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美しき人

「やば」


 という声は私のすぐ背中に居た菜生のものだ。

 口をついて出たという声が何を指し示しているかは、誰もが感じ取ったと思う。


「突然のお招きとなり申し訳ございません。私はここエグラント王国の騎士、レイ・タウンゼントと申します。遥か異世界から世界に喚び出されてしまった皆様を我が国で保護、監督し、元の世界へと無事に送還することを陛下より命じられております」


 呆気にとられる、美しさ。

 身長は啓輔君と同じくらいだけど、すらりと四肢の伸びた細見の身体だけれど姿勢の良さから力強さも感じる。照明の下にきらきらと輝く光沢のある白っぽい髪を伸ばして後ろに少し縛っていてもさらさらしているのが分かる。


 じっと見ていたせいで目が合ったときのにこやかな笑顔に、思わず目を逸らしてしまう。


 ……彼は何て言ってただろう。え、元の世界に?


「ここはあなた方が半日を過ごしたかの国、ネデルランとは国境も接していません。あなた方を留める目的も異なりますのでどうかご安心いただきたいと思います。必ず無事に、あなた方を元の世界へお帰しすることが私共エグラントの目的です」


 私たちが聞き逃していると思ったのだろうか。

 元の世界に帰すと、彼は改めて言葉にしてくれた。


 ただ、それでも聞こえる声はどこまでも甘く、優しく。女の子たちが声を抑えながらもテンションを上げてヤバいヤバいと言い始めた。

 再び彼の方を見やれば、自分たちのことを困った子を見るように微笑んでいる。

 その造形はアニメやゲームの世界から出てきたようなのに自然に佇んでいて、この世界はこんな人が存在する世界なのかと感心してしまうほどだ。


「あの」


 最初の問いかけは、遼君の声だった。

 ずっとにこやかな目をもう少し細めた彼……レイさんはその問いかけを促した。


「日本語、っすよね。ずっと」

「あ」

「ほんとじゃん!」

「え、なんで?」


 言われてみればそうだった。

 この世界には翻訳の魔法があるそうで、そのおかげで向こうの国の人たちの話も理解できていたけれど、聞こえていた音はずっと何を言っているのか理解のできない言語だった。

 だけれど今、レイさんの声は流暢過ぎる日本語を話している。


「はい。私はこのエグラントで生まれた転生者ですので」

「転生……」

「前世の記憶があるってことですか?」

「その通りです。あなた方と同じ町、ナガクラで生まれ、育ち、そして死んだのでしょう。尤も、前世の記憶は最初から曖昧なものだったので、確証も持てませんが」

「そういうのも、あるんすね」

「ええ。魔法もある世界ですので」


 丁寧に説明をしてくれた彼が左手をひらりと振ると、ふわりと何かが浮かび上がっていた。

 芝居がかっていることに気が付くのが遅れるくらい、一つ一つの動きが様になっている。


「さて、あちらで国に渡していた荷物はこちらのスマートフォンと、単語帳と、ボールペン、それから制服で全てでしょうか。それぞれのお部屋でお忘れ物も拾いましたので、お心当たりのある方は前へどうぞ」


 向こうで参考にしたいと回収された分の荷物だ。渡していた元の持ち主たちが前へ出て行って、自分のものかどうか確認している。

 レイと名乗った彼は部屋の中に落とした細いアメピンまで見つけくれていたらしく、私を含めた何人かが自分のものではないかちょっと目を細めたけれど、彼はその様子を見ると誰の部屋にあったかまで教えてくれる。


「これ、どうやって浮いてるんですか?」

「細い糸のようなものを巻き付けているのですよ」

「へえ……」

「念動力のようなこともできますが、それだとコスパも悪いので」


 ボールペンの持ち主だった渡辺君がレイさんの言葉を聞いて興味深そうに周りの空間に手を動かしてそのタネを見つける。

 彼は魔法の無い世界の人間の行動を笑って受け入れていた。

 興味があるのは彼だけではなくて、好奇心旺盛な男子たちの目線が釘付けになっている。上から吊るすのではなく、下から立てていたらしい糸がどんなものか気になった。


 隣から姫花の小さな声が私へ向けられた。


「さっきのはなんだったんだろう」

「さっき?」

「座ったやつ」

「んー、見えない、板みたいな?」


 私たちが転移してきたときに座らせてもらっていて、立ち上がるといつの間にか無くなっていた椅子は糸とはまた違ったわけで、色々な魔法があるのだと理解する。理解するけれど、そのタネがなんなのかは今の私はどうでもよかった。


「今はもう夜も遅いですからまた明日以降。好きなだけお見せしますよ」


 荷物が回収されたのを確認したレイさんは私たち全員を見回して切り出す。


「ただ、皆さまの安眠のためにもいくつかの質疑応答を。挙手制でお願いします」


 最後まで笑みを湛えるレイさんへの質問には皆が次々と手を挙げる。私も迷わなかった。


 その美しさに面食らい、彼のペースに乗せられてしまっていたけれど、聞きたいことは私も皆も山ほど抱えていたようだ。



 ****



 レイさんの話を纏めればこの世界でのちょうど九十日後に私たちは元の世界の二秒後の教室に帰れるらしく、それまで今いる屋敷とその近辺で過ごしてほしいとのことだった。


 軟禁状態になるが部屋も、食事も、お風呂もこの世界に可能な最上級を提供するし、それから自習室も前世の記憶を基に可能な限り調えてくれることを約束してくれている。気晴らしに外出の許可を得られるよう交渉していくとも請け負ってくれたのだから心強い。


 ただ、どうしてここまで素早く受け入れる準備が整えられているかという啓輔君の質問に対しては人差し指を口元に立てられて、色々と目を光らせているのですよと誤魔化されてしまう。きっとこの世界にも諜報機関などが存在するのだろう。


 あと、レイさんはこの夏に十七歳になったばかりの既婚者だそうだ。

 最後の方、テンションの上がった菜生たちの「彼女は居るのか」という悪ふざけの入った質問にもちゃんと答えてくれたのだ。この世界でも左手の薬指に付けるという結婚指輪を、嵌めていた手袋を外して見せてくれた。

 その落ち着いた物腰と佇まいに十八歳になる歳の私たちより年下だとは誰も思っていなかったし、その上で既婚者だと言うので答えられ度に「ええ!?」と私も周りも声を上げていた。

 奥さんが二人も居ると聞かされた時には、そういえば異世界に来たんだったんだと実感させられてみんな真顔だった。


 さて、絨毯の敷かれた暖かな廊下を歩きながら、菜生は先導してくれる女性へ声を掛ける。


「シャーロットさんはおいくつなんですか?」


 私たちの一通りの質問に答えた後にレイさんが呼んだのは、シャーロットさんという波打つブロンドの髪を伸ばして薄緑のドレスを纏ったこれまた嫉妬もできないほど綺麗な女性だった。

 レイさんが言うにはこの館を所有する貴族家のお姫様だそうで、伯爵令嬢という立場にあるそうだ。


 今はレイさんが男子たちを引率し、シャーロットさんが私たちを今日から泊まる部屋まで案内してくれている。


「わたくしは十六歳です。冬生まれですから、今年で十七になりますが」

「ええ!?」

「うふふふ。レイとは学友でしたの。わたくしが皆さまのお世話を任されたのも、レイの誼によるものです」


 小柄であるけれどお姫様と言われて納得する他ない気品溢れる立ち居振る舞いを見せる彼女がやっぱり年下だとは思えなくて、またもやみんなで仰天の声を上げてしまう。


「ええ、ですからどうか、わたくしにもご遠慮なさらず様々申し付けてくださいませ。世界を隔ててしまえば、身分の差など小さなものでしょう?」


 とても丁寧な言葉遣いでにこりと笑う彼女の話が本音なのかどうか分からないけれど、私たちに対して胸襟を開いてくれているのは確かに思えてほっとした。

 向こうの国では剣を携えた男の人たちに囲まれていたのが怖かったのだと、今ようやく気付いた。


「それにしても綺麗な建物ですね」

「ここは当家へいらっしゃる皆さまを歓迎するための迎賓館です。皆様もお好きに使ってくださいませ。きっと不便はさせません。レイも随分準備に気を配っていましたから」

「え、VIP待遇?」

「急に旅行に来ちゃったみたいだね」


 一応は女子の級長として先頭を歩く私は、間を持たせるための質問をシャーロット様に重ねていく。

 後ろでは菜生と姫花が相槌を打ってくれている。


 私たちが過ごすらしいこの建物はついさっきまで押し込められていた、ちょっとおんぼろな建物とは全く違う。廊下にもふかふかの絨毯が敷かれていて、魔法の道具らしい明かりが煌々と照らしている。


「さて、この先が皆さまのお部屋となっております」


 一つ階段を上ると、左右にドアが付いたフロアで、そこが宿泊部屋であることがよくわかった。


「わ、メイドさん」


 菜生が言うのは手前と奥に配置されて、私たちの姿を見ると丁寧に頭を下げる女性たちのこと。

 格好は確かにクラシカルなメイド服、という風だった。


 それから今は顔がよく見えないけれど多分、彼女らもとても美人だ。スタイルの良さも分かる。

 レイさんといい彼女らと言い、この国は一体どうなっているのだろう。

 あちらの人たちは髪の色こそ派手で驚いたけれど、それでもヨーロッパ系だなって思うくらいだったのに。


「まずは一人一部屋をご用意させていただきましたが、相部屋をご所望の方にはそのとおり調えさせていただきます。今日からいつでも、彼女らに申し付けてくださいませ。リーナ、任せますわ」

「はい、心得ております」


 にこりと笑ってシャーロットさんはメイドさんを手で指し示す。

 それから手前で頭を下げていたピンクの髪の女性に柔らかく声を掛けた彼女が、ではまた明日にと優雅に階段を下りていく。


 顔を上げたメイドさんはやっぱりとっても綺麗だった。

 身長が170㎝ちょっとあるだろうか。

 私たちを見下ろしながら、やはり柔らかく笑みを見せてくれるオレンジの瞳が印象的だった。


「リーナと申します。今日から皆様が元の世界にお戻りになるまで、担当の一人として働かせていただきます。小さなご不満でも何なりとお申し付けくださいませ」

「お願いします」


 ぞろぞろと頭を下げ返す私たちが頭を上げるのを待った彼女はどこも仕様は同じだから好きな部屋を使って欲しいと言ってくれた。

 みんなで輪になって、適当な順番で部屋に入ることで同意する。

 お手洗いの位置を聞いたらフロアの両端に用意されていると言われたから、何人かはそれで手前の方がいいかなと言いだして、意見のない者は私を含めて彼女らに譲る。あとは何となく仲良しグループが固まっている。


 向こうの宿では一階まで下りて行かなければならなかったのに比べればなんでもない距離だ。私や姫花たちは真ん中の方に位置取り、それぞれに自室のドアを開けた。


 部屋中を照らす明るいランタンの吊られたワンルームは十分すぎるほどに広くて、ベッドも分厚くて、廊下と変わらぬ絨毯に、空調は見当たらなかったけれどほどよく暖かかった。


 寝入る時間にあちらの国から連れてこられたから、時間はもう深夜になっている。

 明日はそのことも考慮して、正午に食堂へ集合して改めての説明を行うということだった。

 私たちが最初に集められた場所が食堂だったらしく、私たちは道順を覚えながらここまで歩いてきた。


 試しにベッドに入ってみるとその心地よさに自分の緊張が解けていくのが分かって、本当にすぐに眠りに落ちていた。



 ****



 とはいえ正午まで眠っているわけにはいかず、どこかで目が覚めた。

 設置されていた時計を見ると、時間は朝九時三十分。

 電気はなさそうなのにアラビア数字のデジタル時計もあるのは変な世界だなと思う。誰かが発明したんだろうか。


 時間まで何をしようかと思って受験生の私は英単語帳を真っ先に頭に思い浮かべたが、残念ながら今の私には持ち合わせがない。


 こうして落ち着いてみると落ち着かなくなることに、異世界に来ても自分は受験生であると自覚させられる。大事な共通テストまではもう三か月が迫るところだったのである。

 二秒後の世界に戻れるとは言われたけれど、九十日もあれば全部抜け落ちてしまいそうで不安になってしまう。

 みんなが持ち込めた単語帳や参考書をどこまで共有できるだろうか。内藤君のバッグの中にあった問題集はきっと人気するはずだ。書き写したり、みんなで授業したりできたらいいけれど。


 ただ、そんなことを考えていても十分ほどしか間が持たないので部屋の中を漁る。

 部屋の中にはお手洗いもシャワーもないけれど洗面台と鏡に、ちゃんとした櫛を置いてくれていた。タオルは向こうの世界のに比べると吸水性は低そうだったが、それでも使っていて肌が荒れるということはないだろう。あちらの国で貰ったものはほぼ植物じゃないかと思うような質だった。


 顔を洗って、櫛で髪を整えてから、物色している間に用意されていることに気が付いた着替えを身に纏う。

 緑のゆったりとしたチュニックのような上着に、腰ひもの縛れるちょっとだけ丈の長いズボンは裾を折ればサイズも問題が無い。


 ……履きやすい下着までちゃんと用意されている心配りがとてもありがたい。


 菜生か姫花が起きていたら部屋を訪ねようかなと思って外に出ると、昨日とは別のメイドさんが頭を下げてくれて、それから奥の方から笑い声が聞こえた。

 部屋は防音もとてもしっかりしているみたいだ。


 聞こえてくる声から推測すると、凪沙と梨乃、それから菜生が談話室らしき部屋に居るらしい。

 覗いてみるとまた別のメイドさんがお茶とマフィンのようなお茶菓子を用意する手を止めて、頭を下げてくれる。その様子が視界に入った菜生が入口の方に視線を動かして私を見つける。


「あ、咲良! おっはよー!」

「咲良ちゃんも着替えてる」

「おはよー、菜生。三人も」

「うぃーす」

「おかもっちゃんは変わんないね」

「あはは。普段メイクしないから」


 もう一人、梨乃と仲の良い紗香ちゃんも席に居たけれど菜生が近くの椅子を動かしてテーブルに招いてくれたので着席する。

 奥のテーブルに居た他のクラスメイト達にもおはようと挨拶をした。みんな結構早くに起きていたみたいだ。


「咲良いつ起きたの?」

「一時間くらい前かな、多分」

「呼びに行きゃよかった」

「部屋すごい静かだよね」

「超思った。防音」


 菜生はいつも明るくて、周りも見えていて、女子が三分の二を占める文系クラスの中にあってまったく敵がいない。

 一年生からずっと同じクラスだから私と一緒に居る時間が長いが、誰と同じテーブルに居ても驚くことは無い。


 そんな菜生が昨日の夜、あちらの部屋の中ではずいぶん取り乱していたのだ。

 今は能天気じゃないかなと思うぐらいのからっとした声だけど、笑ってくれているのが何よりで胸がいっぱいになる。


 私が席に着いたのを見て、部屋に二人居たメイドさんの一人がお茶とお茶菓子を運んできてくれる。

 自分で思っていたよりお腹が空いていたらしく、香りにそそられる。


「こちらをどうぞ」

「わあ、ありがとうございます」


 メイドさんはこれまた美人さんだ。

 一体何人の綺麗なメイドさんがこの屋敷で働いてくれるのだろうか。


「めっちゃ美味しいよ」

「ほんと?」

「普通に百貨店の味」

「わ、ほんとだ。おいし」


 お茶菓子のマフィンは朝ごはんの代わりにはちょうどいい重さで、紅茶らしいお茶のさわやかさとも相性がいい。

 昨日は姫花が旅行に来たみたいだと言っていたけれど、旅行先でこんなもてなしを受けることも滅多にないんじゃなかろうか。


「三か月どうしようねって話してた」


 菜生たちはここでの生活の話をしていたらしい。

 それはそうだ。景色が一瞬で変わったからこそ意識がそちらに持って行かれているが、私たちはまだ異世界に来て二日目で、この先どうすればいいか全然分かっていない。


 ただ、頭に浮かぶ懸案事項はもう一つだけだ。


「勉強がどうなるか、かな」

「全部忘れる!」

「三か月ってヤバいよね」

「絶対ダラけそう」


 私たちは勉強が好きでも嫌いでも、一般入試でも指定校推薦でも昨日までみんな一緒に受験生をやっていた。

 その中にある三か月という期間の長さはよく分かっているつもりなので、みんなして難しい顔になる。

 一応、人生が掛かっているのだ。昨日の勝手に召喚された時の怒りには、その部分での怒りもあった。


「上手く使えたら一番なんだけどね」

「さっすがおかもっちゃん」

「ポジティブ大事だよね」


 この世界での三か月後に二秒後の世界に帰れると聞いた時、男子の誰かはそれをアニメの設定に喩えていて、修行できるじゃんだとか言っていた。

 私もそう思いたい。


 しばらくすると姫花や他の女の子たちも起きて来て、談話室に集まってきた。

 何人か自室に戻る子たちも居たけれど、私たちは時間になるまでこれからどう過ごそうか、何がしたいかという話を続けた。


 これだけ丁寧にもてなしてくれている上に帰れるという約束があれば、異世界に居るのは吝かではない。

 そんな空気が部屋の中に満ちていた。

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