手元に残らない日々
第○話
手元に残らない日々
桃の毎日は、朝から夜まで働くことで埋まっていた。
日雇いの現場。
倉庫の仕分け。
資材運び。
屋外での力仕事。
若い身体でも、限界はあった。
夏場は強い日差しにさらされ、日焼け止めを塗っても肌は焼けた。
汗で髪は張りつき、手は荒れ、足はむくむ。
それでも仕事を休めば、その日の収入はない。
雨が続けば現場そのものがなくなり、収入はさらに減る。
「なんで……」
夜、実家の小さな部屋で、桃は給与明細と支払い予定表を見つめていた。
「こんなに働いてるのに、手元に何にも残らないのよ……」
慰謝料。
借入金。
弁護士費用。
探偵費用の一部負担。
毎月の返済。
かつて当たり前に買っていたスキンケア用品すら、今は買うのをためらう。
ドラッグストアで化粧水を手に取っても、値札を見て棚に戻す。
同窓会の通知が届いても、会費が払えない。
返信欄には、ただ一言。
「欠席」
*
ある日、現場で一緒になった男性作業員が、休憩中に桃へ声をかけた。
「なあ、あんた」
「はい?」
「なんでお前みたいな若い女が、こんなところで働いてるんや?」
桃は最初、笑ってごまかそうとした。
でも、笑えなかった。
ペットボトルの水を握りしめたまま、ぽつりと言った。
「私、自分で人生めちゃくちゃにしたんです」
男性は黙った。
桃は続けた。
「奥さんと子どもがいる人って知ってたのに、関係を続けました」
声が震えた。
「奥さんのこと、顔も知らないのに悪く言って……子どもの名前まで出して……」
言葉が詰まる。
「その人の家庭を壊しました」
*
男性作業員は、何も茶化さなかった。
桃は涙をこらえながら言った。
「なんで、あんな取り返しのつかないことをしたんやろ」
「その時は、自分が選ばれてる気がしてたんです」
「でも違った」
「私、誰かの人生を踏みにじってただけでした」
桃は、泥で汚れた自分の手を見た。
「あの時の自分を、ぶん殴ってやりたい」
*
その頃、一之介も似たような日々を送っていた。
早朝から現場。
夜遅くまで別の仕事。
手元に残る金は少ない。
返済に消える。
養育費に消える。
通院費に消える。
文子と笑美に接触することは禁止されている。
会いたいと言う資格すら、今の自分にはない。
それでも、支払いは続く。
終わりが見えない。
*
桃は、夜の帰り道、駅のホームでスマホを見た。
同級生たちの写真。
結婚式。
旅行。
新しい仕事。
笑顔。
桃は画面を閉じた。
羨ましいと思う資格が、自分にあるのかも分からなかった。
「私、何やってたんやろ……」
そう呟いても、時間は戻らない。
*
翌朝も、現場へ向かう。
日差しは強い。
腕は痛い。
足も重い。
でも、働かなければ返せない。
働いても働いても、すぐには終わらない。
それが、自分が壊したものの重さだった。
桃は軍手をはめ、深く息を吸った。
「逃げたら、また同じになる」
そう言い聞かせて、資材を持ち上げた。
誰かに許されたわけではない。
救われたわけでもない。
でも、責任から逃げない一日を、今日も積み重ねるしかなかった。




