第五十八話 意志
エグザトスの劇場では緊急の辻評会が開かれており、全ての代言人の連名で即時の戦闘中止と領民の保護を求める動議が提出され、参議首座のリュービスは殺気立つ代言人たちに冷静に反論する。
「落ち着いてください。ハウゼッツ軍を止めなければより悲惨なことになりかねません」
「ハウゼッツ軍を穏便な交渉で引き上げさせるのがあんた達の仕事ではないのかね!?」
「ハウゼッツは城を捨て、ソルベイユとドゥーリッドを蹂躙して我が領内に攻め入ろうとしているのです。交渉で解決できるのならとうにしています」
交渉とは相手が応じてこそ成り立つものです、と鋼の意志で理解を求めるもののそれだけでは誰も納得しないことをリュービス自身も重々理解していた。しかしハウゼッツ軍は既に主君ともども歪められており、話が通じる余地もないなどと話してしまっては混乱を助長するだけである。
時間を大幅に超過した議論の末に、戦闘中止は無理でも領民の保護には全力を尽くすと確約してどうにか終わらせ、疲れ果てた表情で喫茶室に入った彼女をネビクがねぎらった。
「お疲れ様です。状況に惑わされている民たちへわかりやすく事態を説明するのも大変でしょう」
「いえ、こういう時のために参議首座となったのですし、違う場所異なる形で戦っている仲間たちもいるんです」
エグザトスの留守を預かる私が戦う前から諦めてはいられません、と無理に笑顔を作って見せるものの、仮眠を取るように勧められた彼女はあっという間に深い眠りに落ちていく。彼は黙ったまま廊下に出て、見張りを頼んでいた鋭い目つきの老人に話しかけた。
「トゥーム殿、ご苦労様です」
「ネビク様、状況は思わしくないようですな」
「ええ、リュービスに負担をかけすぎています。かといって私が単純に表へ出るわけにもいかない」
ネビクは苦虫を嚙み潰したような表情を隠さない。彼が相談役として城内にいることは一応周知されているものの、外様であり異変の直前から仕え始めた彼が出ても原因として吊し上げられるだけに終わってしまう。留守を任されていながら日陰から献策を行うことしか出来ないのがもどかしかった。
「本来ならばゆっくりと友人の死を受け止めさせてやりたいのですがね」
「……デスクスはよく頑張りました。我々こそあの子の死に責任を持たねばなりません」
二人は数日前に聞こえてきた声を思い起こす。
「この世界を作った創造主はどんな無能なのでしょうな。闇雲に世界を作り替えるばかりで、その先が見えていないとは」
「だからこそですよ……形ばかり気にするから今あるものを見ていない」
「レド様には……全てが見えているのでしょうか?」
問いかけにトゥームは無言で背を向け、街の視察に出て行った。答えが出るまでに時間はかからないだろうと思いながら。
ケイニア城下の酒場には人だかりができていた。無尽の崖が崩れ始め、絶望した群衆が酒を求めて殺到している。
しかし、店主のドールはそんな輩に大声で喝を入れていた。
「死ぬのが怖くて酒を飲みたいのならよそへ行きやがれ! ウチは死人の予備軍相手に商売はしねえんだよ!」
ランブルックの前からあちこちで旧き記憶の伝手として活動していた彼は、商売柄というべきか独特の感性によって生きたいやつと死にたいやつの顔を見分けていた。生きたいやつほど無茶な大酒はしない。無理酔いをするのは自棄になるやつと相場が決まっている。店の前に群がるのはどいつもこいつも死にたそうな顔をしている奴ばかりで、酒のせいにしなければ死ねないのかと彼は本気で憤っていた。
店の前の集団を全て追い払ったドールか一息ついていると、マトヤが従者も連れずに暖簾をくぐってくる。
「お疲れだなドール」
「もっと早くに来やがれ守護役。あれじゃ商売にならねえよ」
「この状況で己の主義を貫くお前を褒めに来ただけだ」
そう言いつつ、カザリの用意した清酒を一息で飲み干した彼女はドールと視線を合わせる。
「あんたは良い面構えしてるな」
「ああ、これでは死ねない。あの悲しみを感じたあとでは、な」
「姉様……やはり……」
途切れ途切れに言葉を続けようとした妹を姉は止める。視線の先にいるアトリの姿からは普段の賑やかさはすっかり影を潜め、憔悴した彼女は占いをする気力すら失っていた。
「……お前たちはここに残るのだな?」
「死ぬのならば夫の残したこの店と共にです。姉様、私のわがままをお許しください」
「まあ、なんだ。死にたいやつに酒はくれてやらねえが、生きたいやつを励ますために酒はいるからな」
カザリとドールの意思を確認したマトヤは小さく頷くと、そっとアトリに歩み寄った。
「一つ占ってくれ。我々はまたレドとデスクスに逢うことはできるのか?」
「……逢える、わ。全然当てにならないけど、そう出てる」
「ならそれを信じて今は休んでろ。その占いが我々の支えだ」
彼女はそう言うとお代はいいと断る妹に構わず銀貨を託して、留守を任されている城へと戻っていく。マトヤは悲しみが届いた後でもまた二人に逢えることを根拠もなく確信していたが、見上げた空はまた少し下がってきていた。
頻発する地震によりあちこちが崩壊しつつあるウィゼの城にリアリスが駆け込んだとき、領主のラークゼットは一人の老人と共にくつろいでいた。
「ラークゼット様……それに……!」
「リアリス様か。いつぞやは世話になりましたな」
「デュナス様はリアリス殿に御用がお有りでしてね」
旧ドゥーリッド侯、デュナス・ファダ・ドゥーリッドは以前よりもさらに弱々しくなった姿でリアリスに微笑む。退位までは剛毅な人となりで知られた老人はその面影をすっかり失くしていた。
「お話は後です。このままここにいるのは危険ですから、ひとまずエグザトスへ……」
「いや、儂はもう充分長く生きた。そろそろ娘のところへ旅立たねばな」
「そのような弱気は似合いませんわ」
今更過去の事件を持ち出すつもりはない。姉もデュナスのことはいつも気にかけており、ケイニアから旅立つ際にも機会があるのならばお詫びをしてほしいと頼まれていた。
ラークゼットは彼女の様子を苦し気に微笑みながらたしなめる。
「……リアリス殿、あなたこそすぐにここを離れた方が良い。ウィゼやニスタの民もあなたの尽力でエグザトスに逃れられたようだ」
「お二人を見捨てては逃げられません! 姉もそんなことを望んではいないはずです!」
「いや、レダをレダでいられなくしたのは儂の責任だ。そろそろ……儂にも償いをさせてはくれまいか」
老人は疲れ切った表情を彼女の妹へ向ける。悲しみは彼の下にも微かに届いていて、死という贖罪を今の彼女が受け入れるはずもないのも承知しているが、彼は既に生きる力を全て使い切っていた。
ただ、ひとつだけ伝えそびれていたことを心残りにしており、ラークゼットを介し激務のさなかにあったリアリスを招いて欲しいと申し出ていたのである。
「娘をないがしろにしたナヴィードが憎かった。ナヴィードを奪ったレダも憎かった。しかし、憎しみの末に起こったのは結局より大きな悲劇でしかなかった……」
「デュナス様……」
「今でも二人を許すつもりはない。だが儂の憎しみが二人だけに留まらず、恵みの地全てに業歪を招いたことだけは、詫びねば気が済まぬのだよ……」
老人は言い終えると大きく息を吐きだしそれ以降何も言おうとせず、ラークゼットは真顔で再びリアリスに退避を促す。
「ラークゼット様は……!」
「放っておいてくれ。優柔不断で同盟の分裂を早めただけの無能は処断せねばなるまい……ようやくあの娘の声が聞こえるようになったのだ」
デュナス様を最後までお守りするのは私一人で充分だ、と突き放す彼にリアリスは説得を諦め退出しようとするが、不意に部屋の外にいた衛兵が剣を抜いて襲いかかってきた。辛うじて反応が追い付いたリアリスが自分の剣で斬撃を受け止め、それを見ていたラークゼットは声を荒げて兵士を叱責する。
「馬鹿者! 何をしているのかお前たちは!?」
「わ、我々……我々は災いの源を断ちたいだけだ! じゃ……邪魔をするのならば容赦はしない……悪霊憑きども!」
「……愚か者」
うつむき気味だったデュナスは顔を上げるなり手にしていたコップを無造作に投げつけて気を引き、その隙に抜刀したラークゼットが駆け寄り兵士を切り捨てた。
「リアリス殿、もはや猶予はない。急いで城から出よ!」
「馬鹿者、お主も行かんかラークゼット! そなたが死んだら誰がウィゼを守るというのだ!」
「デュナス様……!」
「行くのだリアリス、そしてラークゼット! 最後の最後まで侯としての責務を果たせ!」
その言葉を背に二人は駆け出す。既に反乱は城内のあちこちで湧き上がり領主であるラークゼットにも手が付けられない有様だった。数少ない味方の兵を取りまとめた彼の支援もあってリアリスは辛うじて城を脱出し、馬に乗ってエグザトスへと駆けだした。
遠くにいるはずの姉の悲しみを誰よりも強く感じていたリアリスは、自分の限界を超えて働き続けている。かつて自分のことで姉が悲しんでいたときも同じような気持ちだったに違いない。
親を同じくする姉妹なのだから。
「私は諦めない! 生きて姉さんに会うまで絶対に死なないから!」
リアリスは声の限りを尽くして叫んでいた。
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