけてくる。彼女に見つめられると、ほとんど全ての人が思わず「好きだ」と口にしてしまいそうになるという。性別なんて関係ない。それほどまでに、彼女には魅力があるらしい。
「そもそも、彼氏の目の前で私の事を口説くのは、駄目だと思うよ」
月鹿は、簡単にハーレムなどという言葉を使う瑞稀に対して注意する。
「それはつまり、そーまが居なかったら良いってこと?」
「…ん?全然違うよ。…ねぇ、堀口くんからも何か言ってよ。どうして黙ってこっちを見ているの?」
「いや、今日も瑞希は可愛いなって」
「えへへぇやだもうそーまったらぁ照れちゃうじゃない」
「照れてる瑞稀も可愛いよ」
「えへへぇそーま大好き♡」
「俺も大好きだよ♡」
「……………………………。」
月鹿は一体、何を見せられているんだろうか。そもそも月鹿の知る堀口相馬は、明るく誰とでも打ち解けられる一方で口下手な人物だった。女子が喜ぶような褒め言葉を口にしようとしても、大抵は恥ずかしがって余計な事を言ってしまう、そんな不器用な人物だった筈だ。
だからこそ、今のように、瑞稀を褒める言葉が自然と相馬の口から出た事が、月鹿とっては意外でならなかった。月鹿は、未だにいちゃつき続けるふたりを眺めながら、「恋は人を変える」というのは本当だったんだなどと、他人事のようにぼんやりと考えていた。
「じゃあ私達はこっちだから。またあした!」
「またね、星守さん」
校門を出たところでふたりと別れた月鹿は、ようやくあの甘々な空間から解放された。深く息を吸い、身体中に新鮮な空気を巡らせていく。
そうしたところで、月鹿はひとつの事柄に気がついた。
瑞稀の家は途中まではつばめの園と同じ方向にある。つまりふたりが行った方向とは反対側だ。とはいえ月鹿は、相馬の家の場所まで知っている訳ではない。彼の家がふたりが向かった方向にあるのならば、何もおかしなことではないはずだ。
何せ、ふたりは付き合っているのだから。




