第2話 休憩枠
夜明けの鐘が鳴る前に、クラウディアは宿の中庭で荷車の積み荷を数え終えていた。
水樽が二つ。乾燥食が四日分。医療箱が三つ。書類箱が一つ。灰門までは二日で着く計算だが、橋や街道で足止めされることもある。四日分あれば足りる。
「おはようございます。……早いですね」
護衛のダリオ・フェルンがあくびを噛み殺しながら現れた。昨夜遅くに神殿から回されてきた男だ。帝国軍で小隊を率いた経歴がある。書類で読んだかぎり仕事は確かで、無茶な命令には従わない。その一行がクラウディアは気に入っていた。
「確認するわ。警備はあなたと部下が二人。神殿からの追加は」
「ありません。神託の件は神殿でも一部しか知らないそうで。人を増やすと噂が広がるから、と」
「賢明ね。旅費は帝国の灰門支援費から出す。神殿の分は後で精算するわ」
「了解です。……あの、一つだけ」
ダリオは頭をかいた。
「灰門の仕事が終わったら休暇をいただけるんですよね。来月、妹の結婚式があって」
「仕事が予定どおり終わればね」
「予定どおりに終わる仕事、俺あんまり見たことないんですけど」
「なら初めて見る機会にしましょう」
ダリオは何か言いたそうな顔のまま荷車の点検へ向かった。
入れ替わりにミリアが来た。両腕に包みを三つ抱えている。
「おはよう! これ積んでいい?」
「中身は」
「お菓子と、着替えと、お菓子」
「二つがお菓子ね」
「一つは市場の焼き菓子で、一つは救護所の皆がくれたの。断れないでしょ」
クラウディアは包みの一つを持ち上げた。焼き菓子にしては重すぎる。
「……これ、蜂蜜の瓶が入っているわね」
「蜂蜜があるとお茶が美味しいから」
「お茶なら私が持っていくわ」
「知ってる。だから蜂蜜」
悪くない理屈だった。クラウディアは包みを荷台に置き、懐から予定表を取り出した。昨夜のうちに清書したものだ。
「出発前に決めておくわ。今日は街道を四十キロ進んで中間宿に泊まる。明日の朝に残り十二キロで灰門。休憩は二回。昼と宿の手前」
「二回だけ?」
「足りるでしょう」
「途中に花畑の村があるんだよ。今が見頃で」
「寄らない」
「峠の茶屋の前で栗の餅を売ってて」
「寄らない」
「全部寄らないの?」
「寄り道をすれば到着が遅れる。灰門の船は三日遅れているの。こちらまで遅れる理由はないわ」
ミリアは予定表を覗き込み、それから荷台の一点を指さした。
「じゃあ、あの書類箱は?」
「仕事の書類よ」
「下のほうに本が三冊入ってるの、昨日見た」
クラウディアは表情を動かさなかった。動かさないように努めた。
「……資料よ」
「恋愛小説が?」
「表紙だけで判断しないで」
「『侯爵令嬢は騎士の求婚を三度断る』って書いてあった」
「宿で読む分だけよ。移動中には読まない」
「それと茶葉の缶。四つあったよ。お茶は一種類で足りるんじゃない?」
「足りないわ。朝と昼と夜と、疲れたとき用」
「疲れたとき用」
「必要でしょう」
「花畑も必要だよ。疲れたとき用」
ミリアは真顔だった。
「茶葉と本は荷の重さの問題。寄り道は時間の問題。別の話よ」
「茶葉四缶は重さに関係あるよ」
「誤差よ」
「蜂蜜も誤差」
中庭の向こうで、ダリオが車輪を叩く手を止めてこちらを見ていた。目が合うと慌てて点検に戻る。
クラウディアは予定表を折り畳み、もう一度開いた。昼の休憩と宿の手前の休憩。それぞれの欄の下に、書き込める余白が一行分ずつある。
「……休憩はこの二回。中身はあなたが決めていいわ。ただし場所は街道沿い、時間は一回につき四半刻まで」
「中身って?」
「何を食べるか。どこに座るか。街道から花が見えるなら、それを眺めてもいい」
ミリアの顔がぱっと明るくなった。クラウディアの手から予定表を抜き取ると、胸元から出した鉛筆で余白に書き込み始める。
「ちょっと。清書した表に」
「決めていいって言ったでしょ」
「決めていいとは言ったわ。書いていいとは」
「同じだよ」
戻ってきた予定表の昼の欄には、丸い字で「栗の餅(峠の茶屋の前で売ってる)」とあった。宿の手前の欄には「お茶。蜂蜜入り。クラウディアの疲れたとき用の缶で」。
クラウディアはしばらくその字を眺めた。消すのは簡単だ。けれど四半刻で栗の餅を買うだけなら、街道を外れずに済む。
「……茶葉を選ぶのは私よ」
「うん。それは任せる」
ミリアはあっさり言って荷台へ駆けていった。包みを積み直し、ダリオに何か話しかけている。ダリオの顔が少し緩んだ。妹の話でも聞き出したのだろう。
予定表をしまいかけて、クラウディアは疲れたとき用の缶をどれにするか考えている自分に気づいた。
* * *
出発は予定より四半刻遅れた。ミリアが救護所に寄って、昨日のリタの様子を確かめたいと言ったからだ。
クラウディアは止めなかった。止める理由が見つからなかった。リタは朝粥を二杯食べたらしい。戻ってきたミリアがそれを三回繰り返して報告したので、遅れた四半刻のうち半分はその話で埋まった。
街の東門をくぐってしばらく行くと、ダリオが馬を寄せてきた。
「前から来た行商人の話です。半刻ほど先の橋で、避難の馬車が立ち往生していると」
「避難? どこから」
「灰門の方からだそうで」
ミリアが鞍の上で身を乗り出した。クラウディアは予定表の昼の欄を思い出した。栗の餅には間に合わないかもしれない。
それでも馬の腹を蹴ったのは、クラウディアのほうが先だった。
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