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悪女と聖女は、世界を救う方法で喧嘩する  作者: 白川 透


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第15話 名前の載る場所

 鍛冶屋の炉は日が暮れても火を落としていなかった。


 トビアスが保守区画から運ばせた油紙の包みを四つ、作業台に並べる。鍛冶屋の親方は軸受を一つずつ手に取り、光に透かしてから頷いた。


「削り直せば使える。三日だ。それより早くはできん」

「今夜から始めて」


 クラウディアは前金の袋を作業台に置いた。親方が受取書を書く。四つの軸受、削り直し、三日後の朝に渡す。クラウディアはそれを畳んで懐にしまった。


 鍛冶屋を出るとミリアが後ろからついてきた。


「本当にグラーフ商会へ行くの? 三日待てば直るんでしょ」

「削り直しを待って、それから組み直すのよ。船に間に合わない。そのあいだ配給を減らすことになる」

「……それは嫌だね」

「だから行くの」


 坂を上りながらミリアがこちらの顔を覗き込んだ。


「楽しそうだね」

「仕事よ」

「楽しそうな顔で言ってる」


 クラウディアは答えずに歩く速さを上げた。


* * *


 グラーフ商会の倉庫は市の倉庫の二軒隣にあった。


 帳場の奥でオスヴァルト・グラーフが帳面をめくっていた。五十を過ぎた恰幅のいい男で、指に太い指輪をはめている。クラウディアとミリアが入っていくと顔を上げもしないで言った。


「軸受なら、あるよ」

「四つ欲しいの」

「一つ金貨六枚。前金で全額。納めるのは五日後だ」

「五日後では間に合わないわ」

「なら急ぎ料をもらって三日後にしよう。一つ金貨八枚」


 オスヴァルトはようやく帳面から顔を上げた。


「水門が止まって困っとるのは、そっちだろう。こっちは困っとらん。軸受は腐らん」


 クラウディアは懐から受取書を出し、帳場の台に置いた。


「水門の予備の軸受を四つ、さっき鍛冶屋に預けてきたわ。削り直して三日。あなたの軸受がなくても、水門は直る」


 オスヴァルトの目が受取書の上で止まった。


「待つあいだは配給を減らす。楽ではないけれど、それでこの街は持つ。備蓄はあるもの」


 クラウディアは受取書を指で叩いた。


「だから、あなたの軸受で買えるのは三日だけ。三日分の値段なら払うわ。ふだんの値に今夜のうちに運んでもらう手間賃を足した分」

「……冗談だろう」

「売らないのも自由よ。無理に買おうとは思わない」


 オスヴァルトが鼻で笑いかけた。クラウディアはそれより先に続けた。


「水門が直ったら、評議会は復旧の記録を作るわ。港務所の壁に資材を出した者の名前を掲げる。今日の会合で決まったの」

「それがどうした」

「軸受の欄には鍛冶屋の名前が載る」


 オスヴァルトの指が帳面の上で止まった。


「港の古い桟橋の銘板にグラーフの名前があったわね。あなたのお父様が石材を出した年の。今でも港の人はあの桟橋をグラーフ桟橋と呼んでいる」


 帳場が静かになった。


 オスヴァルトは帳面を見下ろしたまま指輪をはめた指をゆっくり握った。一度開いて、また握る。


 クラウディアはその指を見ていた。この瞬間が嫌いではなかった。


「……ふだんの値で、今夜のうちに水門の詰所へ運ぶ」


 オスヴァルトが低く言った。


「記録には何と書く」

「事実だけよ。いつ、何を、いくらで出したか」

「値段まで書くのか」

「事実だもの」


 オスヴァルトは長い息を吐いた。


「容赦がないな、あんた」

「最初からこの値で出していれば、銘板に『快く』と書き足してあげられたのに」

「クラウディア」


 ミリアが袖を引いた。


「もう売るって言ったでしょう。まだ何をさせたいの」


 クラウディアは口を閉じた。袖を引かれたまま帳場の台から受取書を取り上げる。


「……何も。今夜中に詰所へ。受け取るのはトビアスよ」


 オスヴァルトは返事の代わりに、奥の荷役人を呼んだ。それから帳面を閉じながら呟いた。


「事実だけを書く、か。書かれて困る事実がある者は、大変だな」


 クラウディアは受取書を懐へしまう手を一瞬止めた。


「だから正確に書かせるのよ」


 声はいつもどおりに出た。


* * *


 倉庫を出る前に、クラウディアは布の包みを帳場の台に置いた。取水口の保守口から外した、四本のボルトだった。


「これもあなたのところの品?」


 オスヴァルトは一本をつまみ上げ、刻印を見て眉を寄せた。


「うちのだ。水門用の太いやつだから、灰門ではうちしか扱っとらん」

「最近、これを買った人は」


 オスヴァルトは帳面を遡った。指が半月ほど前の頁で止まる。


「運送の者だと言っとった。ボルトを八本と、それから軸受の寸法を訊いていった。水門の操作部に合うやつはあるか、と」

「買っていったの?」

「軸受は買わずに帰った。だから、そのうち要る者が出てくるだろうと思ったんだ」


 クラウディアは帳面の頁を覗き込んだ。支払いは現金。名前の欄には「運送」とだけある。その下にオスヴァルトの癖のある字で書き添えてあった。


 荷車の焼印、三本線に丸。


 クラウディアはその印を知っていた。二日前、南門の外の広場で麦袋を数えたとき、十台の荷台の側板に同じ焼印が押してあった。


「この頁、写させてもらうわ」


 オスヴァルトは何も言わずに帳面をこちらへ向けた。


* * *


 その夜遅く、軸受は詰所に届いた。


 トビアスは木箱の蓋を開けて一つずつ確かめ、それから壁の日程表に書き込んだ。


「明日から組み直す。六日目、遅くとも七日目には通せる」

「鍛冶屋の分は」

「予備に回す。削らせとけ。替えがあるのは悪くない」


 ミリアが壁の日程表を見上げていた。十日以上と書かれていた欄に線が引かれ、その横に新しい数字が並んでいる。


「……縮んだね」

「縮んだわ」


 クラウディアは写した帳面の頁をもう一度開いた。三本線に丸。ボルトを買った運送の者と、イゼラの麦を運んできた荷車。まだ、同じ焼印というだけだった。


 頁を閉じてローゼルへの報告を書き始めた。

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