5-1「エマ=ロビンソン」
くすくすくす
「あっれぇ?ロビンソンさん、どーしたのぉ?早く食べないと昼休み終わっちゃうよぉ?」
くすくすくすくす
机の上には、ぐしゃぐしゃにばら撒かれた食べ物達。朝に母親が綺麗に弁当箱に詰めてくれたはずのおかず達は、エマが席を外した、たった数分のうちに見るも無惨な姿に早変わりしていた。どうやらエマは、昨日の事で浮かれて油断していたらしい。4時間目の途中から尿意を我慢していたエマは、昼休みのチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出した。それがいけなかった。あと少しとはいえ、先生の目がある授業中に行くか、いつものように荷物を全部持ってトイレに行くべきだったのだ。
(本当に…あたしは、バカだ)
いくら心の中で呟いても、起こってしまった事実は変えられない。時間は巻き戻せない。そんな魔法、エマはまだ使えない。…あるのかどうかさえ、分からない。エマは小さく息をはき、"食べ物だったもの達"をポケットに入れていたティッシュで丁寧に包んでいく。
(食べられなくて、ごめんなさい)
弁当の中身が机にぶちまけられているだけならば、箸を取って食べていただろう。「不衛生だ」「気持ち悪い」何と言われようと、いくら笑われようが関係ない。だが今回は最悪なことに、机に散ったおかずの上には白くどろっとした液体がかかっている。笑っている女子生徒達が囲んでいる机の上には、大きな黄色い木工用ボンドの容器が置かれているのが見える。流石に今、目の前にあるこれらを食べるのは無理だろうと判断したエマは、食べ物を包んだティッシュを教室の前にあるゴミ箱に放り込み、荷物を全部持って購買へと向かった。
胸が苦しい。昨日までのエマなら、いくら酷いことをされても、言われても、こんな気持ちになることは無かった。いや、元々は…そう、約4ヶ月前くらいまではこうだったのだ。"正義"に固執するようになってからのエマは、自身の苦しみすらも見えていなかった。エマは昨日までの自分を思い出し、あまりの気持ち悪さに吐き気がした。
口まで上がってきたそれを無理矢理飲み込んで、エマは学校の端にある小さな購買に足を踏み入れる。
嫌な酸っぱさが、口の中を満たしていく。気持ち悪い。後でお茶で洗い流すとは言え、なるべく味が濃いものが食べたいと思いながら購買の中を見渡したエマは、冷蔵のショーケースの中にカレーライスがあるのを発見した。
(…美味しい)
エマは屋上へと続く外階段の途中に座ってカレーライスを食べる。カレーライスが残っていたのは、運が良かった。この手の人気食は昼休みが始まってすぐに売り切れるのが定番だ。勿論、エマの学校も例に漏れない。お茶とカレーのおかげで、さっきまでの嫌な味はもうなくなっていた。
(しっかりしないと)
エマの意識以外は、昨日までと何も変わらないのだ。油断は禁物。気を引き締めないと。エマは心の中で自分自身に向かってそう言い聞かせる。
ブー
「うわっ、と、わ、あ…………はぁ」
突然、鞄の中でスマホが揺れる。どうやら電源を切るのを忘れていたらしい。急いで辺りを見渡して、誰も見ていないのを確認したエマは胸をなでおろす。見られていたら没収されるところだった。本来は持ってくるのも禁止なのだが、持ち物検査は実施されたことが無いので、電源を切って見えづらい場所に入れておけば案外バレないのだ。一体何が来たのかと画面を見ると、1年程前に入れたスマホゲームのライフが満タンになったという通知だった。
(ほんと、しっかりしないと…)
エマは何となくトークを開き、月鹿とのメッセージ欄を見る。昨日はあの後、少し雑談をしたものの、明日も学校もあるからと比較的すぐに解散した。その後エマはお礼のメッセージを送り、月鹿からもこちらこそありがとう、ときた。やり取りはエマが送ったスタンプで終わっている。別にこれ以上返信する必要はない。エマが月鹿の立場でも、ここで会話を終わらせていただろう。
「…はあ」
エマは深く息を吐いて、上を向く。彼女はきっと、エマが一緒に戦ってと頼んだら、本心はどうであれ表向きは快く引き受けてくれるのであろう。でもきっとそれでは駄目だ。そもそも今のエマは弱すぎる。月鹿の隣に立つ資格なんて無い。もっと強くなろう。強くなって、チームを組めるかどうかは置いといて、足を引っ張ることのないように、月鹿と肩を並べられるように、月鹿に頼ってもらえるような、そんな退魔師になろう。階段から見える雲ひとつない真っ青な青空を眺めながら、エマはそう決心した。
「………」
くすくすくす。
「あれぇ?次の授業って確か…」
「"体育"だったよねぇ?」
「あぁ、ロビンソンさん、どうしたの?早く着替えないと、授業に遅れるよ???」
「変態なんだから、それくらい着れるでしょ?」
くすくすくすくすくす
エマの机の上には、かつて体操服だったのものが散らばっている。ズタズタに切り裂かれ、チョークの粉まみれになったそれを前に、エマは息を吐く。
「やり口が単調…」
「体操服を忘れた?…はぁ、またか。仕方ない。今日も見学だ。はいこれ、明日までに提出な」
体育の先生に見学しますと伝え、見学者用のプリントを受け取ったエマは、制服のまま体育館の隅に腰を下ろす。
準備運動をする生徒達を眺めながら、エマは考える。今日の彼らはいつにも増してやけに積極的だ。彼らにもエマの心の変化が伝わっているのだろうか?最近はエマの反応にも飽きたのか、机に悪口を書かれたり、ものをちょっとその辺のゴミ箱に捨てられたり、適当な場所に隠されたりするだけだった。それが、今日は違う。はぁ、と溜息をついてエマは見学理由の欄に「体操服忘れ」と書こうとして…
「………。」
「見学理由『体操服を破られました』って、何だこれ、ふざけてるのか?」
授業が終わり、エマがプリントを提出しようとすると、プリントに目を通した体育の先生が、怒ったようにエマに尋ねてきた。
「ふざけてなんていません」
「あのな、忘れるのもだが、嘘はもっと駄目だ。もう1枚やるから、ちゃんとまともな理由を書いてくれ。じゃないと俺も受け取れないんだ」
そう言って目の前の教師は、新しい見学者用のプリントを差し出す。
「あっれぇ?どうしたんですかぁ?」
くすくすと笑いながらいじめっ子達がエマ達の元に近づいてくる。
「あぁ、平野達か。そうだ、お前たちからも言ってやってくれ。ロビンソンが見学理由に体操服を破られたなんてふざけたことを書いてきたんだ」
「えー!?それは駄目だよ!ちゃんと正直に書かないとー!」
教師がそう言うと、グループにいるうちのひとりがニヤニヤしながらわざとらしく言った。
「…分かりました。書き直します」
エマはプリントを教師の手から取り、その場で見学理由の欄の上に「体操服は昼休みに平野さん達によって切り裂かれました」と書き足した。
「どうぞ。嘘はついていません。疑うなら教室まで見に来ますか?さっきはすぐに体育館まで行かないといけなかったので、まだ片付けていませんよ。…先生、証拠もなしに生徒を疑うのは教師として良くない事だと思います。まああたしが嘘を付いている可能性も無くはないですが、どっちにしろ先生の目で確かめるのが1番だと思います」
「ふむ…それもそうだな。よし!6時間目が始まるまではまだ時間があるし、確かめに行くか!と言っても、ここを片付けないといけないから、ちょっと待っててくれ。あ!お前ら、何先に帰ろうとしてるんだ。平野達も一緒に行くんだぞ。もしロビンソンの言うことが本当だとしても、片付けられてると確かめようがないからな!」
この教師は今年教師になったばかりの新卒で、良くも悪くも単純だ。自分がすると決めたことは必ずやり遂げるタイプだと、自己紹介の時に言っていたのは嘘では無いらしい。さっきの授業で使っていたラケットを倉庫に片付けた彼は、エマと、嫌な顔をする平野達に「行くぞ!」と言って体育館を出ていった。後を追おうとしたエマは、平野達の後ろにいる黒髪のボブヘアの少女の方を見る。少女はエマに見られている事に気がつくとサッと目を逸らし、平野達の後ろに隠れるように移動した。
教室に着き、エマの机の上を見た教師は、顔を青くしてエマに謝った後、逃げた平野達を追いかけて教室を出ていった。他のクラスメイト達はいつも通り関係ないという風に過ごしている。これで懲りてくれたらいいけど、明日あたりに陰で復讐でもされそうだな、とエマはぼんやりと考えながら、ついさっき丁寧に掃除したばかりだったはずの机がある席に座って外を眺めていた。
休み時間が終わるギリギリに教室に戻ってきた彼女達は、奇妙な程に大人しかった。これに懲りてもう関わらないようになってくれればいいんだけど、とエマは思ったが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。終礼が終わり、昇降口でエマが下靴に履き替えようと下駄箱に手を伸ばした時、突然後頭部に強い衝撃が走った。遠のいていくエマの視界に、首あたりで切り揃えられた黒髪が写った気がした。




