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第六十話 決着

 黒き業歪は呆れてものも言えなかった。無駄に過去を積み重ね背負い続けてきた女の、あまりにも能天気な態度に。


「戦いの最中に昔を思い出して笑うのあなた達は?」

「過去とはそういうものよ。今を生きるために寄り添ってくれる、勇気の源」


 あなただって昔に支えられているじゃない、と指摘する。過去を引きずり続けた挙句に滅んだ過去を儚み、同じ思いをしたくないと今を生きているのだと。


 辛いから楽しくありたい。哀しいから喜びたい。過去より良い今を作りたい。


 自分たちと何も変わらない。


 それを聞いているうちに黒き業歪は無駄に力を入れていた体を緩めて息を吐く。おかしな意地を張っていた心が落ち着きを取り戻し、まとっていた鎧を解くと微弱になった権限で胸の傷をいやす。もう代わりの体はいらないと、残った力の全てを注ぎ込み巨大な剣を作り構えた。

 レドも脚に持てる全ての光を集中し、鋼の円盤を拾って立ち上がる。致命傷でないとはいえ相当に深い傷であり、シュヴァンレードの力をもってしても普通よりましな程度にしか動けない。しかし、彼女の知る人間はこんな状況でも自分を捨ててはいなかった。


「……あの谷底で、彼は何を考えていたのかしらシュヴァンレード?」

「勝っても負けても悔いなどない。望んだ自由はきっと手に届く、と」


 銀の女の問いに、あの時にあった星光としてシュヴァンレードは答える。当然ダンには生きていて欲しかったが、今ならば彼の思いも理解できた。勝ったら生きる自由を、負ければ心の自由を得られる。どちらの道が見えようとも彼はそれを楽しく生きようとしていたのだ。決してわざと負けたわけではない。

 やりとりを聞いていた実行者は吐息交じりに小さく笑った。


「ちょっと安心したわ。勝ちを譲られていたなんて言われたらどうしようかと思った」

「こちらこそ安心しているよ。あの分岐点には余計な細工など入ってはいなかったのだと」

「……私たちは踊らされてなどいない。自らの意思で世界を生み出し踊り合い、物語を紡いでいる」


 それ以後、しばらく言葉は途絶える。レドは円盤と針剣を、パークティカは大剣をそれぞれ構えたまま相手を見据えて動かない。その間、空は動かず大地も崩れず風は絶望を運ばない奇妙な程の静寂が訪れていた。



 低くなった空に見える太陽が昇り切り南中に達した時、パークティカが先手を取る。剣を持ち上げて空間を砕きながら懸命に走り、今を喰らいつくしながら倒すべき相手に突進していった。過去を何度も洗い流して捨ててきた女はそれまでの過ちを全て受け入れて、ただ渾身の一撃を敵に叩き込むために与えられた全てを使い切ろうとする。

 レドもまた駆けだした。純白であった記憶は傷だらけの過去に埋め尽くされて限界が近づいているものの哀しみはない。むしろ、ようやく生まれたてであった自分という人間が、歴史をその身に刻み続けてきた全ての仲間たちに少しでも近づけたことを誇らしく思っている。

 武器を交える最後の時に二人の意思は重なり合った。



 過去から繋がる現在を未来へと繋げるために、目の前の相手を超える。



「死という祝福を!」

「歪みを正す優しさを!」



 真横から力づくで全てを薙ぎ倒してくる破壊の化身に、レドは針剣を打ち込み微かに勢いを殺したものの、防ぎきれるはずもなく体を完全に二つに断たれ無残に地面に墜ちていく。

 しかし、わずかに得られた時間に投じられた円盤は、守りを失っていたパークティカの首筋を正確に裂き彼女もまた悲鳴すら上げられずに倒れていった。


 二人の女の意思の激突を、シュヴァンレードは静かに見届けている。


「過去から今へ、今から過去へ……二つは分かり合えずに交わり合い、未来へと旅立つのか……」


 そんな記録を残したくはない。しかし、レドという持ち主を失った彼もまたその役割を終えようとしていた。いくら意識を保とうとしても遠ざかっていくばかりである。


 その間にも、彼の中に恵みの地の終わりの光景が次々と刻まれていった。



 ドゥーリッドとエグザトスの境。

 

(レド……君も……もう……)


 ラルフレートは血まみれで地に倒れ伏したまま、かすかに残った意識で着ていた銀の衣が消えていくのを感じ取る。グルーを打ち取ったものの、狂乱したままのハウゼッツ兵を止められず恐慌状態に陥った兵士たちが次々に逃亡し始めてしまい、自身を含む残存部隊でどうにか敵を抑え切ろうとしたが防ぎきれず、本陣まで到達されて全滅させられてしまった。

 唯一の救いは相手も戦力をほぼ喪失しエグザトスへの影響は最小限で済みそうだと思えることだった。幼き日から自分を慕い続けてくれた女性だけでも守れたのならば思い残すことも無い。


(すまない、リュービス……私は……君を……これ以上守ってやれない……)


 倒れ伏した地面が大きく揺れるのを感じながら、彼の意識は消えていく。



 ラルフレートの想いとは裏腹に、エグザトスの城では天地の異変に耐えきれなくなった民衆が暴動を起こし、城を制圧していた。


「……けっ、ニスタの商人風情が……いい気味だぜ!」


 棍棒を携えた暴徒の一人が頭を割られて倒れているネビクに吐き捨てる。民を守りきれない侯家など不要であり、侯家に仕えるものもまた不要だというのが彼らの理屈であった。そこに別の部屋に回っていた短剣持ちの男が駆け寄ってくる。


「おお、やったな!」

「お前の方は?」

「ああ、参議首座と護衛のジジイをやっつけてやったぜ」


 そう言うと下卑た笑いを浮かべる。


「あの女、てっきり使い古しと思ったがよ」

「……んなことよりちゃんと殺しただろうな?」

「心配すんなって……あとはお宝を失敬してさっさとここから……」


 言葉は最後まで語られなかった。落ちてきた空の圧迫に耐えきれなくなった大地が崩れでいき、エグザトスの城も崩壊に巻き込まれて消えていく。



 地震は各地でも連鎖的に発生し、特に業歪の影響を強く受けたエスジータ、ケイニア、ニスタ、ソルベイユ、ドゥーリッドの各地域はあらゆるものが地割れに巻き込まれて消えていった。ケイニアに残ることを選んだマトヤやドールたちも仲間たちの無事を祈りながら地の底へ落ちていく。



 イヴネムの森の中。


「……」

「……そうか、よく頑張ってくれたユーデ。我が陣でゆっくり休んでくれ」


 アルジェナイトは瀕死の状態で伝令の役割を果たしたユーデの骸に祈りを捧げると、その場に残された人々に告げた。


「……我が父アークトとイヴネム侯ブレッカ様はともに討死し、二体の鉄巨人はこちらに向けて近づいているという」


 わずかに悲鳴が上がるが、大半の人々は覚悟を決めたようにそれを受け入れる。彼らにももうどこにも逃げ道はないことが分かっていた。東にあった山が崩れて土石流が発生し、無尽の崖側から大地が割れてイヴネム城方面への退路も断たれている。そして、何よりも滅びが目の前に迫っているのを感じさせる出来事が既に起きていた。


「……」

「アルジェナイト様……セキトは、もう……」

「大丈夫だよ、エーフェ。私は……時を悔やまない」


 視線の先には一本の低木があった。そこに居たはずのセキトとセノは二人揃っていたことで逆に呪いの進行が相乗したのか少し前に眠ったまま動かなくなり、やがて一本の木となってしまった。エーフェが泣きながらセキトの名を呼ぶ中で、アルジェナイトは涙を流すことなく前を向きどうするべきかを考え続け、ユーデの最後の報告を受けたことでそれは形となる。


「私はこれより父達の遺志を継ぎ、ここに迫りくるであろう鉄巨人との戦いにおもむく……皆はここに残り救援を待っていてほしい」

「それは、命令かい? ……それともお願いかい?」

「サアメ、何かあるのかな?」


 悲壮な顔を隠せない若き侯、いや無理をしている子供に母親は注意を怠らない。


「命令ならあんたみたいな子供の命令なんか聞きたくないし、お願いなら頼み方がおかしいってこと」

「頼み方?」

「そういうときは『残りたい者は』とか付けなさいということさ……大人に恥をかかすんじゃないよ」


 そう言ってニカッと笑い、アルジェナイトに歩み寄った。


「サアメ……」

「今更残って何になるんだい? 助けを求めに行ったフルッケも帰ってこない……なら私たちも前に進むしかないじゃないか」

「そうだよ! 私もこのままここで黙っていたくない! 生きるために出来ることをしたいの!」


 母子の言葉に周囲の人々も次々と連れて行って欲しいと訴える。座して死を待つよりも生きるために巨人と戦うべきだと心を一つにしていた。アルジェナイトは改めて顔を引き締める。涙はもう見せない。


「行くぞみんな! 生きるために力を合わせるんだ!」


 それぞれが持てる武器を携えて巨人へと向かっていった。身分など関係ない。生きることをあきらめないために前へと進む。

 結果として人々は誰一人帰っては来なかったが鉄巨人もまたそこへ辿り着くことはなかった。呪いを防ぎきれずに植物や無機物へと昇華された人々は誰にもその眠りを妨げられることなく、静かに地に飲まれていく。そんな中でセキトとセノの木だけは最後まで地に残ろうとそびえていたが、最後には同じ運命を辿っていった。

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