↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女と聖女は、世界を救う方法で喧嘩する  作者: 白川 透


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/15

第10話 触れる前に

 救護所の奥の寝台に、若い男が横たえられていた。


 年はミリアとそう変わらない。魔王領の者らしく、耳の先が少し尖っている。右のふくらはぎが布の上から赤黒く染まり、足首は不自然な角度に腫れていた。服の裾にこびりついた黒い汚れは、橋の車輪で見た泥と同じ艶をしていた。


 戸口には守備隊の兵が二人立っている。一人は縄を手にしたままだった。


「斜面を転げ落ちたところを見つけました。荷運びの列から外れて、街道の脇の崖を下りようとしたらしい」

「名前は」

「言いません」


 ミリアは寝台の脇に膝をついた。


 男が身を引いた。縛られた手首が寝台の枠に当たって鈍い音を立てる。目がミリアの手を見ていた。治癒の光を知らないのか、知っていて怖いのか。どちらにしても、触れられたくないという顔だった。


「足を診ます。今から何をするか先に言うね」


 ミリアは手を膝の上に置いたまま話した。


「まず布を切る。傷を洗う。しみるけど、汚れが入ったままだと膿むから。それから傷の奥に力を流して、血が出ないようにする。足首は骨がずれてるかもしれない。ずれていたら戻す。そのときは痛いから、先に言う」


 男は何も答えなかった。けれど身を引くのはやめた。


 ミリアは布に鋏を入れた。


* * *


 傷は思ったより深かった。岩の角で裂いたらしく、肉の奥に小石が入り込んでいる。ミリアは一つずつ取り出し、酒で洗った。男は歯を食いしばって声を出さなかった。


「名前は何という」


 戸口の兵が一歩入ってきた。


「誰に頼まれて荷を運んだ。あの黒い泥は何だ」

「今は治療中です」


 ミリアは手を止めずに言った。


「話を聞くのは、終わってからにしてください」

「しかし聖女様、こいつは」

「終わってから」


 兵は口を閉じた。もう一人の兵と顔を見合わせ、戸口へ戻る。


 男の目がミリアの顔に移った。何か言いかけて、やめた。


 傷の奥に力を流すと、裂けた肉の縁が少しずつ寄っていった。全部は塞がない。血が止まるところまででいい。残りは本人の体が治す。


 次は足首だった。触れると、男の体が硬くなった。


「骨が少しずれてる。戻すよ。痛い。三つ数えてから戻す」

「……三つ?」


 初めて声が出た。掠れた低い声だった。


「うん。息を吐いて。一つ、二つ、三つ」


 三で戻した。男が呻いた。骨が収まる手応えがあった。


 男は天井を見上げて、深く息を吐いた。強張っていた肩が少し落ちた。


* * *


 足首に添え木を当てていると、廊下が騒がしくなった。


 救護所の見習いや、隣の寝台の患者の家族が戸口に集まっている。魔王領の者が運び込まれたと聞いて覗きに来たのだろう。誰かが小声で何か言った。聞き取れなかったが、いい言葉ではないのは分かった。


「下がって」


 クラウディアの声だった。


 いつの間に来たのか、戸口の外に立っていた。集まった人たちを見回し、一人ずつに用事を言いつけていく。


「あなたは隣の患者の湯を替えて。あなたは配給所へ、救護所の今夜の粥が届いたか確かめてきて。それ以外の人は表の列へ戻って。聖女の手が空くのを待っている人がいるのよ」


 人が散っていった。戸口には兵が二人だけ残った。


 クラウディアは中へは入らなかった。戸口の柱にもたれ、兵に何か小声で話している。兵の一人が頷いて、扉を半分だけ閉めた。外の声が遠くなる。


 ミリアは添え木の布を結び終えた。


「終わったよ。三日は歩かないで。熱が出たら言って」


 男はしばらく黙っていた。それから、縛られた手を少し持ち上げた。


「……ネイロ」

「ネイロ。私はミリア」

「知ってる。聖女だろ」


 ネイロは目を閉じた。


「家族が、向こうにいる。俺がここで何か喋ったら」


 声が途切れた。


 ミリアは寝台の脇に座ったまま、すぐには答えなかった。大丈夫だと言うのは簡単だ。けれど、境界の向こうにいる家族を守る手立てを、ミリアは何も持っていない。


「約束はできない。あなたの家族を守れるって言ったら、嘘になる」


 ネイロが目を開けた。


「話すかどうかは、今決めなくていい。夜にもう一回、傷を見に来るから」


 ネイロは長い間ミリアを見ていた。


 戸口のクラウディアが、兵に目で合図をした。兵は戸口から一歩下がった。


* * *


 夜になって熱が少し出た。ミリアが額に手を当てていると、ネイロが口を開いた。


「全部は知らない」

「うん」

「壺を運べって言われた。黒い蝋で蓋をした、重い壺。中は見てない。見るなと言われた」

「どこへ運んだの」

「上流の岸。屋根の落ちた舟小屋がある。そこに置いて帰れって。三回運んだ。誰が取りに来たかは知らない。いつも置いて帰った」


 ネイロはそこで言葉を切った。


「今日は四回目だった。運ぶ途中で、逃げた」


 ミリアは額から手を離した。


「話してくれてありがとう」

「礼を言われることじゃない」


 ネイロは寝返りを打とうとして、足首の痛みに顔をしかめた。ミリアは毛布を直した。


 廊下に出ると、クラウディアが壁際の長椅子に座って書類を読んでいた。待っていたらしい。


「舟小屋」


 ミリアが言うと、クラウディアは書類から顔を上げた。


「上流の岸の、屋根の落ちた舟小屋。黒い蝋の壺を三回そこへ運んだって。誰が取りに来たかは知らない」

「聞き出したの?」

「話してくれたの。治療が終わった後で」


 クラウディアは書類を閉じた。


「今夜のうちに、その舟小屋の近くへ出入りしている人を探すわ。夜に灯りを見た人がいるかもしれない」

お読みいただきありがとうございます!

「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。

Xでも更新情報などを発信しています。

よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!

https://x.com/st_shosetsu

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。