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第五十九話 決戦

 レドは一週間という時間を休まず走り続けハウゼッツの城跡へとたどり着く。既に空は圧迫感を覚えるほど降下してきており、たどり着くまでに何度となく暴徒と化した民衆に襲われたものの、身体能力の差で強引に振り切っていた。心情は分かるが今は構っているときではない。

 城跡に実行者パークティカの姿は見えなかった。


「逃げられたのかしらね」

「ここに用が無くなった、というだけでしょう」


 レドのつぶやきにシュヴァンレードが応じる。実行者がここにいた理由は旧時代の遺産を発掘すること、グルーを利用し同盟を分裂させ世界の洗浄を早めることの二つだと思われていた。紆余曲折があったとはいえそれらが果たされた以上、用はないといえばそうかも知れない。


「……でも、違う。彼女はまだ本当の目的を果たしてはいないもの」

「私もそう思います。世界はまだ抗う意思を捨てていません」


 実行者の仕掛けは各地に不安と混乱を引き起こしているが、必ずしも思惑通りには進んでいなかった。ドゥーリッドやイヴネムではラルフレートやブレッカが敵の侵攻を食い止め、リアリスやアルジェナイト、セキトたちが崩壊の始まった地域の民たちを保護している。

 あとは自分が役割を果たさねばならない。今まで生きて死んでいったすべての人たちを使い回し続ける舞台から解き放ち、今ある恵みの地を失うことなく次の世界と共存させるために。


「シュヴァンレード、貴方は怖くないの?」

「何が、でしょう?」

「自らの役割を超えていくことに」


 創造主によって創られ過去を記録し保つことこそが彼の役割であり、今を形作り歴史を拓いていくことは本来なら逸脱した行為だと彼自身も認めている。

 未来は崩壊するたびに創造主が定め直しており、実行者は定められた世界を治めるために多大な権限を与えられているのだが、それは既に形骸化していると彼は繰り返し述べていた。


「空が落ちるときに定められるはずの未来は私には見えません。他の有権者にも見えてはいませんでした。だから、彼女にも何ひとつ未来は見えていないはずです」


 見えていない未来を迎えるために今を洗浄することこそ越権行為である、と彼は断じた。定められた規範を実行するため与えられた権限を、自らの望む形で次を迎えるために濫用している、と。


「彼女は目的を取り違えているのね」

「盲目的に次を迎えるだけではなく、今を過ごしている世界をありのまま受け入れることも実行者の役割であるはずです」


 二人が言葉を紡ぎあっているところへ、不意に正面から声と共に最後の目的と言える存在が姿を現した。


「……過去と今、そして未来に安寧をもたらすため、滞ることなく今を終えることが大切なのよ」

「パークティカ……!」


 黒灰色の礼装に身を包んだ、まだ少女と言っても良い若い女へレドはその名前を呼ぶ。


「あら、もう業歪とは呼ばないの?」

「貴女に合わせることもしないとね」

「それはありがとう。でも、すぐに終わる」


 淡々と語るが、黒衣の少女は特に何かをする様子を見せなかった。


「どうしたの? 私を消したいのではなくて」

「もちろんよ。でも、あなたの遺言くらいは聞いておきたくてね」


 パークティカの顔には笑みすら浮かんでいる。余裕と言うには足りないが追い詰められた窮屈さもない。


「遺言?」

「貴女には今どんな世界が見えているの? この崩れ行く世界の先にあるものを見れなくとも、目指すべき姿くらいは語れるはずでしょう?」


 それは難しい問いではなかった。レドはシュヴァンレードと言葉を合わせて応える。


「役割は定められることなく、少しだけの自由を大切に生きていく……」

「……祝福なき祝福に彩られた、人に恵まれた世界」


 星光を宿す銀の女の言葉を聞いた実行者は何かに納得したように頷いた。


人彩メンツィリヒファーベ、ね……」

「次の世界の名前にでもするの?」

「悪くはないわ。けれど、あなたの考えの通りにはならない」


 黒灰色に彩られた礼装は形を変えて無機質な鎧となり、その手には漆黒の剣が握られる。


「人は作り物のままで良いの。創造主によって与えられた祝福のもとに生きて死に、再び生まれ出る」

「だから、記録など不要だと言いたいの?」

「定められた役割を果たすのに過去はいらないわ。一つの役割を果たした後には約束された未来がある」


 過去に囚われた人など邪魔でしかないと実行者はあざ笑った。だから、旧き記憶(デスクス)は消えたのだともうそぶく。

 ごく単純な挑発にレドは迷いもなく応じた。過去に生きてきたすべての人のためにその言葉だけは許せないと、銀の体に光をまとわせるがその手に武器はない。


「素手で勝つつもり?」

「あなたには見えないのね。私の武器に形はないもの」

「見えないものはなんの力にもならないわよ」


 だからいつだってあなたたちは悲劇を止められない、とパークティカは彼女と彼を憐れんでみせる。形も残らない過去にすがりつき、今すら満足に生きられないと。

 しかし、シュヴァンレードは相手の傲慢さを真っ向から否定した。


「悲劇は起こる。防ぎ切ることは出来ない。だからこそ過去が必要なのだ。積み重ねなき洗浄の結果が今だと理解も出来ないのか!」

「面倒じゃない。いちいち記憶しているなんて。綺麗さっぱり洗い流してしまえば悲しみも憎しみも残らない」

「それでは喜びも楽しさも消えてしまう! 人が生きるために必要なことを洗い流すことが祝福なんて信じられない!」


 貴女は人を知らなすぎる、とレドも続ける。喜びだけで人は生きられないが悲しみなき人生も虚ろなものでしかなく、悲しいからこそ喜べる。その裏に数多くの悲しみが重ねられているからこそ尊く思える。人の心は洗い流される穢れなどではない。


「人を知らないだなんて、生まれたばかりとすら言い切れるほど若いあなたが良く言うわ。私がどれだけ多くの人間に宿ってきたと思っているの?」

「本当に自分を省みないのね。ただ心を押しつぶし、吸い尽くしてきただけでしょう?」

「人間の味なんて飽き飽きよ」


 実行者はそう言って空を見上げ、地上を押しつぶさんばかりに落ちつつある状態を満足げに受け止めた。


「次の世界が見えないでしょうシュヴァンレード? 見えないということは、次の世界にはもう何も要らないのだとあなたには考えられないのかしら?」

「……貴様はやはり業歪だ。何もない空白に一つの可能性を感じられぬほどに歪んでしまった」


 レドは光を引き出し姿勢を低く取って突撃する姿勢を整え、パークティカはゆらりと剣を構える。


「ならば、我々はこう言おう!」

「次の世界を創るのは創造主ではなく、今を生きる人々の心なのだ、と!」

「来なさい、レド! その旧き名前ごとレダという可能性を消し去り、白無はくむにすら残らぬようにしてあげる!」


 二人が動いたのは同時だった。駆け寄ってきたレドの放つ拳をかわして剣を振るうパークティカ。しかし、シュヴァンレードは太刀筋を見切り主君の体を補佐して微かに背中をひねり回避させる。


「二人揃って一人前かしら?」

「二人だけではないわ」


 ひらりと身を翻すと今度は槍を生み出し突きかかるが、黒き業歪は冷静に動きを見定め剣を振り上げ槍を払った。銀の女は動きに逆らわずそのまま柄を回転させ、槍を剣へ作り直して斬りかかるものの向かう先にいる相手は素直に後退し、態勢を立て直す。


「三人も四人もいるのかしら? けど、群れれば良いと言うわけでもないわね」

「貴女だって人を侍らせていたじゃない?」

「駒よ。手足がなければ動きにくいわ」


 言葉と体で戦う二人は互いに譲らない。


「貴方が操るのは過去の力……今という規範を遂行する私にはこういうこともできる」


 言った姿がかき消えて、気づいた時には目の前にいる黒の姿にレドは反応できず、シュヴァンレードが代わりに動かして剣撃を受け止める。

 再び姿を消したパークティカは視野の届かないギリギリの死角を突こうとするものの、それを読んでいだレドは彼に体を委ねて剣をふるい、左斜め後ろから襲いかかる刃を弾き返した。


「今という空間を操作している?」

「御名答。いかに過去を知っていても、今を凌駕する事はできない」


 実行者は攻撃を緩めない。物理的距離を操り伸縮することなど彼女には容易いことと言える。今の体は偶然見つけたとはいえ権限の行使に耐えられる程度の強度を持っていた。しかし、それでもレドとシュヴァンレードは攻撃を防ぎ続ける。今という時代の重みに屈しない。


「どうしたのパークティカ? 今は過去を超えるのではないの?」

「あなた達こそ積み重ねた過去は今に生きるのではなくて? 防ぐだけしか能がないのかしらね」


 今度は挑発に動じなかった。流れを受け止めるだけで充分で、瞬く間に今を浪費している相手に逆らう必要もないと心の中は平静を保つ。

 幾度かの攻防のあと遂に黒き剣が銀の体を捉え、右肩を貫かれたレドは持っていた剣を取り落とし剣はそのまま地に消えていた。


「良く耐えたものね。でも、そろそろ限界かしら」

「たまたまよ。一回の失敗で命を取られないのなら上出来かしらね」


 本気で殺すつもりがあるのなら今ので急所を突いていなければね、と左胸を叩き拳闘の構えを取る。


「武器も持てない腕で殴れるのかしら? それ以前に間合いに届かないでしょうけれどね」

「……まだ私の武器に気付けないのなら、あなたの負けよ」


 一歩も引かない姿勢を変えぬレドを静かに見つめてパークティカは考えた。先程からの攻撃を受けている間から敵に経験が蓄積されていくのは彼女にも理解できており、それを見越して剣筋を変えた結果見事一撃を入れられたものの、それで相手が終わるはずもない。

 これまでもレドは自分の予測を超えてきている。ナヴィードを殺したあと刑死を待つだけだった彼女は星光に導かれて命を永らえ、増え続けるだけの過去に押しつぶされずそれを使いこなし、単なる記録者に過ぎない星光の権限を矛盾すること無く拡張することすら成し遂げつつあった。

 今の自分とシュヴァンレードは同等。そう考えるパークティカは仕上げの一撃をを見舞うために呼吸を測る。

 狙いは喉。銀の厚みで防げる箇所ではなく、人であるレドの命を奪うに足りた。お互いの呼吸が合う刹那に空間を渡り剣を真横に払う。


「これで……さようならよ!」

「……お土産を忘れているわ」


 剣が届く前にレドは拳を突いていた。そしてそれはパークティカの予想と異なり体に届き、小さく左肩を貫く。慌てて後退し相手をよく観察する。


「なっ……!」

「ようやく見えたかしらね……私の武器の一つが」


 語ったその拳には針のような短剣が握られていて、思いを託した二人の少年が交わした絆の証は確かに運命を変える一撃を与えていた。


「銀の武器ですらない、この程度の傷に!」

「銀が私の全てではない!」


 レドは反撃に転じ相手が空間を渡ることを承知の上で突進していく。


「馬鹿にするな!」


 パークティカは迷わず彼女の背後を取るが、渡った先に先読みで銀の円盤が飛んできて防ぎきれずに右腕を切り裂かれる。


「くっ……!」

「貴女の今はもう終わりなの!? これ以上は変われないの!?」

「……もう勝ったつもり? 終われる訳がないでしょうが!」


 大きく咆えると、空間を歪めて前後左右上下の全てに剣を振るう。いかに過去を積み重ねようと防げるわけがない。彼が語っていたように悲劇は起きるはずだった。


「シュヴァンレード!」

「無駄よ!」


 レドは前と左右の攻撃を生み出した盾で防ぎ、飛び上がりつつ剣を剣で受け止め、身を翻して鉄の円盤を投げ置く。しかし、真下から現れた斬撃への対応はない。銀で覆われた脛を黒き刃は容易く切り裂きレドは膝をついた。


「手こずらせてくれたじゃない。過去も馬鹿に出来ないかしらね? だけど動けないし円盤も扱えない。さっきの針は見切ってる。今度こそ終わりよ」

「……過去は無駄にはならなかったわ」

「そうね。だけど結局は今に塗りつぶされる」


 再び空間を歪ませて全方向からの斬撃を放つ。もう別れの言葉も必要ない。無言のままとどめの攻撃をぶつけようとする。レドは俯いたまま、パークティカに言葉を届けた。



 終わりなどではないことを。



「……罠に掛かった獲物を逃がすな」



 他に現れた虚像には目もくれず、怪我を無視して真上に現れた黒い姿に槍を突き入れる。頼れる妹のように真っ直ぐな一撃は正確にパークティカの右胸を貫いていた。



「嘘……でしょう?」


 パークティカは剣を取りとしながらも胸に刺さった槍を強引に引き抜き、空間を渡って大きく後ろに下がる。借り物の体が血を流し力が抜けていくのを文字通り痛感した。


「嘘はないわ……あなたが与えた傷も嘘などではないもの」


 レドは立っていられずに再び膝をつく。逃げ道を塞いだ攻撃をかわし切れないのはすぐに分かった。故にどこかを犠牲にして受けて囮とし、誘って反撃を狙うことに決める。一番かわしにくい真下からの攻撃に脚を切り落とされないことだけを意識して痛みに耐え、再度同じ攻撃を仕掛けてきた相手にもっとも攻撃しやすい位置へ突きを繰り出した。


「仮に真上の攻撃を外していたらどうしていたの?」

「あなたの勝ちだったわ。私は怒られに行っていたまでのことよ」


 死ぬのを覚悟で攻撃を仕掛けるなんぞらしくねえだろって彼女にね、とレドは笑う。エグザトスでの決闘の際、デスクスが取った行動を叱った自分の浅はかさに今更ながら笑いがこみ上げるのを抑えきれない。シュヴァンレードも考えに同調して笑って見せる。

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