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悪女と聖女は、世界を救う方法で喧嘩する  作者: 白川 透


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第21話 沈める場所

 トビアスが階段を上がってきたのは時計の針が七分に届く前だった。


「連結部の留め金を一本、叩き折られた。やった奴は守備隊が押さえた」


 トビアスは台の上の時計を取り上げ、計器の針と見比べた。


「補助は十四分までしか持たん。それを過ぎたら、扉がどうなるか分からん」


 操作室の誰も、すぐには口を開かなかった。


 十四分。今は七分。空いた二艘を向こうへ出して、八人を乗せて、戻って、斜路の上まで上げて、舟を退避させる。それから放水の操作がある。訓練で何度も計った。十四分には収まらない。


「放水を早めるしかないのか」


 ローゼルが低く言った。


「八人を向こうに残したまま」

「旧排水路を開けてください」


 クラウディアは言った。自分の声が思ったより落ち着いていた。


 トビアスがこちらを見た。


「開ければ、上がり方は鈍る。だがどれだけ鈍るかは、開けて水位計を見るまで分からん。最初の見込みまで戻るかもしれん。戻らんかもしれん」

「戻らなければ、二往復目は出さない。舟を退避させて、放水します」

「それに」


 トビアスは言いかけて窓の外の暗がりを顎で示した。港のほうだった。


「荷揚げ場が沈む」

「分かっています」


 ついさっき夕日の中で鉤を磨いていた荷役人の手つきを、クラウディアは覚えていた。軌条から泥を掃き出させたのも、起重機の鎖に油を差させたのも自分だった。明日の朝あそこへ最初の船を着けるつもりだった。


「明日の荷は階段桟橋で揚げます。小型の船なら横付けできることは、訓練の日にルイザと確かめてあります」


 クラウディアはトビアスを見た。


「開けてください」


* * *


 クラウディアは伝令を呼んだ。


「桟橋のルイザへ。旧排水路を開ける。明日の荷揚げは決めてあったとおり階段桟橋へ切り替える。返事はいらない」


 伝令が駆け下りていく。トビアスは助手に操作口の確認を命じた。旧排水路の操作口には訓練の日から操作係が二人ついている。合図の灯も一つ決めてあった。


 ローゼルがトビアスを見た。


「技師長」

「操作口はいつでも開けられる。開ければすぐ針に出る」

「開けろ」


 ローゼルの声に迷いはなかった。


 クラウディアは窓際の台から黄色い灯を取り、操作口の方角へ二度振った。


 港のほうで、何かが外れる重い音がした。


 水の音が変わった。それまで聞こえていた上流の唸りの下に、もう一つ低い流れの音が加わる。窓の外の暗がりの中を水が斜面を下っていくのが見えた。旧排水路を抜けた水は港の低い荷揚げ場の縁を越え、軌条の上へ広がっていく。松明の明かりが水面に映って揺れた。起重機の台座が一基ずつ水に浸かっていった。


 クラウディアは目を逸らさなかった。


 トビアスは計器の前に屈み込み、針を睨んでいた。


「……八分」


 時計を見て、それから針を見た。もう一度、時計を見た。


「上がり方が鈍った。これなら最初の見込みまでは持つ」


 クラウディアは白い灯を取った。


 ローゼルが頷いた。


 白い灯を一度、高く上げた。


* * *


 空いた二艘が桟橋を離れた。


 石壁に沿ってさっきと同じ筋を進んでいく。上流側の岸からの矢はもうまばらだった。ダリオたちが岸の上へ押し上げていた。


 二艘が作業区の乗降場に横付けした。待っていた八人が四人ずつ乗り込んでいく。最後に乗ったのは救護員の二人だった。乗降場の松明を一本ずつ水へ落としてから、舟の縁を跨いだ。


 作業区の側から、白い灯が一度。


 クラウディアは白を上げた。


 二艘が戻ってくる。港のほうからはまだ旧排水路の水の音が続いていた。


「十四分」


 トビアスの声が硬くなった。さっきまでなら、扉の限界だった時刻だ。計器の針は上がり続けている。けれど、まだ赤い線には届いていなかった。


 二艘が桟橋に着いた。縄が投げられ、八人が引き上げられていく。斜路の松明の列を人影が上がっていく。


 斜路の上からミリアの声が届いた。今度は操作室まで聞こえた。


「二十八! 全員いる!」


 船頭たちが舟を桟橋から離し、壁際の退避場所へ引き込んでいく。係留の綱を高台へ投げ上げ、船頭たちが斜路を駆け上がった。最後の一人が安全線を越えたところで、ルイザの灯が一度上がった。


 守備兵が戸口に来た。


「捕らえた者は全員、高台へ移しました」


 ローゼルが頷いた。トビアスを見る。


「放水」


 トビアスが自分の手で放水扉の把手を引いた。


 床の下で、何かが解き放たれた。


 窓の外で、水門の横腹から白い水が噴き出した。内水路の静かな水面が一息に盛り上がり、作業区の作業棚を呑み込んでいく。さっきまで人が立っていた乗降場が泡の下に消えた。上流側の岸に残っていた松明が水しぶきの向こうで散り散りに退いていった。


 トビアスが時計の蓋を閉じた。


「十七分」


 操作室の窓は水の音で震えていた。クラウディアは灯の把手から手を離した。指が強張って、すぐには開かなかった。


 港のほうの暗がりは、もう見えなかった。荷揚げ場があったはずの場所に暗い水が広がっていた。

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