↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女と聖女は、世界を救う方法で喧嘩する  作者: 白川 透


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/12

第6話 八日分

 灰門に着いたのは昼前だった。


 クラウディアは港の桟橋に立ち、荷役場を見渡した。荷を吊る木組みの起重機が三基、腕を上げたまま止まっている。石畳には荷車の轍が何本も刻まれているのに、今は一台も通らない。岸壁に繋がれているのは小舟ばかりで、貨物船の帆はどこにも見えなかった。


 荷役人らしい男たちが、空の荷台に腰かけて川を眺めている。誰も急いでいない。急いでも運ぶ物がないのだ。


 港務所の窓口では、帳簿係の青年が目の下に隈を作っていた。


「帝国から来たヴァレンシュタインです。補給と復旧の調整を任されています」

「あ……お待ちしてました。本当に」


 青年が差し出した入港記録は、十一日前の欄で止まっていた。その後の頁には、上流の中継港へ送った伝令の控えだけが並んでいる。どれにも「水門不調のため入港見合わせ」とあり、それ以上のことは書いていない。


「直る見込みは、伝えていないの」

「技師長に訊いても分からないと言われて。分からないことは書けなくて」


 青年は申し訳なさそうに首をすくめた。責める気にはなれなかった。分からないことを分かったように書かれるより、ずっといい。


「倉庫を見せて」


* * *


 市の倉庫は港から坂を上った高台にあった。


 倉庫番の老人が、今朝数え直したばかりだという棚卸しの帳面を開いた。乾燥した麦と豆、塩漬けの魚、干した根菜。奥の棚までぎっしり詰まっているように見えて、手前の棚はもう半分が空だった。


「市街の住民と、南門と旧倉庫街に入っている避難民。守備と水門の勤めの者を入れて三千人。通常の一人分で計算すると、八日分です」

「八日」


 クラウディアは帳面の数字を指でなぞった。この十一日間、外から何も入っていない。それでも八日分残っているのは、市が冬に備えて積んでいた分があったからだ。冬の分を今使っている。


「配給は今どうしているの」

「各自が市場で買っとります。値はもう倍になりました。買えん者は救護所や神殿の炊き出しに並んどります」

「名簿は」

「市の配給名簿ならあります。戦のときに作ったもので、避難民が来てから書き足しとります」


 クラウディアは帳面を閉じた。


 やることは二つあった。一つは外から食料を入れる手立て。もう一つは、今ある八日分を八日分のまま使うことだ。値が倍になった市場に任せておけば、買い込める者が買い込み、買えない者から先に倒れる。


 クラウディアはその場で書類箱を開け、照会状を二通書いた。上流の中継港と、その先の穀物商会宛てだ。乾燥主食の在庫を問い合わせ、他の地域の最低備蓄に手をつけない範囲で仮押さえを頼む。支払いの保証は帝国の補給枠で出す。


「早馬を一頭。今から出せば明日の朝には返事が来るわ」

「は、はい」


 倉庫番が若い者を呼びに走った。


* * *


 市の評議会は、港務所の二階で昼の会合を開いていた。


 議長は白髪の商人で、他の評議員も疲れた顔をしていた。クラウディアは棚卸しの数字を示し、名簿による配給を今日の夕方から始めるよう提案した。一人一日の量を決め、名簿の順に配給所で渡す。市場の買い占めを止めるためだ。


「名簿で配るのはいいが、人手が」

「配給所の係は倉庫の者と港務所の者で足ります。今は荷を運ぶ仕事がありませんから」

「……反対の者は」


 誰も手を挙げなかった。議長が頷き、書記が決議を書き留めた。


 会合の途中で、扉が開いた。


「遅れてごめんなさい」


 ミリアだった。袖をまくったままで、手の甲に包帯の切れ端が引っかかっている。救護所から走ってきたらしい。


「救護所の報告をしてもいい?」


 議長が頷くと、ミリアは評議員の顔を順に見た。


「固い物を食べられない人がいます。熱のある子は固いパンを飲み込めないし、年寄りの人は塩漬けの魚で喉を詰まらせる。救護所の炊き出しで粥を作りたいので、そのための麦を別に回してほしいの」


 クラウディアは配給の案に一行書き足した。救護所の粥用に麦を別枠。量は倉庫番と相談する。


「回すわ。今日の夕方の分から」

「ありがとう」


 ミリアはそれだけ言って、空いている椅子に座った。座った途端に肩が落ちる。午前中がどれだけ忙しかったかは、袖の染みを見れば分かった。


* * *


 最後に呼ばれたのは水門の技師長だった。


 トビアス・レンは五十を過ぎた大柄な男で、長靴の膝まで泥がついていた。帽子を取ろうともせず、会合の机に両手をつく。


「機械の話からします。取水口の歯車と操作部が止まっとる。部品を替えて組み直すだけなら、一週間あればやれる」

「なら八日で間に合うわね」

「間に合わん」


 トビアスは懐から布の包みを出し、机の上で開いた。黒い泥の塊だった。乾いていない。布に染みた跡が、油のように艶を残している。


 ダリオが小さく声を上げた。瓶を取り出して隣に並べる。橋の車輪から取った泥と、同じ色だった。


「どこでこれを」

「取水口の奥に詰まっとる。掻き出しても次の日にはまた詰まる。どこから来とるのか分からん。分からんうちは、いくら歯車を替えても同じことになる」


 トビアスは泥の包みを畳んだ。


「十日で済むとは言えん。正直に言えば、もっとかかるかもしれん」


 会合の部屋が静かになった。


「陸で運べんのか。街道があるだろう」


 評議員の一人が言った。答えたのはトビアスだった。


「上流から来る道は、峡谷の手前で途切れる。その先は迂回の歩道しかない。階段と崖っぷちの道だ。人が背負えば通れるが、荷車は通らん」

「少しは運べるということね」


 クラウディアが言うと、トビアスは頷いた。


「少しはな。三千人の分は、背中では運びきれん」


 クラウディアは棚卸しの帳面を開き直した。照会の返事が明日の朝に来て、すぐに船を出せたとしても、水門が通れなければ港には入れない。


 ミリアがこちらを見ていた。クラウディアは帳面から目を上げなかった。


 泥はどこから来ているのか。上流から流れてくるのか、誰かが持ち込んだのか。橋で見たあの車輪は、灰門の手前の村から来た。今はまだ、どちらとも言えなかった。


 食料は八日分。復旧は十日より先。

お読みいただきありがとうございます!

「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。

Xでも更新情報などを発信しています。

よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!

https://x.com/st_shosetsu

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。