第33話 昼食が二人分多い
地方監察局の事務所は市場の北の外れにあった。
供給局の建物より古く、廊下の床板が歩くたびに鳴った。奥の部屋に通されると、ザリカが先に来ていて机の上に書類を並べていた。オルネクは窓際の椅子に鞄を膝に抱えて座っていた。
ミリアはクラウディアから一番遠い椅子を選んだ。
クラウディアは気づかないふりをしてザリカの向かいに座った。
「供給局から使いが出たわ。交換した部材は洗わずに残す。施設への立入りは、整備に合わせた視察として認める」
「整備に合わせて、ですか」
「区画を止めて手を入れる日に、帝国の客が見学する。供給局の言い方ではそうなるわ」
ザリカは自分の書類に目を落とした。
「昨夜伺ったお話とオルネクさんの控えは、今朝局長に上げました。監察局として点検と記録の保全を承認します。危険が確かめられた箇所は一時的に止めることができます。担当官を一人同行させます」
書面には判がいくつも押してあった。昨夜オルネクを宿に連れて帰ってから、半日しか経っていない。
「早いわね」
「訪問団の窓口は私ですから」
ザリカはそう言って書類の端を揃えた。
「私も同行します。ご案内の役目がありますので」
* * *
話がまとまりかけたところで、オルネクが鞄を抱え直した。
「……止める、というのはどこまでですか」
全員がオルネクを見た。
「一時的に、というのは分かります。でも調べて悪いところが見つかったら、全部止めろという話になりませんか。調整所が駄目だということになったら、村の畑は」
オルネクは言葉を切った。
クラウディアは答えを探した。止まらないとは言えない。それを決めるのは自分ではない。
「全部止まらないとは約束できないわ」
オルネクの肩が落ちた。
「でも、あなたが見せてくれたものを都合のいいところだけ選んで伝えることはしない。良いことも悪いことも見たとおりに書くわ」
「私も」
ミリアが言った。部屋に入ってから初めての声だった。
「直せるところが見つかったら、それもちゃんと見てもらえるようにします。悪いところだけが残る話にはさせません」
オルネクはミリアとクラウディアを順に見た。それから鞄の口を開けて、昨日の図面を取り出した。
「なら私も行きます。中を一番知っているのは私ですから」
* * *
監察局を出ると、ミリアはテッサの店に寄ると言って、一人で南の通りへ曲がっていった。ハンナの封筒を届けに行くのだろう。クラウディアは何も言わずに見送った。
宿に戻ると日が傾いていた。
明日は朝が早い。クラウディアは自分の部屋で荷物を広げた。書類の束、写しを取るための帳面、手袋の替え。
戸が叩かれた。
「……鞄、こっちに置いてたでしょ」
ミリアだった。紙の包みを二つ胸に抱えている。部屋の隅に、ミリアの肩掛け鞄が置いたままになっていた。今朝打合せに出る前に置いていったものだった。
ミリアは入ってきて鞄の前の床に座り込んだ。包みを鞄の口に押し込んでから、中身を一つずつ出して詰め直し始めた。自分の部屋でやればいいのに、とクラウディアは思った。言わなかった。
しばらく、紙をめくる音と布を畳む音だけがしていた。
「ミリア」
クラウディアは手元の帳面を閉じた。
「昼に、気が済んだだけだと言ったわ。あれは言うべきではなかった」
ミリアの手が止まった。
「名前を勝手に使われて怒るのは当たり前よ。それをあなたの気分の問題みたいに言った。訂正は後から出せばいいとも言ったわね。先に読む人のことを考えていなかった。ごめんなさい」
ミリアは何も言わなかった。止まっていた手がまた動き出した。替えの靴下を丸めて鞄の底に押し込んでいる。
クラウディアは帳面を開き直した。字は目に入ってこなかった。
* * *
鞄の口から紙の包みが二つ覗いていた。
「それ、何」
ミリアは包みを鞄の奥へ押し戻そうとして、やめた。
「……明日のお昼。調整所の近くに食べるところなんてないでしょ」
「二つあるわね」
「一つはあなたの分」
ミリアは包みを床に置いた。片方を開けてみせる。厚く切ったパンが四切れ。間に焼いた腸詰めと炒めた玉葱と、乾酪がはみ出すほど挟んである。
「多すぎるわ」
「山道を歩くんだよ。足りないくらい」
「手が脂だらけになるわね」
「なったら拭けばいいじゃない」
クラウディアは立ち上がって、自分の荷物の山から布の包みを二つ取り出した。
ミリアが目を丸くした。
「何それ」
「明日の昼食よ」
「二つある」
「……一つはあなたの分」
布を開くと、薄焼きの生地で具を巻いたものが三本と、小さな瓶が一本。巻いたものの端は一本ずつ葉でくるんであった。
「葉を持てば手が汚れないの。瓶は冷ました茶よ。山の水は煮沸しないと飲めないでしょう」
「三本しかない」
「三本で足りるのよ。普通は」
「普通じゃないよ。山道だよ」
「あなたのパンを食べたら、普通の人は夕方まで動けないわ」
「動けるよ。私は」
ミリアは自分のパンの包みと、クラウディアの布の包みを並べた。床の上に昼食が四人分並んだ。
「……多いね」
「多いわね」
ミリアが先に笑った。噴き出すのをこらえようとして失敗した顔だった。クラウディアも口の端が上がるのを止められなかった。
「ダリオに分けよう。あの人、いつもお昼抜くし」
「オルネクにもね。あの人も食べないで仕事をする顔をしているわ」
「そういう顔、あるの?」
「あるわよ。倉の監督もそうだったでしょう」
ミリアはまた笑った。
* * *
荷物を詰め終わる頃には窓の外は暗くなっていた。
ミリアは鞄の口を閉じて紐を結んだ。結んでから、しばらく紐の端を指でいじっていた。
「クラウディア」
「何」
「私もごめん。あなたがベリオさんに合わせてるって言ったこと」
ミリアは紐から目を上げなかった。
「部材のこと、ちゃんと取ってきたもんね。私が先に言っちゃったあとで。合わせてたんじゃなくて仕事してたんだって、分かってた。分かってたのに言った」
「……そう」
「でも、あの束を止めたことは謝らないよ」
「私も、待ってほしかったと思ったことは謝らないわ」
ミリアが顔を上げた。クラウディアもそれ以上は言わなかった。
ミリアはそれでいいというふうに頷いて、鞄を肩にかけた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
戸が閉まった。
クラウディアは自分の荷物を見下ろした。書類の束の横に布の包みが一つ。もう一つは、さっきミリアの鞄に押し込ませた。その隣に、ミリアが置いていった紙の包みがあった。持ち上げるとずしりと重かった。
クラウディアは書類を少し寄せて紙の包みを鞄に収めた。
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