第34話 休憩にも理由が要りますか
作業道は畑の端から丘へ向かって細く延びていた。
荷車が一台通れるだけの幅で、両側に低い石積みが続いている。先頭を歩くダリオの部下がときどき立ち止まっては道の先を確かめ、手を挙げて後ろに合図した。その後ろにオルネクと監察局の担当官。痩せた年配の女で、背負った箱には記録用の紙と封をするための蝋が入っているらしい。ザリカがその隣を歩き、ミリアとクラウディアが続いた。最後尾はダリオだった。
出発して一刻ほどで道は登りになった。
ミリアは歩きながら空を見た。雲が高い。風に土と草の匂いが混じっていた。村の畑の匂いと同じだった。
隣でクラウディアの足音が少しずつ遅れ始めていた。
「クラウディア、大丈夫?」
「何が」
「足」
「足は二本とも、ちゃんと動いているわ」
クラウディアは前を見たまま答えた。額に汗が浮いていた。
少し行ったところでクラウディアが足を止めた。
「ここで一度地図を確かめたいわ。オルネクの図面と道の向きが合っているか」
先を行くオルネクが振り返った。
「合っていますよ。この道しかありませんので」
「念のためよ」
クラウディアは鞄から地図を出して広げた。広げただけであまり見ていなかった。ミリアはそれを横から眺めた。
しばらく歩くとまたクラウディアが止まった。
「この辺りの石積み、いつ頃のものかしら。記録に残しておきたいの」
「古いものですよ。私が生まれる前からあります」
「ならなおさらね」
クラウディアは帳面を出して何か書きつけた。書き終えてからも、息が整うまで帳面を閉じなかった。
三回目だった。ミリアは数えていた。クラウディアが道端の草を指さした。
「この草、村の畑の畦にも生えていたわね」
「生えてたね」
ミリアは言った。
「この草も記録するの?」
「……観察よ」
後ろからダリオの声がした。
「全員止まってください。休憩です」
前を行く部下が振り返った。ダリオは道の脇の平たい石を指さした。
「登りの半分です。ここで一度全員座ってください。水を飲んで。荷物も一度下ろします」
担当官が真っ先に箱を下ろし、石に腰かけた。オルネクもザリカも座った。クラウディアは立ったまま地図を畳んでいた。
ミリアはクラウディアのそばの平たい石に座った。座ってから隣を手で叩いた。
「隣、空いてるよ」
クラウディアはミリアを見下ろした。それから黙って座った。座った途端に長い息が漏れた。
ダリオが全員の荷物を順に持ち上げて、重さを確かめていた。クラウディアの鞄を持ち上げたところで眉を寄せた。
「書類ですか、これ」
「必要な書類よ」
「それと何です。この重いの」
ダリオが鞄の口から覗いている紙の包みを指さした。ミリアのパンの包みだった。
「……昼食よ」
「昼食が書類より重いんですか」
ミリアは水筒の水を飲みかけてむせた。
ダリオは鞄から書類の束を半分抜き出し、自分の背嚢に移した。紙の包みは部下の一人に渡した。
「残りは持てますね」
「持てるわ」
クラウディアが鞄を受け取った。さっきよりずっと軽そうだった。
* * *
丘の上の木陰になった平らな場所で、昼食にした。
ミリアはパンの包みを開け、クラウディアは布の包みを開けた。並べるとやはり多かった。
「皆さんも、どうぞ」
ミリアが言うとオルネクは遠慮して手を振った。担当官は遠慮しなかった。厚いパンを一切れ取って黙って食べ始めた。
「オルネクさんも。朝何も食べてないでしょ」
「なぜそれを」
「顔に書いてあるって、クラウディアが」
クラウディアが咳払いをした。オルネクは困った顔で葉にくるんだ巻物を一本取った。葉ごと持って齧り、目を丸くした。
「これは手が汚れませんね」
「でしょう」
クラウディアが言った。少しだけ声が得意そうだった。
ダリオはミリアのパンを二切れ取った。部下の二人にも一切れずつ配った。
「こんなに食べるのは妹の式以来です」
「結婚式? どうだったの」
「料理が多すぎて三日かけて食べました。向こうの家の母親が、食べきれないほど出すのが礼儀だと言うもので」
「ハンナさんみたい」
ミリアが言うとザリカが笑った。
「この辺りでもそうですよ。客に出す皿が空になったら恥なんです」
「じゃあハンナさんの家では、私、正しかったんだ」
「三杯でも少ないと言われていたわね」
クラウディアが言った。オルネクが葉の巻物を齧りながら小さく笑った。笑ってから、自分で驚いたように口元を押さえた。
* * *
調整所は丘を下りた先の、浅い谷にあった。
石造りの低い建物がいくつか寄り集まっている。中央の建物から太い管が何本も、地面の下へ延びていた。管の先は谷の向こうの畑まで続いているのだろう。
前庭に入ると、作業着の男たちが何人も立ち働いていた。オルネクの仲間らしい。オルネクを見ると何人かが手を挙げた。
前庭で待っていた職員が、区画は昨日から止めてあると担当官に告げた。
オルネクは前庭を横切り、中央の建物の脇へ歩いていった。ミリアたちもついていった。
建物の外壁に点検用の小さな窓が開いていた。オルネクが覆いを外すと、中から冷たい空気が流れ出てきた。
ミリアは窓を覗いた。
暗い中に管の継ぎ目がいくつも見えた。その継ぎ目の下に黒いものが溜まっていた。艶がある。乾いていない。
近づいただけで指先が冷たくなった。
「……これ」
ミリアは窓から顔を離した。
「灰門の泥に似てる。見た目も、この冷たさも」
クラウディアがミリアの肩越しに窓を覗いた。しばらく黙っていた。
「保守口の壺を覚えている? 蝋で封をして管に詰めてあった」
「覚えてる」
「あの泥を運んできた荷車には、三本線に丸の焼印があったわ。でも泥そのものがどこから来たのかは、分からないままだった」
クラウディアは窓から目を離した。
「こういう場所から集めて、運んだのかもしれない」
オルネクは二人を見ていたが、何も訊かなかった。
「ここの泥が灰門に行ったとは、まだ言えないわ」
ミリアはもう一度点検窓を覗いた。
黒い泥は継ぎ目の下だけではなかった。窓の奥へ続く通路の床にも、筋になって溜まっている。オルネクが見たいと言っていた奥の継ぎ目は、その先だった。
「区画は止まってるんですよね」
「止まっています」
オルネクが答えた。
「でも、このままでは人は入れません」
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