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悪女と聖女は、世界を救う方法で喧嘩する  作者: 白川 透


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第11話 三語だけ

 水門の取水口では夜でも掻き出しの作業が続いていた。


 トビアスが港の荷役人を雇い、交代で黒い泥を掻き出させているのだ。掻いても翌日には詰まる。それでも掻かなければ、取水口は完全に塞がってしまう。


 クラウディアは作業場の脇の小屋で交代を終えた男たちに話を聞いていた。


「上流の岸に屋根の落ちた舟小屋があるわね。夜に灯りを見た人はいない?」


 男たちは顔を見合わせた。誰も答えない。


「見ていないなら、それでいいの。見た人がいるなら、いつ見たか知りたいだけ」


 やはり誰も答えなかった。一人が泥のついた手袋を外し、黙って膝の上で揉んでいる。


 クラウディアは男の手元を見た。手袋は指先まで濡れて、縫い目がほつれていた。昨日今日の傷み方ではなかった。


「私が聞いてみる」


 隣でミリアが言った。


 ミリアは手袋を揉んでいる男の前にしゃがんだ。男の顔を下から覗き込み、それから妙に背筋を伸ばした。


「あなた、夜に何か見たでしょう。正直に言いなさい」


 声が低い。語尾が短い。クラウディアは自分の口調だと気づいた。


 男がびくりと肩を縮めた。ミリアはすぐに眉を下げた。


「あ、ごめん。怒ってないよ。……手、冷たいね。ずっと水に浸かってたの? 霜焼けになりかけてる」


 ミリアは男の手を取って指の付け根を揉み始めた。白かった指先に赤みが戻ってくる。男は自分の手を見下ろして、困ったように小さく笑った。


「今のは私のつもり?」


 クラウディアが訊くと、ミリアは手を揉んだまま振り返った。


「似てた?」

「最初の三語だけ」

「三語も似てたんだ」

「褒めていないわ」


 小屋の隅で別の男が小さく吹き出した。


* * *


 ミリアは男の手を揉みながら小声で何か話していた。家族のこと、子どもの熱のこと。男の答えが少しずつ長くなっていく。


 クラウディアはその間にトビアスから作業の割り当て表を借りた。


 荷役人は三つの組に分かれ、朝、昼、夕方の三交代で泥を掻いている。夕方の組の作業は日没前に始まり、夜半に終わる。配給所が開くのは夕方だ。


 クラウディアは表の上で指を止めた。


「ねえ」


 ミリアが男の手を離して立ち上がった。こちらへ来て、声を落とす。


「この人、前から上流の岸で魚の罠を仕掛けてたの。水門が止まってから上流の漁は禁止になったでしょう。でも子どもが三人いて、配給だけじゃ足りないから、やめられなかったって。見つかったら罰金だから、言えなかったんだよ」


 ミリアは男たちのほうを振り返った。


「魚のことは聞かなかったことにするって言ったら、話してくれた。灯りは見たって。舟小屋のあたりで、三回」

「私も魚の話は聞いていないわ。日にちは」

「この人が覚えてる。罠を仕掛けた夜だから」


 手袋の男がためらいながら指を折った。十三日前。十日前。七日前。


 クラウディアは鞄から港務所の帳面の写しを出した。入港見合わせが始まったのは十二日前。その日に取水口の最初の不調が記録されている。九日前と六日前には掻き出したはずの取水口がまた詰まったと書かれていた。


 三つの夜と三つの不調が一日ずつずれて並んでいた。


「ネイロは三回運んだと言っていたわね」

「うん」


 クラウディアは帳面を閉じた。舟小屋を調べる理由ができた。


* * *


「舟小屋のことなら、ベルタ婆さんに訊くといい」


 帰り際、トビアスが言った。


「昔、水門の管理をしとった人だ。あの舟小屋はもとは水門の保守用の資材置き場だった。古い保守記録を家に持っとるはずだ。役所が捨てると言ったのを、勿体ないと言って引き取ってな」

「どこに住んでいるの」

「旧倉庫街の低地だ」


 クラウディアとミリアは顔を見合わせた。


 旧倉庫街の低地。高台へ移ってもらう話が出ている場所だった。


* * *


 小屋を出ると夜風が冷たかった。


「配給の時間、変えなきゃ」


 ミリアが言った。


「夕方の組の人たち、昨日の分を受け取れてないんだって。家の人が代わりに並んだら、名簿の本人じゃないと駄目だって言われたって」

「割り当て表で見たわ。配給所が開いている間、あの組は取水口にいる」


 クラウディアは坂のほうへ歩き出した。


「明日の朝から、作業場の交代の時間に合わせて受け取れるようにするわ。配給所の係を一人、ここへ回す」

「家の人が代わりに受け取るのは?」

「本人の札を持っていれば受け取れるようにする。あなたの木札と同じやり方で」


 ミリアが足を止めた。


「私の札、使うの?」

「使えるものは使うわ」


 クラウディアは歩きながら頭の中で配給の時間割を書き直し始めた。


 後ろからミリアが追いついてきた。何も言わずに隣を歩いている。顔を見なくても、口元が緩んでいるのが分かった。


「明日、ベルタさんの家にも寄ろうね」

「移送の話をするついでにね」

「ついでなの?」

「ついでよ。順番を間違えないで」

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