6−2「偶然」
どうやら月鹿が倒れた時、先生方はつばめの園にも連絡していたらしい。月鹿が保健室を出ると、丁度担任の女教師とつばめの園の園長先生がこちらへ歩いてきていた。教師は月鹿を見るなり駆け寄って来て、大丈夫?と心配そうな顔で月鹿に話しかけた。
「大丈夫です。ご心配をお掛けしてすみません…」
月鹿がそう言うと、担任の先生は良かった、と安心した表情になる。
「それでね、今川崎先生とお話していたのだけれど、貴方は今日はもう帰った方がいいと思うの。こうなったのは貴方が倒れるほど疲れていたからだと思うから、今日は帰ってゆっくり休んで頂戴。良いわね?」
担任の先生の問いかけに月鹿ははい、と返事をする。
「うん、いい返事ね。あなたの荷物は、もうここにまとめてあるから。机の中に入っていたものは全部入れたけど、これで大丈夫かしら?」
鞄の中を少し見た月鹿は、もう一度はいと返事をする。
「そう。なら良かった。今日はゆっくり休んでね。また貴方が元気に学校に来てくれることを楽しみにしているわ。また明日」
「ありがとうございます。失礼しました」
「そこは『さようなら』よ」
「さようなら」
「はい、さようなら。園長先生もお忙しい中、本当にありがとうございます」
「大丈夫です。むしろお礼を言うのはこちらの方です。ありがとうございました」
担任の教師と昇降口で別れ、月鹿と園長は並んで校門から出ていく。
「…すみません、仕事で忙しいのに迎えに来てもらってしまって…」
「………いいのよ」
「……………」
「……………。」
月鹿は園長の後ろ、三メートルほどの距離を保ちながら歩いていた。
「つばめの園」の園長ーもとい川崎知子と月鹿の間に言葉はない。いつもの事だ。
「…ごめんなさい」
だから、彼女の方から話しかけられた時、月鹿はその言葉が自分に向けて発せられたものだと気付くのに、少し時間がかかった。
「………ぇ」
「今回の事は、気付いていたのに知らないフリをしてしまっていた私の責任よ…後で私の方から遠藤先生に言っておくわ。あまり星守さんを拘束しないであげてって。」
川崎知子は相変わらず前を向いたままだが、しっかりと月鹿に向かって話している。
「…ありがとうございます」
月鹿はわずかに目を見張ったが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
月鹿と知子がつばめの園に着くと、心配そうな顔をした遠藤芳子がどたどたと走って来た。彼女は月鹿の世話は自分がすると申し出たが、月鹿は寝不足なだけだからむしろ邪魔しない方がいいという知子の説得に、不満そうな顔をしつつも渋々と引き下がっていった。月鹿はもう大丈夫だと言ったのだが、知子は聞き入れなかった。半ば強引に部屋まで連れていかれ、着くなりベッドに押し込まれる。知子は「起きちゃだめよ…」と何度も念を押し、やがて部屋を出ていった。
月鹿は昔から、睡眠時間が短くてもあまり眠気を感じなかった。むしろ長く眠りすぎると、頭に靄がかかったように体が重くなる。睡眠時間は、小学生の頃でも長くて6時間程度だった。10時間以上寝ると体調が悪くなるが、それ以前に、そんなに長く眠れるはずがない。なぜなら、8時間も眠れば自然と目が覚めるから。ーその筈なのだが…
「……………。」
壁にかけてある時計の針は、24時35分を指している。つばめの園に帰ってきて寝床に入ったのが11時30分頃。つまり、およそ13時間も眠っていたことになる。そこまで長く月鹿の目が覚めなかったことにまず驚くのだが、それよりもーーーー
(………………頭痛い)
寝過ぎによる頭痛。後悔しても、もう遅い。目は完全に覚めていて、横になったとしても眠れる気配は全くない。目を閉じるのがまず辛い。仕方なく、いつものように抜け出す準備をしようと起き上がる。伸びをしてクローゼットへ向かおうと歩きだすとふと、部屋の入り口の扉の下に紙が挟まっているのに気がついた。月鹿が紙を拾うと、そこには「夕食です」と丁寧な文字で書かれていた。扉を開くと、部屋の前にある小さな机の上に、お盆が置いてあった。お盆の上ではラップがかけられたご飯とサラダ、シチューが並べられている。
夕食を食べ、私服に着替えた月鹿はいつものように部屋の窓から庭の木に飛び移る。月鹿の部屋は2階にあるが、すぐそばの木を伝って降りると案外簡単に外に出る事ができ、孤児院の者に内緒で出入りをするときはいつもこの木を使っている。夕食を食べているうちに月鹿の頭痛は治まっていたが、寝られる気もしなかったので外に出ることにしたのだ。まだ少し重い頭を無理矢理起き上がらせていたためか、普段の月鹿ならば見逃すことのない視線に気付く事ができなかった。
『XYKDKCGO!!!!!』
パリンッ
「…浄化」
外に出て約一時間。この短時間で倒したノロイの正確な数は分からないものの、聖典に記録された、今日集めた魔石の数は13個。月鹿は魔石のことはあまり気にせず戦って、たまたま無事だったものだけ回収しているので、実際に戦ったノロイの数は少なくともこの倍以上はいると思われる。月鹿にはこれがどれほどのことなのかよく分からないが、適当にふらついているだけで、普通ここまでノロイと出くわすものなのか?と疑問に思う気持ちは大きい。
月鹿が歩いていると、3分に一回くらいのペースでノロイを発見する。その上ノロイと戦っている間に別のノロイもやってきて、いつの間にか複数のノロイを同時に相手する、なんて事もよくあるのだ。佐藤真歩と初めて会った日、彼女は出会った時の状況について滅多にあることではないと言っていた。そう言っている時の彼女は嘘をついているようには見えなかった。だとすると、月鹿がノロイに出会う頻度がとてつもなく高いのは一体どういう事なのか。今のところは余裕で倒すことができているので特別危機感などを感じているわけではないが、次に彼女に会った時にはそれとなく聞いてみよう、と考える月鹿であった。
そんなことを考えながら、月鹿は早足で路地を歩く。初めは近場で少し戦ったらすぐ孤児院に戻ろうかと思っていたのだが、歩き回る内に頭痛はすっかりなくなっていたのと、いつもよりも時間があるからということで少し遠出をしてみることにした。と言っても水無子市から出るわけではないので、バスで30分くらいの距離であるが。ここに来たのに意味は特にないが、この辺りはある程度お金に余裕がある人々の住む住宅街が続いているのであまり来たことがなく、お洒落な外観の家が多い為、早足で歩きながらも月鹿は案外楽しんでいた。
そうして何度目かの曲がり角を曲がった時、月鹿の目の前には見覚えのある人影があった。
「こんばんは、久しぶりですね。中々会えないので少し気になっていたのですが、元気そうで何よりです」
「…ぇ?」
目の前の少女は驚いた様な表情で振り向く。
「………星守さん」
「覚えていてくれたようで嬉しいです。真歩先輩」
佐藤真歩は後退りながら左手を後ろに回す。
「私普段は乃木区中心に活動していまして、今日はなんとなくここまで来てみたんですけど、正解でしたね。たまたま偶然、先輩に会うことができたんですから。とても嬉しいです」
「…わたしも、会えて嬉しいよ」
月鹿が一歩踏み出す度に真歩は一歩後ずさる。
「そういえば、センパイは前に、私達が出会った時のような沢山のノロイに同時に襲われるということは滅多にあることではないと言っていましたよね?」
「………うん、言ったね。それがどうしたの?」
「あれから殆ど毎日夜に出かけているのですが、一度に沢山のノロイに襲われることがよくあるんですよ。センパイは何故だか分かったりします?」
月鹿が顔を覗きながら近づくからか、真歩はジリジリと後ずさる。しかし彼女の後ろは壁になっており、逃げ場はもうほとんど残されていない。
「…さあ?そんなこと、わたしは知らないけど…」
真歩は近づいてくる月鹿から顔を背けながら、そう答える。
「そうですか。ならいいです。変なことを聞いてしまってすみません。私、もう行きますね。またいつか、どこかで“偶然”出会えるのを楽しみにしています」
そう言って月鹿は彼女に背を向け、来た道を戻り始める。別に今日でなくてもよかったのだが、前々からいつかしようと思っていたことが達成できた月鹿は機嫌よく夜の街を歩いて行く。いつも通り人通りのない道を歩いているだけなのだが、出会うノロイの数や頻度は月鹿が退魔使になって以来、最も少なかった。
2026/4/5
魔石の表記揺れを訂正しました。




