第8話 同じ茶葉
魔王領の使節が南門をくぐったのは、翌朝の二の鐘だった。
守備長のローゼル・グラントが自ら門まで出迎えた。四十を過ぎた痩せた男で、昨夜のうちに評議会と話し合い、使節の安全通行を認めていた。市街へ入るのは使節と随員の数名だけ。会合が終わればその日のうちに境界まで戻る。荷車は門の外の広場に留め置く。
クラウディアは門の内側からそれを見ていた。
広場に並んだ荷車は十台。幌を外した荷台に麦袋が積み上げられている。随員の一人が袋の口を開き、中身を掌にすくって見せた。黄金色の麦が指の間からこぼれる。
門の内側に集まった人々がざわめいた。
「本物だ」
「あれだけあれば、何日分になる」
「魔王の麦だぞ」
「麦に魔王も帝国もあるか」
クラウディアは袋の数を数えた。一台に四十袋。十台で四百袋。一袋の重さが見た目どおりなら、街の三千人が五日食べる量になる。足りない。けれど、残り七日分の街には五日分でも大きい。
使節が馬から降りた。
黒い外套の女だった。三十を少し過ぎたくらいで、髪を短く切り揃えている。広場の人々へ軽く頭を下げる仕草に、隙がなかった。
「イゼラ・カーヴェンと申します。魔王陛下の名代として、灰門の皆さまに食料をお届けに参りました」
イゼラ・カーヴェン。クラウディアはその名を知っていた。五年前まで帝国の救援局にいた行政官だ。飢饉のときに辺境の配給をまとめ上げ、局内では一番の切れ者と言われていた。ある日、辞表だけを残していなくなった。
イゼラが群衆の中からこちらを見つけた。目が合うと、ほんの少しだけ口元を緩めた。
* * *
会合は港務所の二階で開かれた。
議長と評議員が四人。守備長ローゼル。水門技師長のトビアス。帝国側としてクラウディア。救護所の代表としてミリア。向かいにイゼラと随員が二人。
卓には茶が出ていた。評議会が客のために用意したものだ。イゼラは茶碗を持ち上げ、香りを確かめてから一口飲んだ。
「南の高地の二番摘みですね。冷めかけたほうが甘くなる」
クラウディアの手が止まった。その茶葉は、彼女が書類箱に入れてきた四缶のうちの一つと同じだった。冷めかけが一番甘いのも、そのとおりだ。よりによってこの相手と好みが同じだと分かると、急に茶がおいしくなくなった。
隣でミリアが茶碗の縁越しにこちらを見た。何か言いたそうな顔だったが、何も言わなかった。
「本題に入りましょう」
イゼラが茶碗を置いた。
「門の外の麦は四百袋。灰門の皆さまの五日分です。対価はいただきません。返済も不要です」
評議員たちが顔を見合わせた。
「条件は三つ。一つ、配給には市の名簿を使っていただいて結構です。二つ、ただし名簿に載る人の登録を承認するのは私どもの係官。麦の引き渡しも係官が行います。三つ、係官と麦を守るため、配給所に私どもの兵を置かせていただきます。十日間の暫定です」
「兵を置くだと」
ローゼルが低く言った。
「配給所を守る兵です。街の外へ向けた兵ではありません。守備長の指揮下にある門や城壁には一人も近づけません」
イゼラは淀みなく答えた。答えを用意してきた人の話し方だった。
* * *
クラウディアは卓の上で指を組んだ。
今朝届いた照会の返事で、上流の在庫は押さえられた。運ぶ船もある。通れないのは灰門の水門だけだ。船が入るまでの日数を、この麦なら埋められる。受けるかどうかを決めるのは評議会だ。ただ、条件はここで変えられる。
「確認するわ。名簿は市のものを使っていい。それは市の配給所で配るという意味かしら」
「配給所はどこでも構いません。市の配給所なら、なおさら皆さまも慣れていらっしゃる」
「兵の数は」
「二十」
「十」
「十五」
「十。十日ではなく、麦を配り終えるまで。五日で配り終えたら五日で引き上げる」
イゼラは少し考えた。
「……十名、配り終えるまで。それで結構です」
「数を詰めるのは構わん」
ローゼルが口を挟んだ。
「だが外の兵を街に置くかどうかは、この場では決められん。帝国と自治区の同意が要る」
「承知しています。数だけ先に決めておきましょう」
イゼラはあっさり引いた。クラウディアも頷いた。数を削っておけば、どちらに転んでも損はない。
評議員の一人が息を吐いた。兵の数が半分になり、置く期間も短くなった。卓の空気が、受け入れるほうへ傾き始めているのが分かった。
「最後に一つ」
クラウディアは続けた。
「登録の承認。そちらの係官が名簿を確かめるのは構わない。でも承認と引き渡しは市の係がやる。麦は贈り物として受け取って、市の倉庫に入れる。係官は横で見ていればいい」
「そこは譲れません」
即答だった。イゼラは茶碗を持ち上げ、もう一口飲んだ。
「救援は渡した先まで責任を持つものです。誰の手に渡ったか確かめられない麦は、届いたことになりません。帝国の救援局で、あなたもそう習ったはずよ」
クラウディアは表情を動かさなかった。
「兵の数でも期間でも、いくらでも話し合いましょう。けれど誰に麦を渡すかは、麦を運んできた者が決めます」
他の条件はすぐに動いたのに、そこだけが動かない。クラウディアはその一点を見つめた。
* * *
議長が休憩を告げた。昼の鐘の後に会合を再開する。それまでに、評議会として街側の対案をまとめる。
イゼラと随員が別室へ下がると、評議員たちは一斉に話し始めた。受けるべきだ。兵を入れるのは危ない。五日分だぞ。魔王の麦を食えというのか。
クラウディアは書類箱を開き、白紙を一枚出した。
「対案を作るわ。名簿は市のもの。引き渡しも市の係。係官は立ち会うだけ」
書きかけた紙の端を、ミリアの手が押さえた。
「その対案、一行足して」
「何を」
「名簿に載ってない人の分。救護所で先に配る。もう考えてあるの」
クラウディアはペンを止めた。ミリアの指は紙から離れなかった。
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