第7話 一人用の休憩
灰門の救護所は、南門の近くの古い粉挽き小屋を借りていた。
午後になっても列は途切れなかった。熱を出した子ども、咳の止まらない年寄り、荷車に足を轢かれた男。半分は避難してきた人たちで、半分は街の人だった。
「聖女様、あたしの亭主の腕も診てやっておくれよ」
洗濯籠を抱えた女が、隣の大男を肘でつついた。男は気まずそうに左腕を差し出す。古い打ち身が治りきらずに腫れていた。
「荷役の人?」
「港の荷役だよ。船が来ないもんだから、毎日家で寝てばっかりでさ。治してもらったら少しは働く気になるかと思って」
「働く先がないんだよ」
「なら薪でも割りな」
ミリアは笑いながら腕に手を当てた。腫れの芯に力を流すと、男の顔から強張りが抜ける。
「はい、薪割りはできます」
「聖女様まで言うのかよ」
周りで並んでいた人たちが笑った。列の空気が少し軽くなる。
男の次に来たのは、旧倉庫街から来たという老人だった。咳をしながら、ミリアが聞いてもいないことを話し始めた。
「低地の者には、高台へ移れという話が出とるらしい。水門がこのままだと、いつ水が来るか分からんと」
「移るのは嫌ですか」
「嫌も何も。荷をどこへ置く。わしの倅は低地の倉庫で働いとる。仕事場から離れたら、船が戻っても倅は仕事に戻れん」
老人の背をさすりながら、ミリアはその言葉を覚えておいた。高台へ移れと言うのは簡単だ。移った後の暮らしまで考えてくれる人がいなければ、誰も動かない。
* * *
夕方近く、列の最後に母親と子ども二人が並んでいた。
三人とも頬がこけている。熱も怪我もないと言うので、ミリアは母親の手首に触れた。脈が細い。
「最後に食べたのはいつ?」
「昨日の朝です。……一昨日の夜にここへ着いたら、避難してきた人の受付がもう閉まっていて。昨日は炊き出しに並んだんですけど、私たちの前でなくなって」
「今日の配給は?」
「さっき配給所へ行ったら、名簿に名前がない人は明日からだと言われました」
下の子が母親の袖を握ったまま、ミリアの手元の包みを見ていた。焼き菓子の残りだった。
ミリアは救護所の見習いを呼んだ。
「業務用の予備から、三人分の粥を出して。今すぐ」
「でも、あれは患者さん用で」
「この人たちは患者だよ。脈が細いもの」
見習いが奥へ走っていく。ミリアは下の子に焼き菓子を一つ渡した。子どもは両手で受け取り、母親の顔を見てから齧った。
三人が粥を食べ始めるのを見届けてから、ミリアは救護所を出た。
* * *
港務所の二階では、クラウディアが配給所の割り振りを書いていた。
「名簿に載ってない人がいるの」
ミリアが三人のことを話すと、クラウディアはペンを止めた。
「名前は」
「聞いてきた。これ」
ミリアが差し出した紙を、クラウディアは配給名簿の写しの横に置いた。
「追加の手続きを回すわ。明日の配給から受け取れるようにする」
「明日まで?」
「今日の分は救護所で出したんでしょう」
「出したよ。でも、ああいう人がほかにもいるかもしれない」
「いるなら名簿に載せる」
「載せるまで待たせるの?」
「確かめてから配るの。名簿に載せないまま配ったら、誰が何回受け取ったか分からなくなる。そうなったら八日分は八日もたないわ」
「確かめる間、お腹は空いたままだよ」
「分かっているわ」
クラウディアの声は硬くなかった。分かっているのは本当らしい。それでもペンは名簿のほうへ戻っていく。
ミリアは言い返す言葉を探して、やめた。今ここで言い合うより、まだ見つけていない人を探すほうが先だ。
「……じゃあ、見つけたら私が教える。手続きはあなたが回す」
「そうして」
それで話は終わった。ミリアは納得していなかった。クラウディアのペンも、さっきより少し遅かった。
* * *
救護所へ戻ると、奥の物置が片づけられていた。
藁を詰めた椅子が一脚。小さな卓。窓には布がかけてあり、外の声が遠くなっている。卓の上には「聖女用・休憩」と書いた紙が置いてあった。見覚えのある字だった。
「いつの間に」
「さっき、帝国の方が来て」
見習いが言った。
「聖女様は救護所へ戻ってから一度も座ってないから、ここで四半刻休ませるようにって。それから、ご自分はお仕事に戻られました」
ミリアは椅子を見た。座り心地は良さそうだった。窓の布も、外の声が気にならないように二重にしてある。
ミリアは焼き菓子の包みを掴んで救護所を飛び出した。
港務所の二階で、クラウディアはまだ割り振りを書いていた。
「何」
「来て」
「仕事中よ」
「私も仕事中だった。休憩しろって言ったのはあなたでしょ」
「あなたに言ったの」
「一人で食べてもおいしくないの、このお菓子。二人分あるんだから」
ミリアは包みを開いて見せた。救護所の皆がくれた焼き菓子は、まだ半分残っていた。
クラウディアはしばらく包みを見て、それからペンを置いた。
「……お茶は私が淹れるわ。救護所の湯は薬臭いもの」
「いいよ」
「蜂蜜は自分の分だけにして」
「いいよ」
クラウディアは書類箱の底から缶を一つ取り出した。疲れたとき用の缶だった。
物置の椅子は一脚しかなかった。ミリアは先に木箱へ座った。クラウディアは一度立ち上がりかけて、ミリアの木箱を見た。ミリアが動かないので、そのまま座り直した。
「この部屋、あなたが作ったんだから、あなたが椅子でいいよ」
「あなたのために作ったのよ」
「じゃあ私のものだから、私が貸してあげる」
クラウディアは茶を一口飲んで、反論しなかった。四半刻はあっという間に過ぎた。
* * *
日が落ちかけたころ、南門の見張り台で鐘が鳴った。
救護所の外へ出ると、守備隊の兵が通りを走ってくるところだった。
「街道に旗だ! 荷車が十台、こっちへ来る!」
「どこの旗」
ミリアが訊くと、兵は足を止めずに叫んだ。
「魔王領の旗です。荷車には麦袋が積んである。使節だと名乗ってます!」
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