一か月の記録
一か月の記録
文子と笑美が旅館で新しい生活を始めてから、一か月が過ぎようとしていた。
一方、その頃――
太田一之介は、自分が調査対象になっていることなど、まったく気付いていなかった。
*
仕事を終えて自宅へ戻る。
玄関を開ける。
誰もいない。
電気も消えたまま。
冷蔵庫を開けても何もない。
「……ちっ。」
舌打ちをする。
「まだ帰ってこんのか。」
コンビニで買ってきた弁当を机へ放り投げる。
「なんで俺が毎日コンビニ弁当食わなあかんねん。」
怒りは収まらない。
スマートフォンを握り締める。
「文子……。」
「帰ってきたら、ただじゃ済まさん。」
「そこら辺を歩けんようにしたる。」
誰もいない部屋へ怒鳴り声だけが響く。
その様子も、日時とともに記録されていた。
*
一方で、一之介には、ここ一年ほど続いている行動パターンがあった。
朝七時前。
自宅を出て勤務先へ向かう。
滋賀県内の小売店で品出しや売場管理の仕事を行い、午後五時頃に退勤。
残業の日は午後七時頃まで店に残る。
そして――
仕事が終わると、自宅には戻らず、堀川桃のもとへ向かう日が多かった。
ある日は桃の部屋へ。
またある日は、二人で別の場所へ出掛けることもあった。
探偵は距離を保ちながら、その行動を淡々と記録していく。
日時。
場所。
写真。
映像。
出入りの時刻。
必要な証拠だけを、冷静に積み重ねていった。
*
ある夜。
桃の部屋。
二人はくつろぎながら話をしていた。
桃が缶コーヒーを片手に言う。
「ねえ、いっちゃん。」
「ん?」
「もう別れたら?」
一之介は黙っている。
「今さら奥さんのところに帰っても、もう用ないやん。」
一之介は苦笑する。
「まあな。」
桃は笑いながら続けた。
「だったら、こっちの方が楽しいでしょ。」
一之介は否定しなかった。
その会話もまた、探偵の調査記録の中で時系列と照らし合わせながら整理されていった。
*
一か月。
調査は続いた。
その間も、一之介は文子へ怒りの電話やLINEを送り続けた。
一方で、自身は桃との時間を過ごしていた。
探偵事務所では、資料が次々とファイルへ綴じられていく。
「勤務終了時刻。」
「対象者の移動。」
「堀川桃宅への出入り。」
「会話記録。」
「写真。」
「映像。」
「LINEの保存。」
担当調査員は最後のページを閉じた。
「これだけあれば十分です。」
*
同じ頃。
旅館では、梨花、麻里子、一絵、そして担当弁護士が会議を開いていた。
テーブルの上には、分厚い調査報告書。
録音データ。
着信履歴。
LINEの保存記録。
時系列表。
弁護士は一枚一枚確認しながら静かに言う。
「事実関係を整理した証拠として、十分な資料が揃っています。」
麻里子が深く息を吐く。
「長かったね。」
梨花もうなずく。
「でも、ここからが本番。」
一絵は文子の方を見る。
文子は笑美の手を握っていた。
もう一人ではない。
弁護士はゆっくり資料を閉じた。
「それでは、予定どおり法的手続きを進めましょう。」
部屋の空気が引き締まる。
長い一か月だった。
そして今。
文子と笑美の人生を守るための、本当の「決戦」が始まろうとしていた。




