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高校三年生、秋の日

 一年が経ってしまった。

 何にも自分の中で整理が付かないまま、ただ時間の波に流されるがままに一年という時だけが経ってしまった。

 短くしている方が楽なはずの髪は以前よりも伸びた。切ろうかなと思った時に必ずあいつの声を思い出してしまって、あの日より短く切ることができないままでいる。


 今は部活も終わって、受験勉強には励んでいる。

 自分の憧れの人のように目指してみたいなと思った大学には目を瞑って、それでも東京の、ちょっと西の方だけれど結構有名な大学に行けるようには頑張っている。


 勉強ばかりじゃない。あれからすぐ後にあった修学旅行も、それからの球技大会や体育大会も楽しんだし、この前は文化祭だって成功させた。

 その間ずっと、そこに居ないあいつのことを考えていたわけではない。


 なのに、何にも整理は付いていないなと思う。


 今日の朝、駅までの道を自転車に乗って向かい、道中に花を手向け、改めてそう思った。

 先にいくつか新しい花やジュースが置いてあって、それを用意してくれたのだろうみんなとも何にも話せていないことに気が付いた。


「おはよ、岡本」

「おはよう、啓輔君」


 教室に入ると、一年生の時から変わらず一本先の電車で登校している啓輔君が、今日は朝一番に話しかけてきてくれた。

 中学からの付き合いだから普段も気さくだけれど、今日の話題は一つだけ。いつもよりちょっと神妙な顔だ。


「今日、一緒に行って大丈夫?」

「それは、うん」

「リョウにももう確認してるから、時間とか」

「ありがと、啓輔君」


 彼の気遣うような微笑みをもう何度見たことか。


 あの日から今日で一年が経った。

 あのバカがこの世界から居なくなって、一年。


 今頃あいつは何にも覚えていないまま、アホ面だけを面影に残してどこかで生まれ変わったりしているのだろうか。

 傍迷惑な奴だなと、自分の勝手な想像の中の赤子に意味もなく腹を立てる。

 その赤ん坊はあんな奴じゃなくてもっと別の、啓輔君のような周りを気遣える人を前世にしている方がずっと良い生活ができるはずだ。


 ただ何と言うか、あいつは誰かから嫌われるような人間ではなかったからその点だけはその子も安心してほしいかもしれない。

 人を小馬鹿にするような態度は鼻に付いたけれどその程度。根の部分は真っ直ぐで優しいやつだったから、モテたわけじゃないけど女子からもまあまあ好評だったのだ。

 ただ、人からの好意をぞんざいにし過ぎなところだけはどうか似ないでほしい。


 朝起きて二時間くらい勉強してから登校している疲れからか、朝礼までの時間を待つ間、意味も無い思考が止まらなかった。


 八時二十九分。

 クラスの三十七人全員が教室に入った。


 直後、視界が光が満ちた。


 ……え??? 何???



 ****



 天窓のガラスから日の差す石造りの広い部屋。

 目の前の、目の怖いおじいさんの言うことにはここは異世界らしい。

 概念自体はなんとなく、小学生の時に読んだジュブナイルやあいつの読んでいたらしいライトノベルなんかの知識で理解できたけれど、それが現実になるだなんて思ってもみなかった。


 私たち三十七人全員に大きな力があるとか、一生の生活が保障されるとか、この小さな国では私たちだけが頼りだとか、そんなことを言われても納得ができるわけがない。


 私たちは見ず知らずの世界じゃなくて、私たちの生きた世界で生きることしか考えていない。考えられない。

 家族も、クラスメイト以外の友達も、目標にする大学も、また行きたいご飯屋さんやこれから行ってみたいと思っていた場所だって向こうの世界にしかないのだ。


「それで! 俺たちは帰れるんですか?」


 魔術師だというおじいさんが背中を向けた時、眉間に皺を寄せた啓輔君が叫ぶように聞いてくれたけれど、歩みを止めぬ彼からも、説明を引き継いだ騎士だという剣を持ったおじさんからも何も回答はない。


 誰も彼も状況を受け入れられなさ過ぎてパニックにさえならなかったけれど、話していたおじいさんが居なくなったことで時間だけが進んでいく感覚がした。私たちもこの部屋から出て行ったら二度と向こうの世界に戻れないんじゃないかという感覚に襲われて、どうしても足が進まなかった。


 涙が滲みそうになった時に、啓輔君に話しかける遼君の声。


「どうする?」


 普段はちょっと抜けているというか天然で、周りに弄られていることも多い彼の声は臨戦態勢というのをよく伝える鋭いものだった。いつかサッカー部の試合を見に行った時、あいつや他のチームメイトに指示を出す時も似たような声でびっくりした覚えがある。

 ここで暴れるわけではないのだろうけれど、ただ素直に言う通りにするわけにはいかないという意思が発せられている。

 誰も彼もが口々にざわつく中、身を寄せ合っていた私たちのグループ以外も彼ら二人の会話に耳を傾けていたと思う。私の後ろで足が止まっていた。


 クラスで一番頼りになるのは誰かと言われたら多分、啓輔君なのだ。中学からそういう役回りで、サッカー部でもキャプテンだった。

 今年も私と二人で級長をしているけれど、クラス全体をまとめてきたのは女子の要望にいっぱいいっぱいの私ではなく、いつも落ち着いてにこやかに振舞う彼の声だった。


 その彼もきっと混乱しているだろうに、真剣な表情で答えていた。


「ここに居ても、何も変わらないと思う」

「……だな」


 二人が歩き出すのに付いていくように、クラスの皆が歩き出す。


「大丈夫、かな」


 私の背中側から、いつにも増して震える気弱な姫花の声。

 その隣の菜生は三年間で見たことないくらい不安をありありと伝える固い表情をしていた。


「行くしかないみたい」


 どうなるか分からない。どうなるか分からないけれど、私たちは進むしかないみたいだった。

 向こうの世界に帰るためにも。



 ****



 麻のような素材で出来た下着はごわごわしていて、着けてから身体を捩ってちょっと顔をしかめた。

 着心地の違和感だけでなく、綺麗にも見えなかったのも減点だ。匂いがしなかっただけマシだろうか。


「お手洗い、結構綺麗だったよ」

「ほんと?」

「なんかね、公園のトイレくらい」

「それ綺麗?」

「川とかでもおかしくないじゃん、イセカイ」

「まあそれは」


 ちょっと薄味だけれどまずくもない食事を食べて、大浴場はないけれど魔法でお湯が出るらしいシャワーを浴びた。

 廊下には隙間風も吹く女子寮のシャワー室は温かくこそなかったけれど思ったより綺麗で、ベッドも薄手の敷布団という風な感じだ。


「なんだろう、自然教室って感じ」

「時期が悪いけどね」


 秋の催しであることは分かるが、受験生ばかりの高校三年生の秋にやることではない。

 私が冗談めかして言ってやると、ずっと怯えているようだった同室の姫花にもやっと笑顔が見えた。


 異世界転移というあり得ない現象が間違いなく現実であること、受け入れなければならないことだと何時間か経って受け入れられたのかなと思う。

 皆で食事を取った時、男子たちがおどけていたのに私も勇気付けられたけれど不安がなくなったわけではない。

 一旦みんな、見ないふりをしているのだ。

 じゃなきゃ誰が異世界まで単語帳を持ち込めたとか、交換すればどの教科の勉強ができるとか、そういう話にはならなかったと思う。


「スマホの電源切った?」

「まだもうちょっと」

「充電、完全に切れちゃうよ」


 通信は当然に圏外。

 だけれどデジタル時計だけが進んでいて、私は姫花を待つ間、心臓の早まりを見て見ぬふりするように電源を落としている。


「もうちょっとで鐘の時間じゃないかな」


 時計の無いこの部屋では正確な時間が分からないから、当てずっぽうに話す。

 案内をしてくれた騎士らしい女性は鐘が鳴ったら部屋の中の明かりが落ちると言っていた。


 姫花は言葉に迷った後、私の目を見て尋ねてくれる。


「咲良、寝れそう?」

「……どうだろうね」


 明日は朝食を食べてから私たちの生活範囲になる施設を見学に巡るらしい。

 早く眠らなければならないけれど正直、眠れる気はしない。


 深く深く、息を吸った。

 自分の中に潜む不安と、恐れと、悲しさと、怒りと、疑問と、それらによる緊張。

 この世界に居る以上は深呼吸程度何の解決にもならないかもしれないけれど、表情の強張った姫花の前で強がることくらいはできる。


「でも、明日は来ちゃうみたい」



 ****



 明かりの無い中ですすり泣く声が聞こえて身を捩ると、隣のベッドの姫花はごめんと繰り返した。

 私は彼女のベッドまで行って彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。

 明日に何が起こるか全くわからない今、泣いたって誰にも責められないはずだ。


 隣室を隔てる薄い壁の奥から、震えた菜生の声も聞こえた。

 同室の心寧ちゃんの声は聞こえないけれど、きっと菜生の声を聞いているのだろう。


「泣いてても仕方が無いのにね」

「しょうがないよ。しょうがないって」


 今日もまた、日常が一気に塗り替わる日だったのだ。

 理不尽で、受け入れがたくても、そういうことはある。

 少なくとも私はあると知っている。


 涙を流すしかないことに唇を噛んで、血の味がする。


 あの日にあれほど後悔したはずなのに、私はまた後悔をするのかもしれないと思うと、自分がどこまでも情けなかった。

 でも、じゃあ、どうすればよかった。

 私は高校生で、受験生で、学校行事に、勉強に集中することが悪かったのか。

 あの日からお母さんに素直に感謝することが増えた。ちょっと会話が減っていたお父さんにも毎日ちょっとしたことを伝えるようになった。年に一回ずつしか会わなかったおじいちゃんやおばあちゃんにだって毎月電話をすることにしたのだ。

 去年の秋、朝の駅で何も言わずに抱き締めてくれた未沙子とはほぼ毎日連絡を取るようにして、受験が終わったらすぐに遊ぶ約束だってしている。


 後悔しないように頑張った。なのに、また私は後悔しなきゃいけないのか。

 どうして、どうして。どうして。


 堪えきれぬ涙で姫花の肩を濡らしてしまっている時のことだった。


『誰も眠れていないようですね』


 びくりとした。

 本当に突然の声が耳元に聞こえたのだから。

 それも男の人の声だ。


「誰?!」


 壁越しの菜生の声もはっきり聞こえた。

 その声に返答したというわけでもないらしい間があったけれど、続く言葉はちょうど会話になっていた。


『私はあなた方が召喚されたことを知った他国の騎士です。皆さんを元の世界に帰すために、今から連れ出します』


 元の世界、という言葉に私も姫花もばっと窓の外を見て、暗がりなのに二人で目を見合わせた。窓から入る星の光が明るくて、何も見えないということはなかった。


 それで、今から? 今からとはいつからだ。

 突然の展開に結構パニックだった。


『今ある荷物をできるだけ、お近くの袋へ入れてくださると手間が減ります。入れていただかなくても、既に預けたものを含めて全て回収しますが……何分、男の私しか手の出せぬ状況ですので』


 優しい声がくすくす笑うように指示をくれる。

 少しだけ手を動かすと、さっきまでなかったはずの麻袋らしい感触がした。


「こわ!」

「魔法、だよね?」

「だろうね……」


 何かこう、音とか光とかあるものだと思っていたから確証は持てないけれどきっとそうだ。


「荷物、クローゼットだよね」

「見えなーい」

「スマホのライト付けちゃう?」

「そうしよっか」


 この時の私たちはまぬけにも何も疑わず、声をかけられるままにごそごそと動き始めていた。

 部屋のテーブルに置いていたスマホを探り当てると電源とライトをつけ、荷物をまとめる。


 こちらの世界への転移は突然のことだったから、大した荷物は持ってこられていない。

 身に付けていた制服と、下着と、ポケットの中に入っていたスマホやハンカチやヘアピンくらい。他の子たちも、遅刻しかけていた凪沙やリュックを背負ったままだった内藤君以外は手に持っていた単語帳を一冊持ってこられた程度だった。


 さっさと全部まとめるとしばらく待たされる。焦れてしまって本当に信じていいのかなと不安になってきたけれど、またくすくす笑うような声が。


『一応皆さまにお伝えしますが、もうしばらくで否応なくお連れしますので、お気になさらず』


 何が起こるのか少し身構えてしまうのは姫花も一緒だった。


「大丈夫かな……?」

「手、繋ご」

「うん」


 言葉が出なくなって、長く感じても一分くらいか。


「ひゃっ!」


 視界がぱっと明るくなる。ろうそくの灯りに照らされた温かい部屋だ。結構広い。

 姫花と二人でベッドに座っていたところだったから転ける、と思ったけれど、二人して椅子のようなものの上に座ることとなった。手触りはあるけれど、目には見えない。


「これも魔法、かな?」

「だと思う」


 私と姫花が腰を抜かしているところに聞こえたのは菜生の声だった。


「ちょ、やば! 見ないで!」


 そういえば途中から壁越しの声も聞こえていなかったけれど、手にはちゃんと私たちと同じ麻袋を持っている。


「ごめん!」

「目え瞑って! 男子!」

「なんで!」

「すっぴん!!!」

「いや、いいだろそれは」


 見ないでと言っているのは、寝間着だし、髪もメイクもセットできていないからだろう。気持ちは分かる。


「みんな! 揃ってる?!」


 お次に聞こえたのはよく通る百葉の声だった。

 ああそうだ、本当に全員揃ってるか確かめなくては。

 見えない椅子から立ち上がって、私は指差して数え始める。部屋を見渡せば、なんとなく全員揃っている気はするけれど。


「いち、に、さん、し……」

「出席番号で点呼しよう! 石川さんから!」

「はい! はい! 石川舞! います!」


 私が数え切る前に啓輔君が仕切ってくれる。流石の臨機応変さだ。見習わなければならない。

 男子も女子もみんな寝間着姿で、女子はノーメイクだからと顔を隠している子も何人かいるけれど、きちんと名前は名乗って三十七人全員揃っている。

 でも、今この部屋に見えるのは私たちだけ。


「てかあの声、みんな聞こえてたの?」

「男の人の?」

「うん。聞こえた」


 梨乃が尋ねると皆が頷いている。耳元で囁かれていたような声はどういう原理か、皆の部屋で同じように放送されていたようだった。


「騎士って言ってたけど……誰なんだろう」

「お待たせいたしました」


 私の隣にすすすっと移動してきていた菜生の呟きを拾うように、彼の声が聞こえた。

 こちらの世界に来てからは聞けなかった、いや向こうの世界でもホテルのような場所でしか聞かないような優しい、丁寧な声。

 声のする方を、皆が見た。


 そして私たちは、彼と出会った。

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